(40) なぜ今、憲法改正が必要なのか

元自衛官 宇佐静男

 我が国周辺が、俄然きな臭くなってきた。北朝鮮は 2 月 12 日、3 回目の核実験を強行。国連安全保障理事会は 3 月 7 日、北朝鮮に対する制裁決議を全会一致で採択した。採択に先立ち、北朝鮮の軍幹部は労働新聞でこう述べた。「米国が核兵器を振り回せば、我々は精密な核攻撃でソウルのみならずワシントンまで火の海にする」と。
 17 日、労働新聞は再び「米国が核戦争の導火線に火をつければ、ただちに侵略者らの本拠地に核の先制打撃権を行使する」と主張。更に「日本も決して例外ではない」とし、日本も核攻撃の対象に含まれるとした。
 尖閣諸島周辺では、昨年9月以降、中国の傍若無人な振る舞いは依然止まらない。1 月には人民解放軍の総参謀部が「戦争の準備をせよ」との指示を全軍に出したといわれる。
 尖閣諸島は勿論のこと、中国は沖縄の日本帰属も認めていない。毛沢東はしばしば「沖縄はもともと中国領土である」と述べていた。今後、状況によっては沖縄まで触手を伸ばしてくる可能性がある。
 日本を取り巻く情勢は極めて厳しい。にもかかわらず、日本人はどこか他人事のようで危機感が感じられない。法華経の「譬喩品」には燃え盛る家の中で、遊びにのめりこんでいる子供達が描かれている。日本人はまるで「火宅の子供」と瓜二つだ。
 何故こうなったのだろう。一番の問題点は、マッカーサーによって押し付けられた憲法を、後生大事に守り、最も大切な国防をワシントンに任せっきりにしたことだろう。戦後のツケが今、一挙に顕在化しつつある。
 憲法の前文を見れば如何に時代にそぐわないかがよく分かる。
「日本国民は、(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。
 尖閣・沖縄の領有権を力ずくで奪おうとする中国、核攻撃をも辞さない北朝鮮。彼らを「平和を愛する」国とでもいうのだろうか。彼らの「公正と信義に信頼」して日本の「安全と生存」を保持するのか。まるでブラック・ユーモアだ。
 終戦直後の 1946 年、日本政府は憲法改正案を作成し GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に提出した。GHQ は自らの思惑とは異なるとしてこれを拒否。代わりに 1 週間で作成したマッカ-サ-草案を日本政府に示し、これを基に新憲法を作ることを要求した。GHQ の思惑は、日本が米国に二度と刃向うことのないようにすることであった。
 当時の雰囲気を「ニューヨークタイムズ」が伝えている。社説の漫画には、化け物のような怪獣が倒れており、開けた口には多くの牙があり、米兵士がそれを引き抜いている。「怪獣は倒れはしたが、まだまだ油断できない。我々は徹底してこの怪獣から牙を抜きとる必要がある」と述べる。
 GHQ はマッカ-サ-草案を日本が受け入れない場合、天皇陛下の安泰を保証しないと脅迫した。これは明らかな国際法違反である。ハーグ陸戦条約では、占領軍は占領地域の法律を尊重しなければならず、占領者が被占領者に対して憲法の制定を命令する事は禁止している。だが、天皇陛下の安寧を第一とする日本政府はやむなくこれを受け入れざるを得なかった。
 GHQ の意向は憲法 9 条に現れている。9 条 1 項では「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っている。この記述は侵略戦争を放棄したものであり、国際的に見ても稀なものでもない。だが、同条 2 項で「陸海空軍その他の戦力」を保持しないとし、「国の交戦権」を認めないと規定する。このような憲法を持つ国は日本以外にない。
 第 1 項の規定は自衛戦争まで放棄したものではないが、第 2 項で戦力の保有を禁止し、交戦権も否認するため、憲法制定当時は、自衛戦争まで放棄したと解釈していた。
 日本共産党の野坂参三議員は国会で質問している。「戦争には侵略戦争と自衛戦争があって、正しい戦争、つまり自衛戦争まで放棄する必要は無い」
 これに対し吉田首相は、「国家防衛権に基づく戦争を正当とする考え方こそ有害である」と答弁している。
 ところが冷戦が始まり、1950 年には朝鮮戦争が勃発し状況は一転する。駐留米軍が朝鮮に出兵するため、日本に力の空白ができ、この空白を埋める必要が出た。GHQ は手のひらを返したように、日本に再軍備を要求するようになる。
 ここで生まれたのが警察予備隊、後の自衛隊である。だが、憲法を改正しないまま、事実上の軍隊を保有することになり、日本政府は詭弁を重ねて正当化を図った。9条の禁止する「戦力」は近代戦争遂行能力であって、「戦力」に至らない実力の保有は合憲である。いかにも苦しい解釈である。
 精強な戦力である自衛隊を「戦力なき軍隊」とし、「戦車」を「特車」と呼び、「歩兵」を「普通科」、「大佐」を「1佐」と呼んだ。こんな詭弁を弄し、その場凌ぎで真剣な議論を避けてきた。自衛隊の位置づけは宙ぶらりんのままで、未だに自衛隊を違憲とする学者も多い。
 これまで自衛隊は「税金泥棒」「憲法違反」と罵られながらも、じっと耐え、日本防衛のため、涙ぐましい努力を重ねてきた。だが国家にとって最も大事な国防が憲法からスッポリ抜け落ちたままだ。精強な存在となった自衛隊の位置付けさえ憲法には定められていない。子供が憲法 9 条を素直に読めば、自衛隊の存在は違憲と思うであろう。国家として決して正常な状態とは言えない。
 日本人の国防意識の低さ、国家を支える当事者意識の低さ、まるで燃え盛る家の中で遊びほうける「火宅の人」状態。この原因は、憲法に国防の位置づけがないこと、そして 9 条を改正しないまま詭弁を弄し、いつの間にか事実上の軍隊を保有するといったダブルスタンダードに由来する。
 自衛隊も国民の大半が認める存在になったからいいではないかという声もある。だが憲法に由来する法制上の問題が、大きな足枷となり、現在の事態に適切に対応できなくなっている。
 自衛隊は、憲法によって雁字搦めの法制で手足を縛られた状況にある。冷戦時はそれでもあまり問題にならなかった。だが、現在のような中国、北朝鮮の動きに対しては、満足に対応できない。たとえばこうだ。
 仮に尖閣諸島周辺で海上保安庁巡視船が中国海軍艦艇から攻撃を受けたとしよう。中国海軍艦艇の攻撃には、海上自衛隊の護衛艦で撃退しなければ海保巡視船を防護することはできない。海自護衛艦は十分その能力は保有する。だが結論から言うと、現行法では平時には海自護衛艦は海保巡視船を防護できない。
 現在、海自護衛艦は中国海軍に対し「こちらから挑発しない一方、付け入るスキを与えない万全の警戒監視」を続けている。こういう状況下で、海保巡視船が中国海軍から攻撃されたら、海自は個別的自衛権を行使することによって海保を守れると思っている国民は多い。だが、今の法制では個別的自衛権を行使するには「防衛出動」が下令されなければならない。「防衛出動」が下令されていない平時であれば、海保巡視船を守ることはできないのだ。
 海自護衛艦が反撃しないのを見た中国は日本の弱みを見透かし、更なる海保巡視船への攻撃を招くだろう。そうなれば海保による尖閣周辺の実効支配は消滅し、領有権は中国に奪取されるに違いない。1988 年、中国海軍がベトナム海軍を攻撃してスプラトリー諸島(南沙諸島)の領有権を奪ったパターンである。
 明日にでも起こり得るシナリオである。今年 1 月 30 日、中国艦艇から海自護衛艦に射撃管制レーダーの照射があったことは記憶に新しい。
「防衛出動」が早期に下令されればいいが、「防衛出動」は国会承認が必要であり、時間がかかる。憲法9条を受け、個別的自衛権を狭義に解釈して自衛隊の手足を雁字搦めに縛り、事実上対応できない法体系になっているのだ。
 こういうケースもある。北朝鮮の核ミサイルから日本を防衛するため、米海軍イージス艦が日本海で警戒に就いているとしよう。この米イージス艦が他国に攻撃を仕掛けられ、近くの海自護衛艦に救援を求められたらどうするか。日本を守っている同盟国のイージス艦である。海自は救援に応えるのは当然だ。だが憲法上、米海軍艦艇への救援は実施できない。憲法によって禁じられている集団的自衛権にあたるからだ。
 こんなことがもし起こったら、日米同盟は一瞬にして崩壊するに違いない。
 現状では、日米同盟なくして日本の国防は成り立たないのは残念ながら事実である。これでは「憲法守って国亡ぶ」ということが現実に起こりうる。
 これらの事例はごく一部であり、憲法は随所に綻びが目立ち始めている。占領軍により押し付けられた憲法を後生大事に奉っている国は世界広しといえど日本だけだ。サンフランシスコ条約締結により独立を果たした折に、日本は直ちに日本国民によって真の日本国憲法を策定すべきだった。だが放置してきた政治の怠慢により、問題は顕在化し深刻化しつつある。
 現行憲法は昨今の情勢にマッチしないことは明らかである。日本が戦争を放棄しても、戦争が日本を放棄してくれない時代になった。今こそ憲法改正は急務である。日本に残された時間はそう長くない。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2013年5月号より転載