(44) 国益を損なう元首相の言動

元自衛官 宇佐静男

 参議院選挙が終わり、自民党が大勝した。今後、衆参ねじれ状態が解消され、「決められる政治」への期待が膨らむ。他方、投票率が52.6%と戦後3番目の低さだったという。
 国民は選挙を通じて国政に参画する。今回紹介する酷い事例は、国政への無関心が、やがてブーメランのように我が身に降りかかってくることを教えてくれている。
 6月下旬、尖閣諸島の領有権問題で依然日中の緊張が続く中、鳩山由紀夫元首相が訪中した。鳩山元首相は中国滞在中、こともあろうに尖閣諸島の領有権に関し、日本政府の見解とは異なる発言を繰り返した。
 発言内容に少しでも妥当性があればまだいい。だが、鳩山発言は自らの思い込みや、事実誤認が多く、ほとんどが勉強不足である。結果として日本の国益を著しく損ねている。
 もともと総理大臣の時から、「日本列島は日本人だけのものではない」といった非常識なことを述べていた人物である。だからといって「しようがない」では済まされない。中国側から見れば「元日本国総理大臣」である。また、元首相の発言として全世界に報道されているのだ。
 鳩山氏は香港のフェニックステレビのインタビューに応じ、日本が受諾したポツダム宣言には「台湾及澎湖島のごとき日本国が清国人より略取したる一切の地域を返還」するとしたカイロ宣言履行が盛り込まれているとし、「(尖閣は)中国側から見れば盗んだと思われても仕方がない」と述べた。尖閣の日本編入についても「1895年に日清戦争の末期にそっと日本のものにしてしまった」と中国の主張に迎合した。
 更に、日中間には尖閣領有権をめぐる「棚上げ」合意が存在すると中国側に媚びた発言をしている。その根拠として、野中広務元官房長官が田中角栄元首相から「聞いた」とする伝聞を引用し、「これは歴史的事実だ」と根拠なく断言した。
 一連の鳩山発言は事実誤認が多く、菅官房長官が言うように「開いた口がふさがらない」。海江田民主党代表も「首相を経験したという立場もある。よくその立場をわきまえた発言をお願いしたい」と苦言を呈する始末である。
 尖閣の領土編入は、日本が勝利した日清戦争の時期とほぼ重なる。これをもって中国側は「勝利間近の機に乗じて略取した」「中国の土地が戦争の混乱の中でかすめとられた」と主張するが事実とは異なる。
 日本政府は1895年1月、尖閣諸島を領土に編入することを閣議決定した。だが尖閣諸島がどこの国にも属さず、しかも人が住んでいない国際法上の「無主の地」であることを調べ始めたのは、日清戦争が勃発する9年前の1885年のことである。
 1885年当時は、清国は日本よりはるかに強大な軍事大国であり、清国が尖閣諸島を自国領だと言えば、誰も文句が言えない時代だった。1886年に起こった「長崎事件」が象徴的である。この年、世界最強の軍艦である「定遠」「鎮遠」など4隻の清国北洋艦隊が長崎を訪れた。上陸した清国水兵は暴行や略奪を繰り返し、多くの日本人が死傷するという事件が起きた。これが「長崎事件」である。
 清国の圧倒的な軍事力を背景に、明治政府は為すすべもなく、賠償金なども妥協せざるを得なかった。井上馨外相はこの時、清国と事を構えることは得策ではないと述べている。
 この力関係が現実の姿であった。だが、清国から「無主の地」に対し、何ら領有権の主張はなかった。これを確認した日本政府は、ようやく1895年に正式に日本に編入したわけだ。日清戦争のドサクサに紛れて「盗んだ」ものでもなんでもない。正当な国際法の手順を踏んで領土としたものであり、清国も認めていたのである。
 その後、尖閣諸島に移り住んだ日本人が、魚釣島付近で遭難した31人の中国漁民を救助したことがあった。1920年には,当時の中国の外交機関である中華民国駐長崎領事から感謝状が贈られている。これには「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記され、尖閣諸島を日本領土として認めている。
 以上の史実から見ても、尖閣諸島は日本固有の領土であることに疑いはない。従って日中間に領土問題はないというのが日本政府の立場なのである。
 鳩山氏は誤認識の自覚もなく、懲りずに「カイロ宣言には、日本が清国から盗んだものは、返さなければならないとある」「尖閣諸島には領土問題が存在する。日本政府は認めるべき」「尖閣は棚上げにすべきだ」と中国側に媚びた主張を繰り返している。
 カイロ宣言とは1943年11月22日、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、中華民国国民政府主席蒋介石によって行われた会談の結果、連合国側の戦後処理の基本方針を示したものである。
 この宣言には、第一次世界大戦により占領した太平洋の全島奪還、及び日本が中国領土から奪った領土の中華民国への返還(例として満洲、台湾、澎湖諸島)が含まれている。だが、尖閣諸島は「台湾」の附属島嶼には含まれてはいなかった。
 そもそも戦争の結果としての領土の処理は、最終的には平和条約など国際約束に基づいて行われる。このカイロ宣言は条約でもなく、法的拘束力を持たない。カイロ宣言には公文書すら現存していない。
 大東亜戦争後、日本の領土を法的に確定したのはサンフランシスコ平和条約である。日本はサンフランシスコ平和条約により、日清戦争によって中国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島の領有権を放棄したのであり、これには尖閣諸島は含まれてはいなかったのだ。
 その証拠に、以後、米国が尖閣諸島の施政権を行使した。このことに対し、主要連合国である米,英,仏,中国(中華民国及び中華人民共和国)のいずれも異議を唱えていない。米国の施政権下に置かれた以降、尖閣諸島は米軍によって射爆場などとして利用されてきた。中国はこれにも抗議していない。1972年には沖縄が返還されるが、もちろん、その時に尖閣諸島も返還されたのだ。
 史実を見れば一目瞭然である。何故、鳩山氏は自らの誤りを認めようとせず、中国側の捏造した主張に阿るのか。筆者にはどうしても理解できない。
「棚上げ論」についてもそうだ。中国は日中平和条約を締結する際、「釣魚島の問題を棚上げし、将来の解決にゆだねることについて了解と共通認識に達した」と主張しており、日本による尖閣諸島国有化を両国の了解と共通認識に背くと批判している。鳩山氏は問題を「棚上げ」した上で、対話の場を設けることが落としどころだと中国の主張に迎合している。「日本の方からそういうメッセージを送れば、あっという間にこの問題は落着点を作れる」と大真面目に述べるから驚きである。
 そもそも72年の国交正常化時の日中共同声明、78年の日中平和友好条約のいずれも、尖閣諸島に関する記述はない。首脳会談などで、棚上げについて一致した事実もない。中国は今になって「棚上げ論」を持ち出してきたが、自分が不利になると、とりあえず「棚上げ」にして時を待つというのは中国の常道である。
 中国は「力の信奉者」である。相手が強いと下手に出、弱いと強面に出る。かつて、鄧小平は「韜光養晦」を主張した。「頭を下げて低姿勢で外交はやるべき」との方針である。1990年代、米国との実力差が歴然だったからであり、実力を付けるまでの間、物事は決着をつけずに「棚上げ」して時を稼ごうとしたのだ。
 二十数年間にわたる驚異的な軍拡を経て実力を付けた中国は、もう「韜光養晦」は卒業だと言わんばかりの傍若無人な姿勢を東シナ海、南シナ海で示すようになり、尖閣にも攻勢をかけてきた。だが、日本の強固な姿勢と米国の対中国牽制の動きにより、今は攻勢は利にあらずと判断し、再び「棚上げ論」を出してきたのだ。
 百歩譲って、中国が主張するように、日中間で「棚上げ論」が暗黙の了解であったとしよう。だが、これは既に中国側によって破られている。1992年2月、中国は領海法を制定し、「釣魚島」など尖閣諸島を自国の領土と初めて明文化した。この時、日本政府は「極めて遺憾で是正を求める」と抗議している。
 中国の主張は支離滅裂である。「棚上げ論」は中国の戦術に過ぎない。元首相でもあった人が軽々しく「棚上げ論」を口にしたことで、中国はさぞかしほくそ笑んでいるに違いない。
 中国は1971年に突然、自国領だと主張し始めた。石油資源が目当てであるのは明らかだ。1969年5月、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が、尖閣諸島周辺海域に膨大な石油資源が埋蔵されているとの調査結果を公表した。それを機に中国、台湾が領有権を主張し始めたのだ。
 中国のニュース番組で、鳩山氏は自らの誤認識に輪を掛けるように、次のようにも述べている。
「日本の政府が早く正しい道を見出していけるように」「不況により国民は自信を喪失。そういうときに強い言葉を言う政治家が好まれてしまう」
 こういう愚劣な人物を国会に送り、一時的にせよ首相の地位にあったことを筆者は恥ずかしく思う。だがその責任は我々国民にある。今回の参議院選挙で、特に20代の若者の投票率が低かったという。無関心というブーメランは、やがて鋭い刃をむき出しにして我々を襲ってくることを、鳩山氏という反面教師は教えてくれている。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2013年9月号より転載