(41) 国家は「ゆすりたかり」の対象であってはならない

元自衛官 宇佐静男

 報道によると、政府は与那国島(沖縄県与那国町)への陸上自衛隊「沿岸監視部隊」の配備に向けた用地取得を当面、断念する見通しとなったという。地代として 10 億円を要求する町側に対し、防衛省の提示額は最大1億5千万円と隔たりが大きく、交渉は暗礁に乗り上げたからだ。
 2012 年度予算では、新編する沿岸監視部隊の配置及び移動警戒隊の展開のために必要な用地取得などを実施するため約 10 億円が計上されていた。これは土地使用料だけでなく工事費用や移転費用を含む事業費の総額である。
 町側は土地使用料として 10 億円が手に入ると誤解したのか、2013 年 3 月になって外間守吉町長は、政府に 10 億円を要求した。しかも基地設置の「迷惑料」だという。
 与那国島を守り、日本を守る自衛隊が駐屯するのに「迷惑料」を要求することに対し、違和感を感じたのは筆者だけではあるまい。こんな国は残念ながら世界でも日本だけだろう。与那国町長の言動には、国防を担うのは国民一人ひとりであるという当事者意識が微塵も感じられない。
「迷惑料」について批判を受けた町長はさすがに「市町村協力費」と表現を修正したものの、現在提示の金額では基地の設置には応じられず、金額の面で一切妥協する意思がないとまで表明している。
 昨年9月、尖閣諸島の国有化に際し、野田内閣が所有者の言い値通りの 20 億円で、慌てて買った前例を念頭に置いているのだろう。町側も強気のようだ。
 こんな法外な値段では、防衛費執行の責任がある防衛省も妥協しようがない。
 普天間基地の辺野古移設問題もそうであるが、一地方自治体の意向が国全体の安全保障に大きく影響を与える典型例である。これだから、たとえ地方であっても外国人に参政権を与えると、とんでもないことが起こり得ることがよく分かる。
 昨年9月の尖閣国有化事案と今回の与那国島事案に通底するのは、日本人の国家意識の希薄化である。本来、国家は国民を守り、その国家を国民一人一人が支えるものである。だが日本では、国民が国家を支えるどころか、国家は「ゆすり・たかり」の対象に成り下がってはいないだろうか。
 国家の安全保障、いや自分の安全さえも他人事の様に構え、国家はそっちのけで私が優先する。それだけならまだしも、国からできるだけ多くの金額をせしめようという卑しい魂胆を衒いもなく曝け出す。かつては先人たちが自己を投げ打ってでも国家のために尽くした。どうしてこんな醜い日本人になってしまったのだろう。先人に申し訳なく、情けない思いで一杯である。
 与那国島は八重山諸島の西端、台湾の北東に位置する島である。日本の最西端に位置する孤島であり、石垣島からは 124km で、台湾までは 111km しかない。まさに国境の島である。年に数回晴れて澄んだ日には水平線上に台湾の山々を望むことができるという。
 人口は約 1,700 人、面積は 28.91km²と東京の区の一つほどの広さであり、自転車でも 3 ~4 時間で一周が可能である。最東端の南鳥島、最南端の沖ノ鳥島とは違って、最西端の与那国島は一般の交通機関で誰でも自由に訪れることができる。だが台湾にも中国にも近いため、国境の島特有の宿命を背負う。台湾有事や尖閣諸島問題など、有事に巻き込まれる蓋然性が常に存在するのだ。
 中国が台湾を武力で攻略する際には、最も近い与那国島に先ず人民解放軍が侵攻するに違いない。台湾攻略作戦にとっては、この島は「喉に刺さった棘」であり、日露戦争の旅順攻略作戦でいう 203 高地のような戦略的要衝である。
 それ故に日本がしっかりと与那国島を守ってさえいれば、中国は台湾に手を出しにくい。いいかえれば与那国島の防衛如何が台湾海峡の安定を左右するといっても過言ではない。
 他方、中国はそもそも、尖閣諸島はもちろんのこと、与那国島を含む琉球列島の日本帰属も認めていない。かつて毛沢東はしばしば「沖縄はもともと中国領土である」と言っていた。最近、中国の政府系機関が正面切って主張し始めている。日本のマスコミは尖閣諸島については報道するが、なぜか沖縄についての中国の主張は報道しない。だが我々はこの事実をしっかりと直視する必要がある。
 過去にも与那国島の頭上に火の粉が被りそうになったことがある。1996 年、台湾で行われた最初の総統選挙の際、中国は台湾に軍事的圧力をかけてこれを阻止しようとした。人民解放軍は台湾近郊にミサイル4発を威嚇射撃した。このミサイルは与那国島沖合い約 60 キロメートルに弾着したのだ。近年は中国海軍の軍艦や船舶の沖縄近海への接近、並びに日本の排他的経済水域内の通過が頻繁に起こっている。
 では与那国島の防衛態勢の実情はどうか。現状はほとんど丸裸に近い。現在、自衛隊は所在せず、警察官が 2 名駐在するのみである。島内にある全ての武器が 2 名の警察官が保有する拳銃 2 丁である。昨今の緊迫した日中の情勢を受け、沖縄県警は、駐在所員 2 名に対し、けん銃の予備弾 10 発を貸与して有事への備えを固めたという。まさに「焼け石に水」である。
 さすがに地元住民は不安を肌で感じ、自衛隊の誘致運動を続けて来た。90 年代から自衛隊誘致派の町長が連続当選している。地元の自衛隊誘致議決に応える形で、2010 年に閣議決定された中期防衛力整備計画で 200 人規模の沿岸監視隊配備が盛り込まれ、2012 年度予算でようやく自衛隊配置が認められた。そんな矢先の「10 億円迷惑料」事件だったのだ。たかが 200 名規模の自衛隊とはいえ、防衛上の意義は大きい。中国の軍事的な脅威に対して、領土を守る日本の固い意思を示すと共に、南西諸島に存在する警戒網の死角を埋める上で大きな意味がある。受け入れ基盤さえできていれば、有事に自衛隊を増援することも容易である。
 今回の「迷惑料」事件は、宮古・石垣両島への陸自「警備部隊」配備にも影響を及ぼしかねず、中国をにらんだ南西防衛強化の障害になる可能性がある。
 中国の軍事行動を抑止する日本の戦略に深刻なダメージを与えることは確かだろう。それ以上に、筆者は国家に対する当事者意識の希薄化がもたらす日本の将来を憂慮せざるを得ない。どんな優れた武器を保有し、知的レベルの高い人材がいても、国家を支える当事者意識がなければ国を守りは成り立たないのだ。
「迷惑料」事案は沖縄地方の特殊性だろうか。そうとは言えまい。戦後、国家は悪、国家は市民と敵対するものという戦後平和主義が生んだ日本人の歪んだ国家意識を根源とする。早急にこの歪んだ意識を修正しなければ、日本の将来は危うい。
 日本は戦後、最も大切な国防をワシントンに任せ、自らは金儲けに専念してきた。いわゆる「吉田ドクトリン」である。その甲斐あってか、経済は驚異的スピードで回復し、豊かな大国として国際社会に復帰できた。だがその陰で、大切なものを失った。「自主、独立」という最も大切な名誉価値であり、国を支える当事者意識である。
「吉田ドクトリン」は、国家は国民を守るべき共同体であるにも係わらず、国民はその国家を支える義務を負わないというモラルハザードを国民に浸潤させた。米国によって「与えられた平和」に甘え、「平和」は叫ぶが「平和」のための「責任」「義務」には言及しない。その結果、「受益」を求めても、「負担」には言及しない無責任国家に成り下がった。国家はただの「ゆすりたかり」の対象になってしまったのだ。
「公務員を削減せよ。だが国はこれまでどおりサービスしろ」「年金は納めない。だが国は老後の面倒をみるべきだ」、「給食費は納めない。だが子供には飯を食わせろ」等々、厚顔無恥な主張を堂々とする国民。駄々っ子以下のレベルである。生活保護の受給者は 1995 年には 85 万人に過ぎなかったが、2012 年には 212 万人にも増えている現実が如実に物語る。
 戦後、何かあれば人権、人権と声高に主張する。だが、人権というものは国家の存在を前提としている。人権は国家があるからこそ国民の権利として守られる。国家は消滅したが人権は守られるということはありえない。国家は全ての基盤であり国家の安全なく、独立も生存も繁栄もない。この現実にあえて目を背けるようになった。
 国家を「ゆすりたかり」の対象と見る人は、どんなことがあっても国はなくならないという根拠のない子供のような安心感をもっているようだ。だが国は打ち出の小槌でもなければ、永遠に不滅の存在でもない。この機会に、国から10 億円を掠め取ってやろうと卑しい考えを起こしている間に、気がついてみたら人民解放軍が島を占拠していたということもあり得るのだ。
 与那国町長は沿岸警備を含めた国防について、「国が考えること」と語ったという。その考えがそもそも間違っている。国を守るということは、親を敬い、家族を慈しみ、愛するものをしっかり守るということである。国の安全保障は国民一人ひとりが考えるものなのだ。
 国は決して「ゆすりたかり」の対象であってはならない。国家とは私たち同胞であり、知人、友人であり、愛する家族であり、自分自身そのものなのだ。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2013年6月号より転載