(39) 「孫子の兵法」に見る中国の「三戦」

元自衛官 宇佐静男

 昨年 9 月 11 日の尖閣諸島国有化以降、中国公船や官用機による領海・領空侵犯は後を絶たない。行動はますます過激になり、挑発の度を高めている。日本の防空識別圏にも中国戦闘機が頻繁に進入するようになった。また中国海軍艦艇が海上自衛隊護衛艦に火器管制レーダーを照射するといった国際的にみて非常識な行動をとったことも記憶に新しい。
 本誌先月号で書いたように、これら挑発行為や示威行為は中国による「心理戦」であり、我々は動揺したり、怯んだりしてはならない。聖徳太子のように情勢を正確に把握し、相手の「手の内」を見透かした上で行動しなければならない。中国の「手の内」を見透かすには、中国人が重視している「孫子の兵法」を紐解く必要がある。
「孫子」は、中国春秋時代の思想家孫武の作とされる兵法書であり、中国の最も古い、そして古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つである。戦国武将の武田信玄公は「孫子」から引用した「風林火山」の四文字を旗に刻んだ。ナポレオン・ボナパルトも、フランス語版の「孫子」を愛読し、自らの戦略に活用したという。「孫子」は世界各国に翻訳され、クラウゼウィッツの「戦争論」と並び、最も優れた兵法書と言われている。
 中国の指導者達は「孫子」と「戦争論」をバイブルにしている。従って、彼らの「手の内」を見透かすには「孫子」を紐解くことは欠かせない。
「孫子」は戦争について次のように述べている。
「兵は国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」
 戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。よくよく熟慮せねばならない。
「孫子」は戦争を極めて深刻なものであると捉え、事前の慎重な検討なしに軽々に戦争をしてはならないと主張する。
「主、いずれか有道なる、将、いずれか有能なる、天地、いずれか得たる、法令、いずれか行わる、兵衆、いずれか強き、士卒、いずれか練いたる」
 指導者はどちらが人心を得ているか、指揮官はどちらが有能であるか、全般の情勢はどうか、国際社会の支持はどちらにあるか、どちらの軍が規律厳正か、練度が高いか等々、綿密に検討し、勝てる算段がなければ戦争してはならない
と述べる。
 中国専門家の石平氏は中国のことを「やくざ国家」と譬える。なぜなら「弱気に強く、強きに弱い」からだという。中国は領有権問題でも、相手の力が弱ければ強く出るが、強ければ「棚上げ」にして静かに時を待つ。これは「孫子」そのものである。
 南シナ海での領有権問題については、ベトナム、フィリピンの軍事力が弱いと見るや、軍事力を行使して領有権を奪取した。だが尖閣諸島については、威嚇や示威行為は盛んであるが、軍事力を行使しようとはしない。これは日本の自衛隊が強く、しかも日米同盟を結んでいるからである。いざ戦争となった場合、必ず勝つという勝算がない。そのため、勝てるようになるまで時間を稼ぐしかない。これが中国の主張する「棚上げ論」なのだ。
 戦争とは「自国の意思を相手に強要する行為」である。相手に自分の言うことを飲ませるためには、手段は軍事力行使とは限らない。軍事力を背景にした外交も戦争なのである。「戦争は血を流す外交であり、外交は血を流さない戦争」と言われる所以である。ナポレオンも「外交とは華麗な衣装を纏った戦争である」と語っている。
 相手に言うことを飲ませるための手段として、軍事力行使は最低のやり方だと「孫子」はいう。
「上兵は謀を伐つ。次は交を伐つ。次は兵を伐つ。その下は城を攻める」
 最もうまいやり方は敵の謀を破ること、つまり抵抗を諦めさせることであり、これがだめなら同盟関係を崩壊させる。軍隊同士が戦うのは最低の策だと述べる。
 中国の高官は「中国にとって最良の日米同盟は絶妙の瞬間に崩壊することだ」と発言している。「孫子」の言葉と符合する。中国は沖縄への米軍オスプレー配備反対派を陰で支援していると云われる。またメディアに反米記事を書かせるため金を流しているとも聞かれる。反米の政治家や学者達を支援し、新聞やテレビを使って反米世論を盛り上げ、日米同盟に楔を打ち込む。中国は「孫子」を忠実に実行しているわけだ。
「孫子」は次のようにも云う。
「軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ」「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
 敵と戦わずに我の言うことを聞かせる「不戦屈敵」が最良のやり方だ。尖閣問題で言えば、軍事力を行使せず、血を流さずに実効支配を日本から奪うことが最善である。弱いベトナムやフィリピンに対しては、軍事力を行使したが、精鋭な自衛隊を保有し、日米同盟を結ぶ日本が相手では勝てるかどうかわからない。こんな相手と戦うのは決して上策ではない。このため中国が全力を注ぐのが「三戦」である。つまり「不戦屈敵」を目的とする「三戦(心理戦、世論戦、法律戦)」である。
 心理戦は恫喝や懐柔を使い分け、心理面から敵の対抗意思を挫こうとするものである。尖閣諸島国有化以来、中国は対日暴動、日本製品不買運動、日本製品通関手続きの意図的遅延、日中間の人的交流や友好行事中止、公船、官用機による領海、領空侵犯、海軍艦艇によるレーダー照射など次々と仕掛けてきた。これらはすべて心理戦である。
 中国高官は「私たちは戦争を全く恐れていない。一衣帯水と言われる中日関係を一衣帯血にしないように日本政府に警告する」と恫喝した。政府系新聞の社説は「中国は情勢の一層の悪化に対して全面的な戦争準備をする必要がある」と報じた。これらは日本人を脅し、威嚇し、戦わずして「棚上げ」を勝ち取ろうとする心理戦そのものである。
 世論戦はメディアやインターネットを利用し、自国に有利な情報を流し、国内外の世論を誘導するものである。中国は国連での対日非難演説をはじめ、国際社会での宣伝攻勢に出ている。特に米国の有力メディアに対しては、意見広告など相当な金をつぎ込み、反日キャンペーンを実施している。まさに「交を伐つ」、つまり同盟の分断工作を実行中なのだ。
 昨年 10 月には、中国高官が豪州メルボルンで次のように発言した。
「第二次大戦の教訓を顧みない人が、戦後の国際構図に挑んでいる」「ファシスト国家が付けた戦火が多くの地域に燃え広がった」「オーストラリアのダーウィンにも爆弾が落とされた」
 第二次大戦で日本と敵対関係にあった豪州に対し、日豪友好関係からの決別
を促す世論戦に他ならない。
 法律戦とは自国に有利なルールもしくは法解釈を作るものである。尖閣諸島の領有について、中国の根拠は著しく薄弱である。だが、油断は禁物である。「孫子」は「兵は詭道なり」という。相手に対しては意表を突き、裏をかいてくる。領有権の根拠についても、今後、あの手この手を使って根拠の捏造を企てるだろう。日本は馬鹿馬鹿しくとも、その都度正々堂々と反論することが重要である。「嘘も百篇繰り返せば本当になる」ことは絶対に阻止せねばならない。
 今後、日本はどう対応すればいいか。日本も「孫子」に学ぶことだ。「孫子」は云う。「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」と。
 今、焦っているのは中国側である。実効支配は日本の手にあり、法的根拠も日本が断然有利である。軍事力も今のところ日本側が有利である。今後、中国は軍事力を間接的に使い、経済、政治、外交を組み合わせて大々的な「三戦」を仕掛けて来るだろう。最も大切なことは、国民が脅しや威嚇にたじろがないことだ。
 中国は相手国の徹底した抵抗と国際社会の非難には敏感に反応する特徴がある。中国の挑発には乗らず、毅然と対応する。同時に、国際社会に対し中国の非道さを訴えることだ。
 いざと云うときには対応できる準備も必要である。中央政府のコントロールが効かず、軍が暴発するような事態がないとも限らない。人民解放軍には「戦争論」を信奉する対外強硬派がいることも事実である。強硬派はクラウゼウィッツの「戦争論」を信奉している者が多い。「戦争論」は次のように主張する。
「流血を覚悟して初めて流血なき勝利が得られる」「流血を厭うものはこれを厭わない者によって必ず征服される」
 尖閣問題は長期化するであろう。主権の問題であり、安易な妥協や譲歩は禁物である。時間稼ぎの「棚上げ論」などに乗ってはならない。
「孫子」は云う。「敵の来たらざるを恃むことなく、吾の以て待つ有ることを恃む」と。敵が攻撃して来ないことをあてにするのではなく、いつ攻撃して来てもいいよう備えておく事が大切ということだ。
 海上保安庁を増強し、実行支配を強化する。同時に防衛力を強化して日米同盟の緊密化を図る。「尖閣に領土問題など存在しない」との揺るぎない姿勢を崩さず、毅然として「来るなら来てみろ」とファイティング・ポーズをとり続ける。そして、決してこちらからは手を出さない。これが大切なのだ。
 中国の「手の内」は「三戦」である。この「三戦」に決して負けないことである。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2013年4月号より転載