(32) 「エアシーバトル」とは何か

元自衛官 宇佐静男

 6 月 12 日、民間から初入閣した森本敏防衛大臣に対し、自民党の石破茂元防衛大臣が「エアシーバトル」について質問した。森本大臣の国会デビューということだけがクローズアップされ、「エアシーバトル」については、ほとんど報道されなかったが、実は我が国の安全保障に極めて重要な意味を持つ。
 「エアシーバトル」とは米軍が今後採用する空海軍の一体運用構想のことである。これは 2010 年の「4年毎の国防計画見直し」(QDR:Quadrennial Defense Review)で初めて登場した。名指しは避けているが、台頭する中国に対する米国の軍事戦略なのである。
 中国は急成長する経済力を背景に、軍事費は毎年2ケタ成長を 20 数年間続けてきた。特に海軍力の伸張は著しく、近年、南シナ海のみならず東シナ海、西太平洋、更にはインド洋へと進出するようになった。
 ただ行動範囲が伸びただけであれば問題はない。だが、中国はもともと航行の自由や国際法、慣行等に対する理解や遵守意識が希薄である。勢力を伸ばせる範囲が自分の領域であり、公海上でも勢力範囲を支配するのは当然という華夷思想の伝統が未だ生きている。
 近年、この傾向が特に顕著になってきた。2009 年 3 月には米海軍艦艇が、海南島南方の公海上で、5 隻の中国海軍艦艇によって航行を妨害された。同年 6 月には、フィリピン西方の公海上で米海軍駆逐艦が潜水艦によって活動を妨害された。2010 年 6 月にはベトナム沖でベトナム漁船を拿捕。同月、インドネシア領内で、違法操業する中国漁船をインドネシア海軍が拿捕したところ、中国監視艦との間で一触即発の事態となった。2011 年 3 月には南沙諸島付近で、フィリピンの資源探査船を妨害。5 月にはフィリピンとの係争地域で建造物を勝手に建設。5 月、6 月の二度にわたり、公海上でのベトナム石油探査船の探査ケーブルを切断といった傍若無人振りである。東南アジア諸国と激しく対立する領有権問題を軍事力で解決しようとする姿勢もみられる。
 東シナ海も例外ではない。2008年以降、中国の戦闘艦艇が沖縄本島と宮古島の間を頻繁に通過して太平洋に進出。警戒監視にあたる海自艦艇にヘリを異常接近させるなどの示威行動を繰り返している。
 航行の自由をはじめ、海洋、航空・宇宙、サイバー空間といったグローバル・コモン(国際公共財)へのアクセスの自由は自由主義諸国の繁栄にとって必要条件である。また米国にとって世界の警察官として、必要ならば世界中のどこでも軍事行動がとれることは極めて重要な課題である。最近の中国の動向はこれらを脅かしかねないものであり、米国は深刻な懸念を抱くようになった。
 近年、公海上で傍若無人化が著しい中国に対し、米国はこれまでのような対話による関与政策では、もはや限界であることを認めた。今年 1 月、米国は新国防戦略指針を公表し、アジア重視を明確にすると共に、中国に対しては、対話から力を重視する関与政策への転換を鮮明にした。
 一方、米国の財政難は深刻であり、国防費の大幅削減を余儀なくされている。
 中国という脅威が高まる中、軍縮を実施するのは米国史上初めてのことであり、米国は根本的な軍事戦略の転換を迫られた。そのようは状況で生み出された戦略が「エアシーバトル」である。
 「エアシーバトル」を簡単に言うと、陸、海、空、宇宙、サイバーの5つの領域の垣根を超えて一元的に戦力を運用し、また各省庁や外国の軍事力と一緒になって中国に立ち向かおうとするものである。要は、持てる力の全てを効果的に投入し、一元的に運用しなければ対応できないほど、中国は軍事能力をつけてきたということである。
 中国は、何故これほどまでに大軍拡を図って来たのか。転機は 1991 年の湾岸戦争にあった。
 湾岸戦争は米軍を主軸とする多国籍軍の圧倒的な軍事力により、わずか 39 日の空爆と 100 時間の地上戦でサダム・フセインをあっけなく屈服させた。この現代戦争の実相を見た中国はかなりショックを受けたという。
 台湾有事、あるいは東アジアの覇権争いで、将来米軍と対峙することを予期する人民解放軍は、従来の「人海戦術」で現代戦は戦えないことを痛感した。
 以来、20 数年にわたって国防費は二桁の伸びを続け、装備の近代化に専念する。
 他方、米軍との軍事的格差、技術的格差を埋めることは容易でないことも認識し、米軍の弱点を見出す研究も始めた。中国は「孫子」の兵法、「敵を知り、己を知らば、百戦危からず」の国である。自己の利点を最大限活かし、米軍の弱点を徹底して突くという研究を続けた。中国が認識した米軍の弱点は以下の三点だった。①同盟国の前方展開基地に依存し過ぎ ②情報システムへの依存が過大 ③本土から作戦地域への移動距離が長い
 中国は本研究を元に、可能な限り米軍との直接対峙を回避しつつ、米軍の弱点を徹底的に攻撃して「ハイテク状況下での局地戦」に打ち勝つ戦略を構築した。これが「接近拒否/領域拒否」戦略(A2/AD:Anti-Access/Area Denial)と呼ばれるものである。米軍が友好国の近くへ展開するのを遅らせ、戦域内で米軍が作戦するのを妨害し、あるいは、作戦行動をはるか遠方からしかさせないという戦略である。
 20 数年にわたって向上させてきた中国の A2/AD 能力は、米軍の作戦能力を制約するようになった。過去数十年、当たり前だった部隊移動や同盟国からの作戦は、最早当たり前ではなくなった。
 中国は米軍の介入を妨害し、地域内の国家の孤立化を図ることで地域の覇権を握ろうとしている。A2/AD 戦略下では、従来の前方展開基地と空母打撃群を中心とする戦力は脆弱で十分に機能しない可能性がある。米国が沖縄の海兵隊をオーストラリアやグアムに分散している背景には、こういった事情がある。
 日本には米軍が駐留し、第七艦隊の母港を持ち、日米同盟で守られているから大丈夫などと能天気に構えておれなくなっている。やがては海兵隊どころか、嘉手納基地から米空軍もいなくなり、第七艦隊もグアム方面に下がる可能性さえ現実味を帯びてきた。もしそうなれば、北東アジアの軍事バランスは一挙に中国に傾き、抑止力は低下し、尖閣どころか沖縄本島までが安全を脅かされる状況になる。海兵隊もオスプレーもいなくなったら沖縄の負担が軽減されるなんて暢気に構えている場合ではないのだ。
 中国の脅威が高まる中、米国は大幅な国防予算削減を余儀なくされる。だからこそ、米国は作戦運用だけでなく、これまでのような陸空海別々の兵器調達計画も見直し、兵器開発も統合化を図り、相互運用性を強力に推進する。今までのようなセクショナリズムや偏狭な考え方を排除しなければ、そして組織防衛といった官僚的な発想を断ち切らなければ最早中国とは対抗できない。こういう悲鳴にも似た厳しい認識が「エアシーバトル」には示されている。
 唯我独尊的行動を強める中国に対応するとはいっても、中国を戦争でねじ伏せる訳にはいかない。経済的な依存関係がこれだけ深まった現在、冷戦時のような封じ込め政策も採れない。やはり中国が自ら、軍事的無頼漢になるのを控え、国際社会で責任ある国になるよう、また国際規範に基づく行動をとるよう、粘り強く促すという関与政策以外に手はない。
 関与政策を成功させるには、二つの条件がある。一つは関与する側が圧倒されないこと。そしてもう一つは、関与政策には長い年月を必要とするので、その間、独善的で邪な誘惑に駆られないよう、状況がどう転んでも対応できる備えがあることだ。その備えの中心にあるのが「エアシーバトル」なのである。
 東アジア首脳会議で野田首相が「米国が関与を深めていこうとするのは歓迎すべき」と語った。米国の軍事力は関与政策成功の必須の条件である。問題は米国が今、財政赤字を抱えて足元が覚束ないことである。中国の傍若無人な振る舞いを阻止できるのは米国しかいない。だが最早、米国でも一国では手に余るのが現状である。
 「日米同盟はアジア太平洋地域における公共財である。日米同盟を通じてこの地域における平和と安定に貢献していきたい」と野田首相は述べた。日本が今後「エアシーバトル」を可能な範囲で支援すると共に、必要な負担を肩代わりして強固な日米同盟を再構築し、衰弱しつつある米国を支援することがアジアの平和と安定に極めて重要になる。「エアシーバトル」は未だ構想段階であり、作戦計画として具体化されるのはこれからである。日本は積極的に「エアシーバトル」の具体化に協力していくべきである。
 エアシーバトルは他人事ではない。中国の A2/AD 戦略に対抗するため、米国との同盟国である日韓豪がスクラムを組んで「エアシーバトル」構想を具体化させていくことは、我々の責務でもあり、日本の安全保障そのものなのである。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2012年9月号より転載