文化は進歩し、文明は退化するのか


元陸上自衛官 現星槎大学非常勤講師 森 清勇

 少子高齢化が進行する日本において、子供はなにより大切である。その子供の「情」は母親の胎内にいるときから影響を受けると言われ、胎教が重視される所以である。
 「情」を調べるのに水の波紋(水紋)がある。「美しき青きドナウ」などのメロディではなめらかな水紋が現れるが、「悪魔」と叫びながら描く水紋には大きな乱れが現れる。
 水に米粒を入れたビーカー二つを準備し、一方には「美味しい」と声を掛け、他方には「まずい」と声を掛け続けると、「美味しい」方のビーカーは透明であるが、「まずい」と言い続けた方のビーカーの水は黒ずんでくる。
 こうした実験結果を見て、確かに「情」は伝搬すると思うようになった。以心伝心もそうした一種であろう。そこで、結婚式などでのスピーチでは、母親となる新婦の「感情」の持ち方の大切さを取り上げて話すこともあった。
 穏やかなメロディに似た妊婦の生活や胎児への語りかけは、生まれて来る子の情感を豊かにするが、怒り散らす妊婦、イライラを募らせた妊婦が宿す胎児は、悪魔やまずいと言われた水紋に似て胎児の心を荒々しくするという次第である。
 胎児の時以上に2~3歳くらいまでの接し方が大切とも言われる。その一つに子供の負い方がある。先日、街を歩いていて、子供を胸に前向けの姿勢で負っている姿を見てびっくりした。道路が良いから、転ぶことはないという前提であろうが、転んだときは、子供が最初に顔面から落ちることになる。
 かつて、戦車のエンジンを前部に置くか、後部に置くかは、乗員の安全にとって重要な問題であった。装甲防護力が弱かったときは、弾除けも兼ねて、前部エンジンが多かった。子供を前に向けて負っている姿から、図らずも前部配置エンジンの戦車を思い出した。
 もはや戦後ではないと言われるようになるまでは、背中にうつ伏せの姿で背負い(①)、働くのが普通であった。背負う人の両手両足は全く自由で、背中の子供も親と相似的な動きをするので、双方ともに負担が少ないように思える。
 時代が進むと、背負い子で子どもは後ろ向き(②)が一部に見られたが、対話の姿勢ではないし、また日本的でもなかったようであまり流行らなかった。代わって近年多く目にするようになったのが、胸を合わせた格好での負い方(③)である。向かい合っている分だけ、声が掛けやすいし、心も通い合いやすいのではないだろうか。
 そして、出会ったのが、戦車の前部エンジン同様の姿勢である前向きでの負い方(④)である。
 以上、背中で子どもが前向き①と後ろ向き②、胸もとで子どもが後ろ向き③と前向き④の4方法を挙げたが、背負う人の自由度及び子供の安全度は、時代の推移とともに低下しているように思えてならない。
 科学技術の発達で日々の生活は便利かつ華やかになり、短期的に見る文化は進歩しているのであろうが、CO2の増加で温暖化し、資源の消費は増大して、長期的な安全や人類の存続という文明の視点からは、むしろ退化しているように思えてならない。
 コンビニやインターネットなどの展開で人間の生活空間は昼夜かつ地球的に拡大したが、他方で倫理観を希薄化させ、「誰でもいいから殺してみたかった」と平気でいう人間を登場させるまでになった。
 民間にも軍隊にもロボットが多用される時代が近づいている。人間は果してロボットを使いこなす立場に留まることができるのだろうか。はたまた、使われる身に落ちていくのだろうか。
 英国の天才物理学者ホーキンスが言ったように、「文化の爛熟は、文明の死につながる」のであろうか。

(平成28年10月22日記す)