(15) 「待ったなしの教育改革」

元自衛官 宇佐静男

 今、日本の教育現場は危機に瀕している。明星大学教授高橋史郎氏によると、現在、学校現場は小学校の2割のクラスが学級崩壊状態だという。先生の話を聞かない。勝手に教室を動き回る。給食時間ではパンや牛乳を投げあう。教室や廊下はゴミだらけ。全く授業にならず、教師は自信を喪い、多くの教師が辞めたり、鬱病になったりするという。
 27カ国の15歳対象としたユニセフ子供の幸福度調査(2007年)では「孤独を感じる」と答えた子供は、日本が30%でダントツ1位。2位アイスランドで10%、以下25カ国は一桁だそうだ。「世界一幸せで、世界一礼儀正しかった子供達が今、世界一不幸せで、世界一礼儀が悪い」のが日本の現状なのだ。
 米国第3代大統領トーマス・ジェファーソンは「最大の国防はよく教育された市民である」と言った。まさに教育問題は国防問題でもある。日本の将来は本当に大丈夫なのか。
 日本は領土も小さく資源もない。唯一、「人」がかけがえのない資産である。人を育てる教育現場が揺らいでいるのでは、国家存亡の危機と言っても過言ではない。
 戦後、日本の教育現場は長く日教組に支配されてきた。日教組はイデオロギーを教育現場に持ち込み、国家は悪であり、市民と敵対する存在だと教えて来た。教育基本法が改正された後も、その残滓は生き続けている。今なお、卒業式で国旗掲揚もせず、国歌を斉唱しない学校も多い。
 「平等」という美名のもと、国家を含め、あらゆる権威が否定され、教育現場からは「教壇」が消えた。「教壇」は先生が高いところから生徒を見下ろすため、権威主義的だからダメだという。先生と生徒はそもそも平等だ、などという偽善的悪平等主義は、結果的に先生の権威を貶め、先生はただの「友達」になり下がり、教室の秩序は崩壊した。まさに学級崩壊は日教組の戦後教育の「天唾」でもある。悪平等主義は徒競争で「お手々つないでゴールイン」といった非常識で愚劣な醜態を演じて疑問を感じないところまで浸透している。
 「天唾」はアンケート結果に明確に現れている。「教師を尊敬しますか?」との問いに対し、「Yes」と答えた子供は、1位が米国、2位が韓国、3位が中国の順で、それぞれ80%以上の子供が「Yes」と答えている。日本はアンケート中で最下位、26%だった。50%を下回るとその国の将来は危ういと言われている。戦後教育の傷跡は殊のほか深いものがある。
 権威の否定は家庭教育にも悪影響を及ぼしている。アンケートでは、親を尊敬している子供が日本20%、米国63%、中国73%と出た。親の言うことを聞かないはずである。
 日教組は労働組合である。教師は労働者であり、教師自らが聖職者であることを放棄した。労働者であるから当然の権利だと、違法にもかかわらず生徒の目を憚ることなく、政治ストライキに参加した。その姿を見続けた生徒達が教師の権威を否定し、規範意識の喪失に陥るのは当然と言えば当然である。
 昨今、理不尽な親が先生に無理難題を突き付ける「モンスターペアレンツ」が問題になっている。だが、これも半分は教師側に責任がある。聖職者としての自覚と誇りを持ち、毅然としている教師には無理難題を吹っ掛けにくいものだ。たとえ無理難題を押し付けてきても、聖職者の誇りを持ち、身体を張って堂々と親と渡り合うなら、親も聖職者の気迫に圧倒され、シャッポを脱ぐはずだ。
 学校秩序の崩壊は、もちろん家庭にも責任がある。「教育の道は、家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教えで実が成る」と言われる。家庭教育は人間教育の基本なのだ。親が子供の教育に責任があることを先ず自覚せねばならない。
 現政権がいう「子供は社会が育てる」は間違いである。子供は一義的には親が育てるものだ。昔から「しっかり抱いて、下に下ろして、歩かせよ」と言われてきた。「乳児は肌を離すな。幼児は肌を離せ、手を離すな。少年は手を離せ、眼を離すな。青年は目を離せ、心を離すな。」ともいう。こういう昔から日本人の誰もが実行してきた子育てのあり方を家庭が取り戻すことが何より求められている。
 では、どうしたら学校教育を再生できるのか。米国の教育再生プロセスが参考になる。米国は過去、日本と同様、学校秩序が崩壊したことがある。だが米国の場合、教育政策の失敗に気づき、いち早く手だてを講じ、既に回復した。
 1960年代後半から70年前半にかけて、米国は教育の「自由化」「人間化」「社会化」を教育理念とした「子供中心主義」が蔓延した。学校を子供達の「楽しい場に」しようと、退屈な暗記やつづり方、あるいは発音を教える教育はカリキュラムから次々と消えていった。
 「子供中心主義」の蔓延により、教師は毅然たる姿勢を失い、生徒の御機嫌とり、あるいは歓心を買う芸人と化し、生徒は権威に対する尊敬を忘れて刹那的に走るようになった。70年代初頭には教育現場から伝統的な『古き良き教育』は完全に消滅してしまった。
 学校秩序は崩壊し、校内暴力が蔓延り、麻薬・アルコールの乱用が増え、セックス・10代妊娠の急増など、手が付けられない状態になった。15歳から19歳の自殺率も3倍に増えた。学校教育の現状に危機感を抱いた中産階級の親は、子供を学校にやらずに自宅で教育したり、経済的に豊かな家庭は規律のしっかりした私立学校に行かせるようになった。
 そこへ登場したのがレーガン大統領である。彼は学校教育に深刻な危機感を抱き、国家を挙げての教育改革に着手する。レーガンはこう言った。「我々の国家は危機に瀕している。かつて我が国は、通商、産業、科学、技術革新の各分野で優位を誇っていたが、今や世界中の競争相手にその地位を脅かされている。その原因は何か。それは教育である」と。持ち前の強力なリーダーシップで改革を遂行していった。
 教育改革理念は「ゼロ・トレランス」を合言葉とした。この言葉はもともと生産工場などで使われる言葉であり、「不良品を絶対作らない」「妥協しない」という意味である。子供が規則を破れば直ちに処罰する。決して見逃さない。場合によっては矯正のための学校に送致する。もちろん悔い改めて治れば元に戻す。この理念を教育現場に徹底し、意識改革を実行に移した。
 結果、米国の教育と経済は10年を待たずして再生した。学校に規律が戻ったのだ。子供達は伸びやかに生活し、安心して学業に励み、学力も向上した。
 「自主性尊重」「子供中心主義」などという「壮大なる実験」は失敗に終わり、米国は高い授業料を払う結果となった。日本は壮大な失敗を米国に学ぶことができ、対応策も分かっている。にもかかわらず日本は米国の失敗には目を伏せ、まるで周回遅れのマラソンランナーよろしく同じ過ちを繰り返している。
 日本の場合、「自主性尊重」「子供中心主義」「子供解放運動」などは、イデオロギー色の強い日教組が標榜してきたものである。今なお日教組が教育現場で主導権を握りたいため、失敗と分かっていても決して失敗と認めようとはしない。問題が生じても「モグラ叩き」的な対処療法で、綻びを取り繕うことしかやらない。よって教育改革も中途半端なものにならざるを得ない。「学級崩壊には教員の増員で」といった自己増殖を企図する動きもある。まさに焼け太りである。教師の意識を変えない限り、増員しても同じであろう。日本の教育改革は教師の意識改革にほかならない。
 今こそ、政治主導による改革が求められている。改革は一刻の猶予も許されない。もはや現場に任せてはおけないのだ。日本国民が危機感を共有し、強いリーダーシップを政府が果たさなければならない。
 日教組が支持母体だから民主党には教育改革はできないという声もある。ならば民主党は政権を担う資格はない。教育問題は国防問題そのものである。最も大切な国防を担えない政党は即刻退場すべきである。
 「もし非友好な外国勢力が米国に対して今日のような凡庸な教育をするように押しつけたとしたなら、それは戦闘行為に相当するとみなせるものだ」とまでレーガン大統領は言った。事態は一刻の猶予も許されない状況にある。日本国民全員が切迫した危機感をもって学校教育の立て直しに臨まねばならない。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2011年2月号より転載