(53) 集団的自衛権論争に見る日本人の精神的呪縛

元自衛官 宇佐静男

 小田原評定のような与党協議の末、7 月 1 日、集団的自衛権行使容認の閣議決定がようやくなされた。政府は早急に個別の法案策定にとりかかると共に、年末までに実施される日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定作業に反映させるべきである。
 集団的自衛権行使の必要性については、先月号で指摘したので詳しくは述べない。これからの国際情勢においては、自由、民主主義といった価値観を共有する国々とスクラムを組み、負担やリスクを分担しながら、国際社会の平和と安定を確保することによってしか、日本の平和と安全を確保することはできない。これまでのように日本だけが汗も血も流さず、平和を享受することは最早できない。
 残念ではあるが、日本は一国では国を守ることはできない。先ず、この事実を直視しなければならない。東シナ海で傍若無人化が著しい中国に対して、日米同盟なしでは日本を守ることは出来ない。
 前米国国家安全保障会議部長のトーケル・パターソンは次のように警告している。
「集団的自衛権を行使できないとして、平和維持の危険な作業を自国領土外では全て他国に押し付けるという日本のあり方では、日米同盟はやがて壊滅の危機に瀕するだろう」
 日本さえ安全であればといった「一国平和主義」では、日米同盟が壊滅するだけでなく、世界から孤立し、結果的に日本の安全を失うことになる。
 4 月にオバマ米国大統領が訪日した。その際、尖閣諸島には日米同盟が適用されると明言した。大多数の日本人は大統領の発言に安堵したはずだ。だがこれは米国の集団的自衛権行使なのである。日本は米国の集団的自衛権行使の受益者であるにもかかわらず、日本が集団的自衛権を行使するのを躊躇する。その身勝手さについては、メディアも触れようとしない。
 今回も秘密保護法案の時と同様、一部メディアはオドロオドロしいキャンペーンを張って反対した。「憲法は葬られ、『ナチスの手口』」「歯止め、きかぬ恐れ」「際限のない軍拡競争につながる」「国家の暴走」「戦争加担の恐れ」「思うがままに武力を使いたい」(以上、朝日新聞)
 何故、「ナチスの手口」であり「再現のない軍拡競争」につながるのか。全く理解しがたい。必要性や中身の議論ではなく、感情や思い込みが先行し、実のある冷静な議論は避けられてきた。集団的自衛権行使に反対するのであれば、個別的自衛権だけで日本の安全が保障されることを説明する必要がある。だがそういう論考にはお目にかかったことがない。
 特徴的なのは、「どう歯止めをかけるのか」「9条の『たが』を外すな」のように、やたら「歯止め」や「たが」と云う言葉が氾濫したことだ。集団的自衛権は権利であって義務ではない。行使するかどうかは国民の代表たる日本政府が決めるのだが、何故、自分達が「歯止め」であり「たが」だという主体的な発想がないのだろう。
「政府」は国民とは敵対する存在で、「政府」は何をするか分からないとの空気が日本を支配しているようだ。日本は独裁国家ではない。政府は国民が選ぶのであり、政府が国民とは全く別の存在であることはあり得ない。奇妙なことに、集団的自衛権と言う権利を、国民が必要なときに自らが判断して行使するのだという主体性が何故か感じられない。
 国連加盟国の中で、日本だけが唯一集団的自衛権の行使が出来ない国である。普通の国に認められているものが、何故、日本に認めてはいけないのだろう。他の国ならいいが、日本なら何故「明日にでも侵略戦争を始める」のだろう。日本人は日本人が信用できないという歪んだマインドを持ち、自分自身に誇りや自信が持てないことに原因がある。
 先の大戦で、日本人は親や子を失い、家は焼かれ、食うに食なく、虚脱感と空腹に打ちひしがれ、自信や誇りを失った。来年で戦後 70 年の年月が経つ。この間、日本は奇跡的な復興を成し遂げ、民主主義を基調とする平和国家として立派な足跡を残してきた。だが、未だに誇りや自信が持てず、日本人を信用しない日本人が多い。これは戦後、連合国総司令部(GHQ)が実施した日本統治政策の影響が未だ色濃く残っているからだ。
 GHQ による日本占領政策の最大の眼目は、二度と日本が米国に歯向かわないようにすることだった。そのためには、日本人に自信や誇りを失わせ、贖罪意識を永久に持たせなければならない。GHQ は巧妙な日本人洗脳政策を実施した。現行憲法もその一つである。
 憲法は日本人によって策定された形をとっているが、GHQ 主導で作られたことは公然たる事実である。憲法の前文にはこうある。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
 つまり「政府」は勝手に戦争を始める悪の存在で信用できない。だから国民は常に政府を監視し対峙すべきであるということだ。更に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。日本以外の国は「平和を愛する」国であり、日本さえ悪いことをしなければ世界平和が訪れる。「平和を愛する諸国民」の「公正と信義」があれば、日本の安全や生存は保持できる。日本人は何をしでかすか分からないから日本が軍隊を持てば戦争になる。だから日本は軍隊を保有すべきでない。こうやって日本人を洗脳してきたのが現行憲法なのだ。
 日本人に自信や誇りを失わせる GHQ の政策は巧妙を極めた。ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP: War Guilt Information Program)は、今は良く知られている。戦争への罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝政策であり、GHQ による日本占領政策の重要な柱とされた。
 GHQ は新聞社に対し、日本軍の残虐行為を強調した「太平洋戦争史」を連載させた。「太平洋戦争史」は米国から見た都合のいい歴史のみが書かれており、歴史という名の宣伝文書である。これによって日本の「政府」(=「軍国主義者」)は「国民」と対立すべき存在という概念を植え付けた。新聞社は紙が GHQ から割り当てられるため、GHQ に逆らう報道はできなかった。事実、GHQ の意向に沿わない記事を載せ、休刊を強いられた新聞もある。GHQ は、NHK ラジオも利用した。「真相はかうだ」がその代表番組である。脚本は GHQ の民間情報教育局(CIE)が担当し、米国の都合のいい内容を、ドキュメンタリー形式を装ったドラマ仕立てで大々的に報道し、「日本政府(=軍国主義者)」と「国民」の対立という架空の構図を国民の脳裏に刷り込んだ。これによって大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「日本政府」が悪かったから起った災厄とされた。「日本だけが悪い」という洗脳効果は未だに日本人の精神を呪縛し続けている。
 戦争はどちらかが一方的に悪いということはありえない。大東亜戦争は自衛戦争の色合いが濃い戦争だった。昭和 26(1951)年 5 月、ダグラス・マッカーサー将軍は帰国後、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、「日本の戦争は自衛戦争であった」と証言している。
(“Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.”)敵の大将が証言しているから間違いはない。
 米国にとって不都合な真実は、全て検閲によって封印され、逆に日本が誇りを持てるような歴史的事実はことごとく抹消された。結果、日本人の誇りはズタズタに引き裂かれた。
 文芸評論家の江藤淳氏は著書『閉された言語空間』の中で次のように書いている。
「いったんこの検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、(中略)日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け・・・」
 GHQ の洗脳政策は予想以上の成果を上げ、日本人のアイデンティティは崩壊した。何より問題なのは、自分たちが洗脳されていることに気がついていないことだ。今回の集団的自衛権論争で、精神的呪縛の実態が明らかになった。「憲法と云う政府への縛りが意味を失う」という言葉がそれを代表している。
 米国のアジア研究学者ベン・セルフ氏は集団的自衛権について次のように述べる。
「全世界の主権国家がみな保有する権利を日本だけには許してはならないというのは、日本国民を先天的に危険な民族と暗に断じて、永遠に信頼しないとする偏見だ。差別でもある。日本を国際社会のモンスター、あるいは何時までも鎖に繋いでおかねばならない危険な犬扱いすることになる」
 日本が「国際社会のモンスター」であり、「何時までも鎖に繋いでおかねばならない危険な犬」だと差別しているのは、実は日本人自身なのである。
 戦後日本の平和国家としての歩み、国民主権、民主主義、自由や人権の定着など、世界各国と比較しても、自信をもって堂々と胸を張れるはずだ。自虐的になる必要など更々ない。もうそろそろ WGIP の呪縛から脱し、日本人自らが考えて、自らが判断し、そして主体的に行動に移すべき時だろう。日本人はもっと誇りと自信を持つべきだ。今回の集団的自衛権論争は、それを教えてくれている。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2014年8月号より転載