(42) このままでは日本は自然淘汰される

元自衛官 宇佐静男

 ダーウインは「進化論」の中で、生存の機会が保障されるのは、「強い者」でなく、「環境に適応する者」であると説いた。うまく適応できなければ自然淘汰される。これは国家の安全保障にも通じることである。
 現在、経済、軍事力共に力を付けた中国は、益々傍若無人になり、尖閣諸島のみならず、沖縄まで触手を伸ばしてきた。北朝鮮は核兵器とミサイルを開発し、標的は「日本も決して例外ではない」と物騒な脅しをかけるようになった厳しい安全保障環境で日本が生存していくには、勿論「強い」ことは必要であるが、これだけでは十分ではない。重要なことは、「安全保障環境に適応」できることだ。
 日本は現下の安全保障環境に適応しているだろうか。実情はとても言いがたい。適応できていない原因は、自衛隊の装備でもなければ、隊員の質や練度でもない。それは時代遅れの防衛法制にある。
 これからの時代は如何なる時代なのか。冷戦時に想定された国家間の全面的武力衝突などの蓋然性は低い。むしろ平時か有事か分からないような宣戦布告なき緊張状態が常態となろう。
 現在、尖閣諸島周辺で領土主権をめぐり中国と緊張状態にあるがこれが典型である。中国は武力衝突を避けつつも、軍隊ではなく公船や漁船、漁民などを使って緊張感を作り出し、実効支配を奪取しようと目論んでいる。
 これからの安全保障は、冷戦時のような「有事、平時」という明確な境界が消滅し、「治安」なのか「防衛」なのか、「犯罪」か「侵略」かが明確でない。
 あるいは「前線」「後方」の区別がつかないといったファジーでグレーな時代である。しかも、何時、何処で、どういう事態が起こるか予測困難である。
 こういう環境下で我が国を守るには、どうすればいいのか。先ずは危機を発生させないことである。そして、もし不幸にも危機が発生したら、それ以上悪化、拡大させないこと。そして短時間で既成事実を作らせないことである。このためには、危機が発生したら間髪を入れず適切な対応をとることが求められる。
 現在の日本には、この対応能力はあるのか。自衛隊にはこの能力も意思もある。だが、現実には旧来の防衛法制が自衛隊の対応能力を困難にしているのだ。
 例えば、尖閣周辺で海上保安庁の巡視船が中国軍艦に攻撃されたとしよう。
 現在、海上自衛隊の護衛艦は、海保巡視船と一定の間隔を保って警戒に当たっている。海保巡視船が中国海軍から攻撃を受けたら、これを撃退できるのは海自護衛艦以外にない。急迫不正の侵害であるから、個別的自衛権を行使して、間髪を入れず中国軍艦を撃退できるはずだ。能力的にも十分可能だ。もし日本が拱手傍観していれば、中国海軍は更なる攻撃を仕掛け、事態はエスカレートする。こうなれば、あっという間に日本の実効支配は消滅し、中国支配の既成事実ができてしまう。
 当然、海自護衛艦は自衛権を行使してこれを撃退すると思っている人は多いだろう。だがそれは間違いである。現行憲法では個別的自衛権の行使は認められている。だから急迫不正の侵害を受けたら、自動的に自衛権行使ができるかというとそうではない。現行法制では総理大臣が自衛隊に対し「防衛出動」を命じていなければ自衛権の行使はできないのだ。
「防衛出動」を命ずるには、先ず武力行使事態を国会が認定し、「防衛出動」発令の国会承認を取り付けなければならない。煩雑な手続きと相当な時間が必要であり、とても間髪を入れずに自衛隊が動けるという状況ではない。
 現行法制は、冷戦時代の遺物である。冷戦時、ソ連の日本侵攻という最悪の事態を想定していた。侵攻前にはソ連は軍隊を動員し、部隊を集結させたり、物資を集積したりするので、その兆候を察知することができる。兆候を察知してから実際の武力侵攻まで3カ月くらいのリードタイムがあるので、その間に防衛出動下令に必要な国会承認などの手続きを踏めばいいと考えていたわけだ。
 時代は変わり、先述したように「有事、平時」の境界が消滅し、ファジーでグレーな時代になった。何時、何処で、どういう事態が起こるか予測困難であり、事態はある日前触れもなく突然発生する。しかし一旦事態が勃発したら間髪を入れず対応し、事態の悪化を防がねばならない。安全保障環境はこのように変化した。だが防衛法制は全く冷戦から変化しておらず、時代に取り残されて来た。その結果、海保巡視船が攻撃されても、近くにいる海自護衛艦は身動きが取れず、結果的に巡視船を守ることができないのだ。
 隊法 82 条「海上における警備行動」を根拠に海保巡視船を守れるはずだと主張する識者もいる。だがこれも誤解である。「海上における警備行動」は実際、過去二回発動されたことがある。今の政治の仕組みでは、攻撃前の絶妙のタイミングで「海上警備行動」が発令されることを期待することは難しい。
 百歩譲って、絶妙のタイミングで政府が「海上警備行動」を発令したとしよう。だが「海上警備行動」で許容されるのは警察権の行使であり、自衛権の行使ではない。従って巡視船が攻撃される前に攻撃を防ぐ防衛行動はとれない。
 しかも巡視船が沈められてしまった後であれば撃退することはできない。
 では航空自衛隊は、空から海保巡視船を守れるのか。結論から言うとこれもできない。能力は十分にあるが根拠法令がないからだ。平時であれば、行動できる根拠法令がなければ身動きがとれない。自衛隊は諸外国の軍と違って、平時にあっては法律で定められた行動以外は禁止されている。いわゆるポジティブリスト方式を採用されているからだ。繰り返すが、現行防衛法制では、「防衛出動」が下令されない限り、個別的自衛権の行使はできない。この 4 月、北朝鮮のミサイル発射恫喝事件で防衛大臣は「弾道ミサイル等破壊措置命令」を発令した。何故「迎撃命令」でなく「破壊措置命令」なのかと素朴な疑問が湧く。だが日本の防衛法制の問題はこれに象徴されている。
 4 月 17 日の北朝鮮労働新聞には「米国が核戦争の導火線に火をつければ、ただちに侵略者らの本拠地に核の先制打撃権を行使する」とし「日本も決して例外ではない」とあった。「三沢、横須賀、沖縄」が名指しされ、攻撃目標とされた。にもかかわらず、「防衛出動」が下令されていないから、個別的自衛権が行使できない。個別的自衛権が行使できないから「迎撃」ではなく「破壊措置」なのである。
 ちなみにロックリア米太平洋軍司令官は「米国や同盟国が標的になっていれば撃墜」すると述べている。つまり自衛権を行使すると明言している。独立国としては、これが当たり前なのだ。
「防衛出動」下令には膨大な手続きと時間を要す。海保巡視船が攻撃を受けたような場合には、とても間に合わない。しかも「防衛出動」の国会承認を得ようとすれば、マスコミの報道は過熱し、朝野を挙げて大騒ぎになるに違いない。しかも「防衛出動」の論議は、対外的には「宣戦布告」との誤ったメッセージを与える可能性が強い。当然、中国は「日本は戦争をしようとしている」「挑発行為だ」といったネガティブキャンペーンを国際社会に発進するだろう。こうなれば政府も「防衛出動」下令を躊躇するに違いない。そうなれば、日本は攻撃されても個別的自衛権さえ行使できない自縄自縛に追い込まれる。
 現在、集団的自衛権について、「保有するが行使できない」という憲法上の制約を、解釈の変更で行使可能にしようという論議が始まっている。だが、その陰でもっと深刻で重要なことが忘れ去られている。個別的自衛権が事実上行使できず、自分を守ることすらできないという実情である。
 集団的自衛権の解釈見直し論議で、「公海における米艦の防護」という類型がある。現在、日本防衛のため公海上で警戒中の米海軍艦艇が他国から攻撃された時、近くにいる海自艦艇はこの米艦艇を守ることができない。集団的自衛権行使にあたるからだ。これを海自艦艇が守れるようにすることは日米同盟の緊密化という観点からは一歩前進に違いない。だが同時に、個別的自衛権も行使できるよう防衛法制を変えなければ、「米海軍艦艇を守ることができても、海保巡視船は守れない」といった独立国にあるまじき状況にになってしまう。
 この解決策はあるのか。「防衛出動」が下令されなくても、状況によって個別的自衛権行使(通称「マイナー自衛権」)ができるように解釈を変更することだ。
 実情を知らず、勉強不足のメディアなどは、またぞろ「日本を戦争する国にするのか」といった的外れで軽薄なキャンペーンを張り、激しい憲法論議が起こるに違いない。だが日本国家・国民の安全を確保し、主権を守り、独立を維持するためには、防衛法制をこれからの時代に適応した形に見直していかなければならない。これまで放置したのは政治の怠慢である。尖閣周辺の緊張状態を見ても見直しは一刻の猶予も許されない。また一銭の予算もかからず、政府の意思さえあれば明日にでも実現できることなのである。
 ダーウインが言うように環境に適応しない者は自然淘汰される。「これからの時代」に適応すべく防衛法制の見直しを図ることは、日本の生存に不可欠なのだ。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2013年7月号より転載