(58)「クリミア併合」から日本が学ぶべきこと

元自衛官 宇佐静男

 昨年 2 月、ウクライナのビクトル・ヤヌコーヴッチ政権は、欧州連合(EU)との協定締結断念を機に、親ロシア姿勢に対する国民の反発が広がり、退陣を余儀なくされた。政権退陣によって生じた国内混乱に乗じ、ロシアはロシア系住民保護を名目にロシア軍をクリミアに展開した。3 月 11 日、これに呼応してクリミア自治共和国議会は、ウクライナからの独立を宣言した。
 3 月 16 日に実施された住民投票ではロシア編入への賛成票が 95%を超え、クリミア自治共和国最高評議会は、ロシア編入を求める決議を行った。続く 18 日、ロシアは米国や欧州連合(EU)が突きつけた制裁を尻目に、クリミア自治共和国を併合する条約に署名し、クリミアは事実上ロシア領となった。
 ロシアとウクライナの両国関係は決定的に悪化し、ウクライナ東部では親ロシア派とウクライナ軍との小競り合いが続いた。この結果、ロシアは 6 月からウクライナへのロシア産天然ガスの供給を停止した。この冬、ロシアからのガス供給がなければ、ウクライナは 50 億立方㍍のガスが不足するとされ、数十万人の凍死者が出ると予想されていた。
 ロシアのウクライナ併合に強く抗議して制裁を科す EU は、ロシア産の天然ガスに約3割を依存する。その半分がウクライナを経由するという事情があり、EU はロシアと交渉した結果、昨年 10 月末、ウクライナへのガス供給再開が合意された。だが、あくまで冬季限定であり、エネルギー問題は何ら解消されていない。
 そもそも、ロシアによるクリミア半島併合というような行為は、19 世紀ならまだしも、21 世紀にはあってはならない。何故、国際社会は易々とこの蛮行を許してしまったのか。
 実はウクライナについては国際連合が領土の統一性を保障していた。この保障を「ブタペスト合意」という。では、この「ブタペスト合意」はどのように結ばれたのだろう。
 ソ連邦が崩壊した 1991 年、ソ連領であったウクライナ領内には、ソ連の核弾頭が約 1900発あった。ウクライナはソ連崩壊に伴う独立に際して、当初、この核弾頭を引き続き保持する意向を示した。勿論、ロシアのみならず西側諸国も猛反対した。ロシアは核拡散を危惧する米国、英国とともにウクライナ政府と交渉し、NPT(核拡散防止条約)加入、核兵器撤去を条件として 1994 年 12 月、「ウクライナの主権と領土の統一性の維持を3カ国が保障」するという「ブタペスト合意」が4か国で結ばれた。この後、フランス、中国も加わり、国連の全ての常任理事国が参加する合意となった。これが「ブタペスト合意」である。
 国連の常任理事国が全て参加する合意なので、国連そのものが保障する合意といってよい。
 ところが先述した通り、ウクライナ国内の混乱に乗じ、ロシア軍がクリミアに展開し、クリミア自治共和国議会はウクライナからの独立を宣言。クリミア自治共和国最高評議会は、ロシア編入を求める決議を採択し、ロシアはクリミア併合の条約に署名した。かくして「ウクライナの主権と領土の統一性」は失われた。国連が保障した約束が、いとも簡単に反故されたわけだ。これは我々日本人に対する重大な警鐘である。日本では「国連中心主義」「国連主導」といった地に足のつかない美辞麗句、空想的観念的平和論がまかり通っている。だが今回、国連は肝心な時に日本を守ってくれるような組織では決してないという現実が我々に突きつけられたわけだ。
「ブタペスト合意」が一片の紙切れになったことに対し、中国の人民日報はいち早く報じた。「西側世界は国際条約や人権、人道といった美しい言葉を口にしているが、ロシアとの戦争のリスクを冒すつもりはない。約束に意味はなく、クリミア半島とウクライナの運命を決めたのは、ロシアの軍艦、戦闘機、ミサイルだった。これが国際社会の冷厳な現実だ」
 国連が如何に無力な存在であるかが白日の下に晒されたわけであるが、日本のメディアは何故かこれを取り上げようとはしない。国際社会の問題を決めるのは、国際連合でも IMFでも G20 でもなく、「力」が決めるという厳しい現実は日本のメディアにとって「不都合な真実」なのであろう。
 メディアのみならず多くの日本人は、「国連は正義」であり、国連は困った時に助けてくれるスーパーマンのような存在と幻想を抱いている。だが、現実は大きく異なる。国際社会で「国連中心主義」と真顔で言おうものなら、嘲笑の対象になる。まさに日本の常識は世界の非常識なのだ。
 驚くことに、国政経験豊かな某ベテラン政治家にしてそうである。彼はウエブサイトで次のように述べている。
「日本が名実ともに国連中心主義を実践することは、日本の自立に不可欠であり、対米カードにもなると思う。我々は国連活動を率先してやっていく。その姿を国際社会で実際に示せば、アメリカも日本に無理難題を言えなくなる」
 他国も国連中心であるべきとも述べているが、国連中心主義で本当に日本を守ることができると思っているようだ。経験豊かな大政治家とあろうものが、驚くべき国際感覚の欠如である。「ブタペスト合意」の結末を見るまでもなく、国連は驚くほど無力である。スーダンのダルフール地方での大量虐殺さえ阻止できなかった。1972 年から 200 万人の死者を出し、400 万人が家を追われ、60 万人の難民が発生した。
 1992 年から始まったマケドニア駐留の国連予防展開軍の任期延長問題では、マケドニアが台湾と国交樹立したと言う理由で、中国は拒否権を行使した。その結果、マケドニアは再び民族紛争の戦場に戻ってしまった。
 1990 年、イラク軍がクエートに侵攻した時も、フセインを説得し、イラク軍を撤退させることはできなかった。2010 年、黄海で韓国哨戒艦「天安」撃沈事件が発生した。韓国政府は調査結果に基づき、北朝鮮に責任があると国連に提起した。だがこの時は中国が慎重姿勢を崩さず、「強力な制裁決議」には程遠く、「北朝鮮の犯行」さえ特定できなかった。
 国連は、常任理事国5カ国によって事実上支配されている。国連は加盟各国にとって国益争奪の場であり、国家のエゴと妥協の場に過ぎないのが現実である。そもそも国連とは、第 2 次世界大戦の勝利者である「連合国」が、勝利者による勝利者のための平和を守るために創られた機構である。「ウクライナ併合」は奇しくも国連の実像を直視させられた。
 現在の安全保障常任理事国には中国とロシアという日本にとっての直接的軍事脅威が2国も含まれている。日本が危機に陥った時、安全保障理事会が日本に有利な決定を下すとは思えない。むしろその逆だろう。仮に有利な決定を下したとしても、国連が日本を守ってくれないのは、「ブタペスト合意」がいとも簡単に反故された事実で分かる。国連を日米同盟に代わる存在とみなしていたらそれは大きな誤りなのだ。
 筆者は国連が無用の長物だと主張したいわけではない。国連は、1945 年に設立されて以降、国際社会で最も広範な権限と普遍性を有する唯一至上の国際組織である。加盟国は 193カ国にのぼる。国連を舞台として日本の考えを主張し、各国と協調して日本の国益を追求していくことは極めて重要である。ただ、国連は力もないし、正義でもない。自国の安全保障を委ねる存在には成り得ないと主張しているのだ。
「ブタペスト合意」の反故は、我々にこれまでの国連至上主義が如何に錯誤と欺瞞に満ちているかを教えてくれている。国際社会は力によって動いている。これは人民日報が述べるとおりである。この現実から決して目を逸らしてはならない。現状をしっかり見つめ、力の拡充、つまり防衛努力を怠ってはならない。
 安全保障には徹底したリアリズムの追及が必要である。見たくない現実も直視しなければならない。「国連中心主義」などは、現実から目を背け、国連に対する幻想に酔っているだけである。国連では日本を守れない。国連は日米同盟に代わるものにはなり得ない。日米同盟なくして日本の防衛は成り立たない。筆者も将来にわたって安全保障を米国に任せていいとは決して思わない。だが、残念ながら、現在は自衛隊と日米同盟に国の安全を依存せざるを得ないのが現実なのだ。
 日本は単独で中国とは対峙できない。北朝鮮の核の恫喝にも自力では成す術を持たない。
 日本は核も攻撃力も持たない。情報分野もほとんど米国頼りである。貿易立国日本の生命線、日本経済の血液ともいえる原油輸送ルート、シーレーンも事実上、米海軍第7艦隊が守っている。自衛隊の装備もほとんどが米国の軍事技術に依存している。
 専守防衛といった国際的には非常識な軍事政策を唱えることができるのも日米同盟があるからである。米国の軍事的存在に国家の安全を依存するしかないのは悲しいが現実なのだ。これが嫌なら、憲法を改正して強力な軍隊を持つしかない。だが、これも時間と莫大な金がかかる。
 我が国の安全保障政策に「国連か日米同盟か」という問いかけは無用である。国連か日米同盟かの選択を迫られたら、間違いなく「日米同盟」である。国連は正義でもないし、力もない。国連への「幻想」「信仰」をいい加減に捨てよと「ウクライナ併合」は教えてくれている。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2015年2月号より転載