(5) ゆでガエル

元自衛官 宇佐静男

 カエルは40℃以上の湯では生存できない。40℃の湯に入れるとカエルは生命の危機を感じて、瞬間的に飛び出す。ところが最初15℃位の水に入れ、そのまま、ゆっくり暖めると30℃になっても40℃になっても飛び出さない。そしてそのまま死に至る。これを「ゆでガエル」という。
 我々は「ゆでガエル」を笑ってはおられない。今の日本は「ゆでガエル」状態に陥っていないだろうか。
 薬物汚染、収賄、贈賄、偽装献金、振り込め詐欺、不登校、学級崩壊、学力低下、いじめ、自殺、援助交際、家庭内暴力、引きこもり、フリーター、ニート、モラル低下、マナー喪失、親殺し、子供虐待、偽装殺人等々、連日とんでもないニュースが目白押しだ。だが慣れっこになったのか、日本人にあまり危機感は感じられない。既に「ゆでガエル」状態なのかもしれない。
 昔の日本はこんな醜い日本じゃなかったはずだ。大正末期から昭和にかけて駐日大使を務めたフランス人の詩人ポール・クローデルは、こう言っている。「日本は貧しい。しかし高貴だ。地上に決して滅んで欲しくない民族をただ一つ挙げるとすれば、それは日本だ」と。
 大正12年に訪日したアインシュタインは、43日間日本各地を見て回った。離日の際、次の言葉を残している。「私は神に感謝する。神がこのように素晴らしい国を造っておいてくれたことを。」アインシュタインの訪日はラフカディオ・ハーンが記した美しい日本を実際に自分の眼で確かめることだったという。実際、日本の精神文化の高さ、美しさを自分の目で確かめ感動したのだ。
 戦後、日本は徐々に変質してきた。微々たる変化は当事者にはなかなか気がつかない。だが一歩圏外に立っている外人にはその変質振りがよく見える。日本を愛し続けた日本文学研究者ドナルド・キーンは、「学校崩壊」「モラル低下」「マナー欠如」などの日本の惨状を見て次のように嘆いている。「どうしてこうなったのか。戦後、日本が自由になったからでしょう。戦後の民主主義はいいことですが、自由を乱用しないというのはとても難しいことです。」
 世界史を紐解くと、国の衰亡は敗戦や恐慌でなく、所謂「緩慢な死」が最も多いと言われる。ベニスの歴史家ジョバンニ・ホテロは言う。「偉大な国家を滅ぼすものは、決して外面的な要因ではない。何よりも人間の心の中、そしてその反映たる社会の風潮によって滅ぶ」と。歴史家トインビーも次のように言う。「我々は常に、自らの内にある『虚ろなもの』によって亡ぶ。」
 今、日本人の心の中にある虚ろなものが感覚を麻痺させ「ゆでガエル」状態へと導いている。その虚ろなものとは物質的豊かさの追求に明け暮れ、義務や責任を軽視し、権利や自由を乱用した結果生じた日本精神の弛緩と堕落である。
 トインビーは同時に主張する。「いかなる国家も衰退するが、その要因は決して不可逆なものではなく、意識をすれば回復させられる。」
 日本人は恥の文化を誇りとし、道義や品格を重んじた。公への献身的奉仕の精神は当然のことだった。こんな日本が今、消滅しつつある。先ずこのことを意識しなければならない。危機を真正面から捉え、問題点を認識して解決に動き出せば決して不可逆ではない。「ゆでガエル」から脱し、日本精神のメルトダウン現象も止めることができるのだ。
 では、どうすればいいか。喫緊の課題は「教育」の建て直しだ。私は35年の自衛隊生活を経験し、自衛隊教育に日本再生のヒントがあると思っている。コンビニの前でジベタリアンをしているような軟弱な若者でも、目の輝きを失った引きこもりの青年でも、自衛隊に入隊し2~3ヶ月も教育を受けると、人が変わったように立派な日本人になる。新隊員課程の卒業式では、たいていの親が自分の子供の立派な成長振りを見て涙を流す。
 自衛隊教育は一言で言うと「公の復活」「国家意識の復元」である。自分の事より、先ず人の為、国の為を優先する価値観を教え込む。国のためには「事に望んでは危険を顧みず」任務を遂行しなければならないことを叩き込む。日常生活では挨拶の励行、端正な服装容儀、身の回りの整理整頓、言葉使い、時間厳守、上官に対する敬礼、礼儀作法等の人間としての基本、躾を徹底する。そして生活は「早寝、早起き、朝ごはん」を実践する。ただこれだけであるが、2~3ヶ月経つと素晴らしい日本人に変身する。
 身をもって他人を救うことの喜び、国家に尽くす大切さを感得すると眼の輝きが違ってくる。高僧の言う「己を虚しうして他を利するは慈悲の極みなり」を実践するのだ。災害派遣に出動した隊員たちの目の輝きを見てもらうとよく分かる。「人は人に生かされ、人は人のために生きる」のが人間の本来の姿であり、人間にとって真の幸せであることを実感する。また礼儀やマナーは結局、人の為に、人に迷惑をかけず、更にできたら人のためになるよう所作することであることが心から理解できるようになる。
 戦後日本社会は一貫して「公」より「私」を優先してきた。戦後教育では小学校から大学まで「個」や「自己」の実現の価値観は教えたが、「公」に尽くす価値観はあえて避けてきた。
 「公」に尽くすのは本来、人間の本能的欲求なのである。戦後、日本社会全体が「公」という普遍的価値、基軸を失った結果、国家、社会への貢献願望が抑圧された。国家と歴史、民族と文化を貶め、国歌、国旗を拒否し、揚げ句の果ては祖先、両親への敬慕、子弟間の礼節まで含めたあらゆる伝統的価値観に背を向けた。その結果、自分が何のために生きているのか分からない。そして夢も希望も失った。
 戦前は世界的にも高く評価された「教育勅語」が日本人の道徳的基軸として存在した。だが戦前を全否定したい左翼の風潮が、世界に冠たる「教育勅語」まで捨てさせてしまった。汚れた産湯を流して、大切な赤ちゃんまで流してしまったようなものだ。
 自衛隊教育はいわば教育勅語の実践といっても良い。日本人のDNAは極めて優秀である。教育勅語のエキスを実践させ、人間としての基本を教育するだけで本来持つ優秀なDNAは目覚め、見違えるように真っ当な日本人が復活する。
 マスコミは自衛官が罪を犯した場合、鬼の首を捕ったように悪意を持って大げさに報道する。だが実際は自衛官の犯罪率は一般人の1/12~1/15に過ぎない。ある航空基地内にコンビニを誘致した時のことだ。最初の月の決算で「万引き」が全くない事実に社長が腰を抜かさんばかりに驚いたという。社長によると普通は売り上げの10%程度は「万引き」用として覚悟しているのだそうだ。
 5年間及んだイラク派遣でも自衛官の不祥事はゼロだった。その規律正しさ、士気の高さを見て多国籍軍の将軍達は一同に驚嘆の声を上げた。自衛官も普通の平均的日本人である。だが教育によってこんなに変わるのだ。日本人の心には祖先から引き継いだ武士道精神のDNAが眠っている。このことを私は35年の自衛隊生活で実感した。
 逆に言えば、武士道精神という素晴らしいDNAを眠らせたまま、捨て去ってしまうような今の日本の学校教育や家庭教育が大きな間違いを犯しているのだ。最も大切な「公」を失い、まさに画竜点睛を欠いているのだ。日本の「ゆでガエル」現象は教育の貧困から来ている。日本人の美しい武士道精神のDNAを早く甦らさねばならない。
 トーマス・ジェファーソン(第3代米大統領)は「最大の国防は良く教育された市民である」といった。このままでは日本の将来は危うい。だが日本の「ゆでガエル」的衰退現象も決して不可逆ではない。トインビーも言うように意識をすれば回復させられる。急ぎ必要なことは学校教育、家庭教育の再生なのである。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2010年3月号より転載