(51) 日本人は歴史に自信を持って立ち向かえ

元自衛官 宇佐静男

 韓国の朴槿惠大統領は昨年 3 月に就任して以来、強硬な「反日」姿勢に終始している。翌 3 月には「加害者と被害者という歴史的立場は、1000 年の歴史が流れても変わることはない」と発言した。就任以来、米国を皮切りに諸外国を歴訪したが、異例なことに日本には訪問せず、行く先々で日本を批判するという「告げ口外交」を展開している。
 韓国では「反日」の言動をとれば国民の支持率が上がる。歴代大統領は、任期後半になると支持率が下がるため、「反日」を利用して支持率を上げようとした。李明博前大統領は就任当初、「私はそういうことはしたくない」と発言していたが、任期後半になって支持率が落ちるとやはり同じ手口を使った。
「加害者と被害者という歴史的立場」と朴大統領は言う。これを否定はしないが、当時の世界情勢を振り返れば、植民地は珍しくなかったし、歴史を現代の価値観で裁くことは愚かなことだ。当時の「植民地支配」を今、「絶対悪」と裁いても意味はない。
 日本の朝鮮統治は「世界で最も残虐な植民地政策」と一方的に糾弾されている。だが、客観的資料をもとにして歴史的事実を公平に見れば、日本の朝鮮統治は決して「植民地支配」ではなかったことは明らかである。これまで朝鮮統治については、他の植民地の統治状況との比較すらタブーとされ、事実は捻じ曲げられ、日本が一方的に悪者に仕立て上げられてきた。
 米国では日本の朝鮮統治に関する実証研究が進んでいる。最近、米国研究者が史実に基づき、客観的に検証した研究論文が注目を浴びている。日本でも「『日本の朝鮮統治』を検証する」という翻訳本が出版された。この研究では、日本の朝鮮統治を「植民地支配」と同一視している過誤はあるが、同時代の他の植民地保有国と比較しても、日本の統治は「九分通り公平だった」と結論付けている。韓国の民族主義史観に対して、アメリカ人研究者が客観公正な立場で検証した意味は大きい。
「七奪」は日本を糾弾する際のキーワードである。「主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源」の七つを日本は奪ったという非難である。「主権」を奪ったのは事実である。だが、この時代の朝鮮は、政治は腐敗堕落し民衆は極貧の状態に置かれていた。国家の体をなしておらず、独立国といえる状況ではなかった。半ば清国の属国であり、やがては南下政策をもくろむロシアに征服されることが予想される状況だった。
 清の属国になろうが、ロシアの属国になろうが朝鮮の勝手と言えばそれまでだが、朝鮮がロシアの支配下に入ることは、日本の安全保障上受け入れることはできなかった。このため国家の命運をかけて日露戦争を戦った。戦後も朝鮮を近代国家にして、ロシアの防波堤にしようとした。こういった国際情勢も無視できない。
「国王」は奪われたのか。大韓帝国皇帝は統治権を天皇に委譲したが、朝鮮の皇室はそのまま維持された。財政的にも日本が保障した。皇太子李垠殿下には日本の皇族である梨本宮方子女王が嫁ぎ日韓皇室の融和を図った。朝鮮の貴族も合計して 76 名が侯爵、伯爵、男爵の地位を与えられている。ビルマの王室やハワイの王室が英米によって消滅させられたのとは明らかに違う。国王を奪われたと非難するならば、何故、独立回復後、朝鮮皇室を復興しなかったのか。
「人命」を奪ったという非難もフェアでない。日本は、朝鮮の「義兵軍」による反乱(1908-09)を鎮めるために、推定 1 万 7 千 6 百人の朝鮮人犠牲者がでたのは事実である。だが諸外国の植民地統治と比較すれば異例なほどの穏健な統治であった。
 フランスはインドシナ戦争(1945-54)で百万近いインドネシア兵士や民間人を殺害した。アルジェリア独立戦争(1954-62)では 50 万以上の現地人が亡くなった。オランダはインドネシア独立戦争で 10 万人のインドネシア兵を殺戮し、推定 10 万人もの民間人を殺害している。
 犠牲者数が少ないから良い統治だと言っているわけではない。朝鮮に近代国家を建設するため多く努力がなされた。衛生状況は格段の改善が図られ、疫病の流行は 1920 年が最後となり、乳児の死亡率が激減し人口増につながった。日露戦争後には人口は 980 万人だったが、併合後の 1912 年には 1400 万人に急増した。1926 年には 1866 万人、1938 年には 2400 万人、併合前の 2.4 倍に増加している。
 教育にも日本は全力を投入した。1906 年に交付された「普通学校令」を朝鮮総督府が推進し、併合直前には 100 校あった小学校が 1915 年には 410 校、1936年には 2500 校、1944 年には 5213 校となり、義務教育の就学率は飛躍的に増加した。1924 年には京城帝国大学が創設された。東京帝大、京都帝大、東北帝大、九州帝大、北海道帝大に続く6番目の帝国大学であった。大阪帝大や名古屋帝大より早く作られたのだ。こういうことは「植民地統治」ではありえない。
「国語」についてもそうだ。朝鮮総督府はハングル語の教育も重視した。ハングル語は 1443 年、李朝 4 代目の国王、世宗によって始められた。だが 1506年、11 代目の国王、中宗によって廃止された。復活したのは約 400 年後の日本統治時代である。1938 年、親日派の朝鮮人が南次郎総督を訪れ、「朝鮮語の全廃」を提案した。だが南総督は「日本語の使用はよいが、朝鮮語の排斥はよくない」と述べ、朝鮮語の普及を推進した。「国語」を奪われたとは事実ではない。
「創氏改名」を強制して無理やり「姓氏」を奪ったというのも間違いだ。朝鮮では申告制で、誰でも申告すれば日本名に変えられた。この制度は朝鮮人の強い要望で実現したものである。日本名の方が中国人に対して威張れるといった背景があったという。
「土地」を奪ったという話も、事実と反する。実際には朝鮮総督府が農地を調査し、所有者が明らかでない土地を接取して、払い下げたというのが事実だ。
 その土地は全体の約 3%に過ぎず、正当な売買によって取得した土地をあわせても 6%に満たない。
 治山治水事業も日本からの莫大な費用で推進された。水田面積は増大し、農業生産が飛躍的に拡大した。1910 年まで 1000 万石を一度も越えることのなかった米穀収穫量が、1930 年代になると、常に 2000 万石を突破した。
 電力事業でも日本は多くの水力発電所を建設している。当時、日本の発電所が出力 4 万 5 千キロワットという時代に、白頭山、豆満江に 15 万キロワットの発電所を作り、鴨緑江流域には 7 箇所もダムを建設した。特に水豊ダムは高さ102m、出力 70 万キロワット(戦後の黒部ダムでも 33.5 万キロワット)という巨大なダムである。これを 3 年かけて作り、エネルギーを確保した。交通インフラについても鉄道網の拡大に努力し、1910 年には総延長 1040kmの路線が1945 年には 6632kmに達している。
 重要なことは、これらがほとんど日本からの資金で賄われたことだ。伊藤博文は併合にはお金がかかるという理由で、併合に反対だったことはあまり知られていない。朝鮮総督府はつねに資金面で窮乏しており、負債はかさむ一方だった。総督府予算の財源は大半が借金で賄われており、1941 年には債務が 10億 3500 万円に達している。
 日本政府は累計約 21 億円を朝鮮に注ぎ込んだが、これは現在の貨幣価値で 63兆円にのぼるという。第 3 次日韓協約が締結された 07 年からの 38 年間で、日本は 1 日 45 億円の血税を朝鮮に援助したことになる。「朝鮮の福祉は本国の日本人の犠牲の上に成り立っているようなものだ」と米国研究者は述べる。「略奪と搾取」に代表される植民地支配とは真逆なのだ。
 日本が朝鮮の国民的威信を傷つけたことは否定しない。だが、この時代の朝鮮は、政治は腐敗堕落し民衆は極貧の状態に置かれていた。日本はこの朝鮮を日本と同じような近代国家にしようと腐心した。その結果、米国研究者が語るように、「大韓帝国初代皇帝だった高宗(在位、1863-1907)の治世を含む李朝時代(1392-1910)に比べて、朝鮮の全体的状況は改善された」のだ。
 英国統治下にあったインドでは、1874 年から 79 年の間に推定 400 万人の餓死者が出ている。一方、1905 年から 1945 年の間には、朝鮮では一度も飢饉はなく、餓死した人もいない。朝鮮統治を可能な限り客観的に検証した二人の米国人研究者は次のように結論付けている。 「朝鮮の近代化のために、日本政府と朝鮮総督府は善意を持ってあらゆる努力を惜しまなかった」「日本の植民地政策は、汚点は確かにあったものの、日本の統治政策が当時としては驚くほど現実的、穏健かつ公平で、日朝双方の手を携えた発展を意図したものであり、同時代の他の植民地保有国との比較において、『九分通り公平 almost fair』だったと判断されても良い」
 朝鮮半島の人々は、こうした歴史的事実を直視すべきだろう。日本の朝鮮統治は「植民地政策」ではなく「朝鮮近代化政策」だったのだ。
 韓国の「反日」は、とどまることを知らず暴走を続けている。これは我々にも責任がある。激しい「反日」言動にたじろぎ、客観的事実を遠慮して発言しないことが「反日」を増長させた面もある。
「歴史を直視せよ」という。それは双方に求められていることで、日本だけに求められているわけではない。我々日本人も客観的な事実を踏まえ、言われなき批判に対しては毅然として反論しなければならない。かつて「善いこともした」といって罷免された閣僚がいる。米国の研究成果にもあるように、実際「善いこともした」のである。日本人は歴史に自信を持って、毅然として振舞うべきである。事実から目を背ける限り、日韓関係は永遠に正常化しないのだ。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2014年5月号より転載