(56) 油断してはならない「サラミ・スライス戦略」

元自衛官 宇佐静男

 最近、国際法違反の行動が目に余る中国である。昨年 11 月、中国は東シナ海に防空識別圏を一方的に設定した。防空識別圏を設定すること自体は問題ない。だが、設定した空域は公海上であり、飛行の自由は国際法で保障されている。にもかかわらず、飛行計画の提出や中国当局の指示に従うことを強制する。明らかな国際法違反である。
 今年の 5 月と 6 月、この空域(日本の防空識別圏と重なるエリア)で自衛隊航空機のみならず米軍機に対しても異常接近し、威嚇行動をとった。8 月には南シナ海を飛行する米軍機に対し、約 10mという衝突寸前まで異常接近し、危険な威嚇飛行を繰り返した。米国の抗議に対し、「米偵察機を追い払うことは中国の核心的利益だ」(環球時報)と嘯いている。
 海上でも同様に挑発的行動が続く。昨年 12 月、中国艦艇が南シナ海を航行する米海軍イージス巡洋艦「カウペンス」の進路を妨害し、危うく衝突するところであった。今年 1 月には南シナ海に漁業管轄権を一方的に設定し、許可なく他国の漁業を禁止した。5 月には西砂諸島で一方的に石油掘削作業を開始し、抗議するベトナム船に衝突し沈没させた。
 幸いにも死者が発生しなかったので、国際社会はさして注目していない。実は中国の狙いはここにある。国際社会の注目を受けないようにして既成事実を積み重ね、時間をかけて領有権を獲得する戦略なのだ。こういう中国の行動を、米国の軍事ジャーナリスト、ロバート・ハディック氏は「サラミ・スライス戦略」と名づけた。一本のサラミを盗めば直ぐに分かる。だが、薄くスライスして、少しずつ盗めば気が付かない内に全てをものにできるということだ。
 中国は軍事力で勝る米国と事を起こしたくない。経済もグローバル経済に依存しているので、国際社会から制裁を受けるようなことは避けたい。衝突は小競り合い程度に収めつつ、目立たぬよう時間をかけて既成事実化を積み重ね、最終的には目的を達成する。これが中国のサラミ・スライス戦略なのである。
 中印国境にあるアクサイチン高原をインドから奪取したやり方が典型例である。アクサイチン高原はインドのカシミール地方にあり、スイスとほぼ同じ面積である。1954 年から62 年にかけ、中国人を牧草地に逐次入植させ、中国人勢力が強くなるとインド人牧場主を追い出していった。約 10 年間、これを繰り返していくうちに、アクサイチン高原は中国人入植者だけになった。インドはスイスと同面積の領土を中国にもぎ取られてしまったのだ。
 中国は「力の信奉者」であり、相手が弱いとみれば軍事力行使を躊躇しない。1947 年に内モンゴル地域を、そして 1955 年にはチベットと新疆ウイグルを併合したように、相手が弱ければ「サラミ・スライス戦略」のようなまどろっこしいことはしない。
 相手が強い場合、あるいは相手が弱くとも、徹底した抵抗をする場合、また国際社会から糾弾をうける可能性がある場合には、中国は慎重に行動する。大きな紛争になって国際社会の非難を受けないよう、意図を隠して少しずつ既成事実を積み重ね、最終的には奪い取るわけだ。ベトナム戦争終了後の 1974 年、米軍が撤収した力の空白に乗じ、中国は西沙諸島の永興島をベトナムから奪取した。引き続き、南沙諸島のジョンソン環礁、シントン岩礁、ミスチーフ環礁、中砂諸島のスカボロー環礁を次々と占拠し、建造物を構築していった。
 1992 年、米軍がフィリピンから撤収を決定するや、領海法を設定し、南沙、西沙諸島、そして尖閣諸島を自国領土と規定した。2012 年には、西沙諸島に「三沙市」を設立すると共に、南沙諸島のガベン礁、クアテロン礁、ジョンソン南礁などで埋め立て作業開始し、軍事基地を建設してきた。スカボロー環礁では、フィリピン沿岸監視船が撤退した間隙をついて実効支配を奪い取った。既述のように 2013 年 12 月、尖閣上空を含んだ防空識別圏を設定し、2014 年 1 月には 南シナ海漁業管轄権を設定し、5 月には西沙諸島で一方的に石油掘削作業を開始した。現在、インドネシアと係争中の5つの島や環礁に灯台を建設中である。
 現在の国際環境では、軍が出動すれば国際社会の糾弾を受けやすい。これを避けるため、中国は漁民を偽装した「民兵」を尖兵として活躍させる手法をとっている。海南島の潭門港には、海上民兵組織が存在する。1985 年に創設され、現在は約 2300 人規模(2012 年)といわれる。任務は「漁業による領有権主張」と、環礁埋め立てなどの「建設資材の運搬支援」などである。
 中華人民共和国憲法 55 条には「1.祖国を防衛し、侵略に抵抗することは、中華人民共和国の全ての公民の神聖な責務 2.法律に従って兵役に服し、民兵組織に参加することは、中華人民共和国公民の光栄ある義務」とある。中国政府はこの民兵を積極的に活用し「サラミ・スライス戦略」を実行しているわけだ。
 今年 5 月、ベトナム沖で石油掘削作業を一方的に開始した際、オイルリグを取り囲むように多数の漁船が出動し、ベトナム船との衝突を繰り返した。このうち約 90 隻が民兵組織の漁船だった。港には習近平主席の「君達は、海洋権益を守るために先陣の役割を果たしている」というバナーが掲げられたのが確認されている。
 尖閣周辺も例外ではない。2012 年 9 月の尖閣国有化以降、中国は公船による領海侵犯を繰り返してきた。だが、公船では国際社会の非難が中国に向けられかねない。このため、最近は民兵による偽装漁船でこれを代替しようとしているようだ。海上保安庁のデータによると、尖閣国有化以降、公船による領海侵犯は 1 年目 216 隻、2 年目 101 隻と減少傾向にある。これに対し、中国漁船による領海侵犯は 2012 年には 39 隻だったが、2013 年には 88 隻、そして 2014 年には 207 隻(9 月 10 日時点)と激増傾向にある。目立たぬよう漁船を使った既成事実の積み重ねであり、「サラミ・スライス戦略」そのものである。
 今後、あの手この手を使った「サラミ・スライス戦略」の実行が予想される。日本はどう対応すべきか。先述したロバート・ハディック氏は「米国は中国のサラミ・スライス戦略に対し答えを持っていない」と頭を抱える。だが、日本の場合は当事者であり、「答えを持っていない」では済まされない。
 中国は相手が強い場合、あるいは相手が弱くとも徹底した抵抗をする場合、また国際社会から糾弾を受ける可能性がある場合には、挑発的行動を控える傾向があると先に述べた。
 ここにヒントがある。先ずは力をつけ、強くなることだ。海保の能力を高めると共に、防衛力を強化し、日米同盟の緊密化を図ることだ。中国は米国とは事を構えたくない。だから「三戦」(心理戦、世論戦、法律戦)を駆使して日米分断を図ってくるだろう。日本は集団的自衛権行使を容認し、日米結束の強さを見せ付けることが何より重要である。
 二番目は「徹底した抵抗」である。尖閣諸島は歴史的に見ても日本固有の領土であり、領有権問題は存在しない。この原則は決して譲ってはならない。中国は「領有権問題が存在」することを日本が認め、問題を棚上げすれば、矛を収めると歩み寄っている。だが、下手な妥協は禁物であり、後世に禍根を残すだけだ。現在、漁船や公船で領海侵犯を繰り返し、日本が根負けするのを待っている。これに対し、海上保安庁は血のにじむ努力で踏ん張っている。我々日本国民はこぞって海保を支援し、「徹底した抵抗」をしなければならない。
 三番目は国際的な場で、領有権問題を協議することだ。中国はこれまで、領有権問題は二国間の問題だとして、国際的な場での協議を拒否してきた。領有権に関する中国の根拠は薄く、国際社会で協議をすれば著しく不利になるので、あくまで二国間で交渉し各個撃破しようとする。
 南シナ海では現在、フィリピン、ベトナムを主対象に係争中だ。フィリピン、ベトナムが屈したら、次はマレーシア、ブルネイ、インドネシアに及ぶことは間違いない。日本は、南シナ海も含めた領有権問題を国際社会の問題として俎上にあげ、「力による解決」ではなく、「話し合いによる解決」を訴え、関係諸国とスクラムを組むことが重要である。
 四番目は現行防衛法制の早急な改善である。現行法制では「サラミ・スライス戦略」には十分には対応できない。これについては、昨年の本誌8月号に、拙稿「このままでは日本は自然淘汰される」を書いたので、紙幅の関係上省略する。
 今後も巧妙な「サラミ・スライス戦略」は続くであろう。予想される事態は、尖閣上空の領空侵犯や防空識別圏内の威嚇飛行の常態化、あるいは尖閣への民間人(偽装民兵)の上陸、海自や米海軍艦艇への航行妨害、偽装漁船と海保巡視船との衝突などがある。また在沖縄の米軍撤退、沖縄の領有権主張、宮古海峡の支配などを画策してくるだろう。
 中国の最終目的は、西太平洋の支配、すなわち中国主導による秩序維持体制、「パックス・シニカ」を構築することだ。それが実現すれば日本は、自由を奪われチベット化する。決して油断をしてはならない。「サラミ・スライス戦略」を見抜くと共に、米、豪、インド、ASEAN 諸国とスクラムを組み、国際的な場で問題解決を図っていくことが求められている。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2014年11月号より転載