(7) 「国民の気概と歴史教育」

元自衛官 宇佐静男

 明治期、世界的に活躍した美術史家岡倉天心は、ニューヨークで「茶の本」を出版し、日本の伝統文化について広く紹介した。戦前、国際連盟事務次長を務めた教育者新渡戸稲造は米国で名著「武士道」を著し、日本人の高邁な精神を紹介した。かつて、日本人は日本に対する誇りを持ち、強烈なアイデンティティを保持し、海外で優れた日本の文化や伝統について紹介し、命がけで日本の為に情熱を燃やした。
 最近、岡倉天心や新渡戸稲造のような日本人は久しく聞かない。それどころか日本に対し誇りを感じる若者が減少している傾向が意識調査で明らかになっている。若者が日本に対する誇りを失い、愛国の至情が消滅しつつあるようでは、「国の守り」を論ずる以前の由々しき事態である。
 数年前になるが、20代の意識調査結果を見て驚いた。「自国に誇りを感じる」と答えた日本の若者は54.2%で74カ国中、71位であった。「国のために戦う」と答えた者は15.6%であり、74カ国中ビリだった。ちなみに中国は89.3%、韓国は81.6%、米国では70.0%である。別の調査で「人生で最も重視する目標は国家や社会への貢献」と答えた若者は米国が約70%、韓国が約30%に対し、日本はなんと一桁にすぎなかった。「青少年を見れば、その国の未来が見える」と言われるが日本の将来を憂慮せざるを得ない。
 原因は戦後教育にある。「国家」、「公」より「個」、「私」を優先し、国家と歴史、民族と文化を貶め、国家、国旗を拒否し、揚げ句の果ては祖先、両親への敬慕、子弟間の礼節まで含めたあらゆる伝統的価値観に背を向けた。戦後の歴史教育はその典型だ。学校で使用する歴史教科書は驚くほど自虐的である。マルクス史観の影響を受け、権威、権力の否定が底流にある。
 隋との対等外交を目指した聖徳太子の気概の高さについては記述しない。百姓一揆については強調するが、浮世絵など江戸の文化の高さについてはきちんと書かかない。日本に襲来し、多くの略奪と暴行を繰り返した元寇については「日本への遠征」と書く一方、秀吉の朝鮮出兵については「朝鮮を侵略」と書く。世界に誇る無血革命であった明治維新、そして大国ロシアを倒した日露戦争等、先人たちが気概を示した歴史はあえて伏せられる。東郷平八郎、乃木希典の名は世界的には有名だが、日本の教科書には載っていない。
 近代史では常に日本は悪玉として書かれ、中韓を善玉として描く。日韓合邦を求める韓国人の署名が数万人も集まった事実などは勿論隠される。大東亜戦争以降の歴史についても米国と共産主義を善玉として擁護する。
 歴史家トインビーは次のように言う。「ある国を衰亡させるには、その国の先人達が気概を示した歴史を教えなければいい。」先人が気概を示した日本の栄光の歴史については記憶を失わせ、負の歴史のみ子供に刷り込む。戦後の歴史教育は日本民族の抹殺行為ともいえる。
 神話も教育されなくなって久しい。トインビーはこうも述べる。「12、13歳頃までに民族の神話を教えられていない民族は、例外なしに滅んでいる。」日本は「例外なし」の部類に入ってしまうのだろうか。
 去る1月31日、日中歴史共同研究の報告書が発表された。そもそも共産党支配の独裁国家と、歴史の共同研究を行おうとすること自体無理がある。中国にとって学術研究は国家の政治に従属し、共産党に奉仕するものである。案の定、歴史評価が一致したところはわずかである。両論併記ならばまだいいが、政治的に機微な「南京大虐殺」のような記述については中国側に擦り寄った報告になっているのは大きな禍根である。また中国政府に都合の悪い「天安門事件」のような記述がないのは学術研究とはいえない。
 そもそも歴史は水滴のようなものである。見る角度によって、雲にも見えれば、霧にも見える。時には虹にも見える。歴史も立場によって見え方は違ってくる。他国が見る視点に日本の認識を合わせる必要はない。まして他国の視点で見た歴史を日本の学校で教える必要はない。
 筆者が米国に留学中、同僚の英国人に質問したことがある。「英国ではアヘン戦争をどのように教えているか?」彼の返事に驚いた。「義務教育では教えていない」と答えた後、逆に質問された。「なぜ、アヘン戦争を教える必要があるのか!」虚をつかれ、言葉を失っていると彼は続けてこう言った。「学校の歴史教育は、子供達に対し先人が示した気概を教え、国家との一体感を育み、国家のために頑張ろうという志を育むための教育だ。アヘン戦争は大英帝国の栄光の歴史の中でも歴史教育の題材としてはふさわしくない。だから、義務教育では教えていない」と。目から鱗が落ちた思いがしたが、これが世界の常識なのだ。
 日本の場合、悪いことに外圧によって「近隣諸国条項」という足枷をかけられ、更に歴史教育が捻じ曲げられている。1982年教科書の記述をめぐっての誤報が発端となり、中国、韓国などの国が抗議して外交問題となった。その結果、教科用図書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という規定が入った。いわゆる「近隣諸国条項」である。歴史教育に「必要な配慮」は有害無益だ。歴史の「水滴」を日本の立場で見つめることが重要であり、英国人が言うように「子供達に対し先人が示した気概を教え、国家との一体感を育み、国家のために頑張ろうという志を育む」教育が必要なのだ。
 かつて米国教育の現状に危機感を抱いたレーガン大統領はこう言った。「もし非友好な外国勢力がアメリカに対して今日のような凡庸な教育をするように押しつけたとしたなら、それは戦闘行為に相当するとみなせるものだ。」今日のような外国勢力による日本の歴史教育への内政干渉はまさに「戦闘行為」に相当する。
 英米人から見ると日本の歴史教育は異常であろう。戦後65年、日本の歴史教育のつけは重くのしかかっている。日本人の気概は薄れ、誇りもアイデンティティも蝕まれている。オリンピックのメダルの数の少なさはその象徴である。
 欧米にはこんな言葉がある。「イギリス人を自慢しているやつはイギリス人だ。ドイツの悪口を言っているやつはフランス人だ。スペインの悪口を言っているやつはスペイン人に決まっている。」
 かつて世界を席巻したスペインは何故、没落したか。学校教育で子供達に対しスペインはインカ、マヤを滅ぼした悪い国だと自虐教育を続けた。その結果、スペイン人から誇りが消えた。これが没落の主因だといわれる。上記はこれを揶揄する言葉であるが、他人事ではない。
 中西輝政京大教授が述べるように「国というものを最も根底で支えるものは、その文化、伝統、歴史である。これを共有することで、初めて国民は一体感や安心感を得られ、社会のモラルにも命が吹き込まれる。」日本は歴史的に見ても素晴らしい文化、伝統、歴史を有する国である。過去、先人の示した気概を素直に教育し、日本の文化、伝統をしっかりと伝えていくことが学校教育で求められている。
 明治36年(1903年)、岡倉天心が弟子を伴って渡米した時のことである。羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた際、若い米国人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返したという。こういう気骨、気概、そして知性ある日本人が蘇える教育が今、最も必要とされるのだ。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2010年5月号より転載