(8) 「子供手当て」と衆愚政治

元自衛官 宇佐静男

 今年3月、「子供手当て」法案が成立し、早ければ6月中旬頃から支給されることになった。本稿が読まれる頃には、既に支給が開始されているかもしれない。この法案には大きな問題点が含まれており、野党も反対したが強行採決により可決されてしまった。政府もマスコミも問題点を積極的に報じなかったせいか国民の反応は鈍い。次の点を知っていたら国民はどう反応しただろう。
 子供手当ては在日外国人にも支給される。また保護者が日本に居れば子供が外国に居ようと支給対象になる。しかも人数制限は無い。逆に、日本人であっても保護者が海外に居住(単身赴任等)していると、たとえ子供が日本に居ても、支給対象にはならない。また支給要件に制限はなく、億万長者にも同様に支給される。
 筆者がこれを説明したら、間違いなく全員が驚き反対の声を上げた。「エー!ウッソー!そんなバカな、、、」って。国民に対し問題点を明らかにしなかった政府やメディアの責任は重い。
 もし在日外国人が本国で10人の子供を持ったとしよう(養子縁組でもよい)。その人は子供手当だけで年間312万円の収入が得られる。決して荒唐無稽な話ではない。報道によれば尼崎に住む韓国人男性がタイに住む554人の孤児との養子縁組をし、子供手当て8642万円を申請したという。さすがに市は拒否したというが、法律には不支給の明確な基準はない。通達で「子供が50人以上であれば申請は受け付けないよう」との指導があるだけだ。よって49人以下であれば申請書類が要件を満たしてさえいれば、地方自治体は支払う手続きを実施しなければならない。また外国人が文書偽造や虚偽申告しても地方自治体の窓口では確認する術が無い。
 現在、世界人口の80%、51億人以上が月3000円以下で暮らしている。子供手当ての毎月2万6千円は世界的水準ではとても高額である。日本で支給される子供手当てだけで本国の家族を十分養っていける外国人もいるはずだ。外国人を多く抱える自治体の窓口には、すでに連日のように多くの外国人が訪れているとの報道もある。
 逆に日本人であっても親が海外に単身赴任していると、子供が日本に居ても支給されない。日本人も今や世界各地で存分に活躍しなければならない時代を迎えているが、この法律は時代に全く逆行している。諸外国で日本のために働いている日本人を国が差別し処罰するようなものだ。
 財源の負担も半端ではない。初年度で約2兆2500億円、翌年からは倍の約4兆5000億円が必要となる。防衛費とほぼ同額の予算がこれから毎年新たに必要となる。他方、今年度予算は92兆円の内、税収が37兆円しかない異常な財政状況にある。「日本人の子が借金を背負い、海外の外国籍の子を養育するのが友愛精神か」と反対の声を上げた人もいたが国民はほとんど無関心だった。
 「仕分け作業」はマスメディアも大きく取り上げ、国民も関心を示した。だが削減できた額は子供手当ての半額にも満たない。まさに「小さな無駄を減らし、大きな無駄を作る」子供手当て制度なのだ。
 そもそも何のための「子供手当て」なのか。日本の少子化対策であれば、外国人にまで支給する必要はない。子育てに本当に困っている貧しい人達への支援や、育児施設の充実に使うべきだろう。フランスのように子供を作れば作るほど所得税が減免される制度も効果的だ。少なくともこの法律は少子化対策にはなっていない。まさにバラ撒きの選挙対策なのだ。
 「子供手当て」「高速道路無料化」「高校実質無料化」などのバラ撒き政策を見るに、国民の歓心を買おうとする衆愚政治の実態が浮かび上がる。
 先ず政治家の国家に対する無責任さである。子供手当ての財源はもちろん税金である。税金だから自分の懐は痛まない。懐が痛まないから税金を参議院選挙対策に使用しようとする。国の将来に対する切実な思いや責任感が全く感じられない。国民の歓心を買い、票に繋げることだけを考える。まさに衆愚政治である。上記問題点は法案審議過程で指摘はされたが「支給対象については今後見直す」として見切り発車された。支給開始を参議院選挙前に間に合わせることを最優先したからである。
 選良たる政治家自身が国の将来より「私」を優先するモラルハザードに陥っている。「政治家は国家の将来を考え、政治屋は次の選挙を考える」と言われる。「子供手当て」は典型的な政治屋の所業なのだ。
 衆愚政治は国民の側にも大いに責任がある。国政に対する無関心、そして「ばら撒き」政策に歓心を寄せるであろうと思わせる程度の低さである。本来、我々はこんな政治屋に怒らねばならない。「我々をバカにするのか」と。
 我々は国会議員に国政の白紙委任状を渡しているわけではない。国会議員がやっていること、やろうとしていることに対し、常に当事者意識を持ち、要すれば反対の声を上げ、場合によっては色々な方法で意思表示をする。それで駄目なら次の選挙で落選させる。これが民主主義であり国民の責務なのだ。
 良き政治家を育てるのは国民の責任である。国民の無関心は政治屋を作り、衆愚政治を産むだけだ。衆愚政治の「つけ」は必ず国民に回ってくる。
 筆者が米国に留学しているとき、アパートの隣家に住む米人主婦に安全保障について質問したことがある。一般の主婦でも自国の安全保障政策について自分の考えを滔々と述べる姿に感心した。帰国後、近所の日本人主婦に日本の国防政策に聞いたところ、一言「反対」という言葉が返ってきただけだった。日米の違いに大変驚いたことを今でも鮮明に覚えている。
 日本人は「お上」任せが多い。今回の「子供手当て」に関心が薄いのも「お上」任せの典型だ。これまで国の最も大切な安全保障政策について、「国防はワシントンに任せ、金儲けに専念」してきた吉田ドクトリンの「つけ」がボディーブローのように効いているのかもしれない。
 安全保障のみならず日本の行く末を考えるのは、日本国民一人一人の責務である。税収が37兆円に過ぎないのに、92兆円の予算を組んで、国民が「それでいいのか!」と強い懸念の声をあげないのは諸外国では考えられない。
 衆愚政治が続いた結果、日本の累積赤字は870兆円にも上った。先進諸国で最悪の財政状況だ。にもかかわらず「子供手当て」のようなバラ撒きをまだやろうとしている。国家は「打ち出の小槌」ではない。このまま行けば必ず財政は破綻し、子や孫が途端の苦しみを味わうことになるのは眼に見えている。
 長期的には比較的はっきりしている流れの中で、分かっていながらズルズルと状況に流され、ついには自らのコントロールさえ失い、破綻をきたしたのが先の大戦ではなかったのか。日本人はあのお馴染みの愚かなパターンをまた繰り返そうとしているのだ。
 日本人にとって国家は巌のような確固とした存在で、叩いても打っても壊れないし、いくら蔑ろにしても、亡くならないと思っているふしがある。国を平気で貶したり卑下したりするが、この心情の底には、どんなことがあっても国は亡くなりはしないという子供のような甘えや安心感があるようだ。だが大きな間違いである。過去2世紀に他国からの攻撃や侵略で消滅したり、併合されてしまった国は51カ国にも上る。国家の死亡率は24%なのだ。
 日本と言う素晴らしい国を次の世代に残すためにも、もうそろそろ愚昧さから脱しなければならない。一人一人が日本を愛し、日本の将来を思い、日本のために何が出来るかを考え、そして日本のために汗を流す。国は国民一人一人の賢明さによって成り立っている。「国は悪に滅びず、愚に滅ぶ」ことを真剣に考える時なのだ。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2010年6月号より転載