雀百まで踊りは忘れぬ

元陸自第2師団長  久保 善昭

退官してすでに10年余、「自衛官人生は遠くなりにけり」である。だが、北海道から九州まで、その時々、懸命に勤務した記憶は鮮やかである。また共に汗を流した多くの同志達が懐かしく思い出される。
 自衛官時代には各種の学校で多くの教育を受けたが、今や専門用語などを忘れ始め、老兵の悲哀を感じる。しかし訓練で繰り返し教わった「基本的事項」は、雀の飛び跳ねる習性のように身体に沁みこんでいる。
 それは、生活の規範になっており、日常の思わぬところで、ひょっこり顔を出す。
 それをいくつか書いてみる。

「前進用意、前へ」

ゴルフカートを発進させる時、まず「前進用意」と声をかける。全員が座ったのを確認して「前へ」と発唱する。
 初めて「前進用意、前へ」を聞いた高校時代の仲間は、「なんぞな!それ」と伊予弁で不思議そうな顔をした。松山城を共に眺めた紅顔可憐の少年達もすでに70歳に近く、昔日の面影はない。それでも月に1回くらいはゴルフボールに戯れる体力と気力は残っている。 しかし高齢者4人だと、誰かがカートに乗り遅れる。操縦する者は、自分の次のショットが気になって、ついつい早めに発進ボタンを押してしまう。カートは、結構馬力もあり、人間1人くらいは軽く引きずってしまう。そこで「安全」のため声をかけるのだが、号令調整の成果か、声が太く腹に響くらしい。
「この号令は戦車が発進するときに掛けるんよ!戦車には4人乗っていて、車長の号令で乗員の気持ちを一つにするんじゃ!」「ほうか。自衛隊はなんでも号令を掛けるんか」「そうじゃ、訓練は危険を伴うので互いに了解していることが大切なんじゃ。行動を起こす時には必ず号令を掛ける。これは命令ぞな!ほんでの、号令を確認した隊員は了解とか、準備良しと復唱するんよ」「ほう、自衛隊はきちっとしてるのー」と納得してくれた。
 幹部候補生学校の卒業時、「機甲科」に指定され、戦車乗員としての訓練を受けたのは富士学校BOC課程であった。
   同期生は24名で、訓練に使った戦車は米軍供与のM-24型であった。日本上陸用に急遽、開発した小型戦車で、重量18 トン、5人乗り、主砲は85ミリ高射砲、エンジンはキャデラック110馬力を2基、ガソリン燃料の軽やかな音で軽快機敏な動きをした。
6名の学生に1両の戦車をあてがわれ操縦、射撃、通信、整備の技能訓練と単車、小隊などの運用訓練を受けた。T県県会議員で活躍された防大1期のKさんが教官で、6期のA教導中隊長ともども厳しくかつ熱心に指導いただいた。
その頃教わった「前進用意、前へ」は、人生の様々な節目で、新たな行動に向かって第一歩を踏みだす自分自身の発進号令にもなっている。

「装具点検」

ゴルフプレーでは年甲斐もなく、我を忘れて夢中になってしまう。近頃は人手不足のせいか、キャデイさんの付かないセルフプレーが多い。プレーを遅くしないため、必要と思われる数本のクラブをボール位置に持って行く。ショットした瞬間、次のプレーに心が移り、使わなかったクラブをその場に置き忘れることが間々ある。
 おおむね、3ホール終了ごとにクラブの忘れ物がないか確認することにしている。本来は「クラブ確認」と云うべきところを「装具点検」とついつい云ってしまう。
 連隊長の頃、九州H演習場で「師団長の指導する戦闘団訓練」を受けた。
 着任当初の間、機甲科出身ということで普通科部隊の細かな機微が理解できず、訓練をはじめ隊務で迷惑をかけてしまった。そこで、初心に帰って普通科戦闘について自分なりに研鑚した。機甲科も普通科も共に近接戦闘部隊であり、その神髄は、戦闘の決となる「突撃精神」にある。その精神の発露は、機甲科では「マン・マシーンシステム(人車一体)」、普通科では「マン・フォー・オール、オール・フォー・マン(人間の絆)」でありその形態が違うだけと理解した。
 訓練の山場に差し掛かった頃、第一線で行動中の中隊長から無線が入った。「M山陣地奪取」やや間をおいて「小銃の脚、紛失。捜索したい」
 64式小銃は命中精度も良く傑作の国産小銃であるが、軽機関銃の運用も考慮して銃口付近に「脚」が付けてある。これが行動中に周辺の植物などに触れて緩み、脱落することがある。小銃班隊員の装具は鉄帽、背嚢、雑納、飯盒、水筒、小銃、弾薬、銃剣、携帯シャベル、無線機、携行救急品、防護マスク、それに偽装網と気の毒なくらい、ありとあらゆるものを身につけている。
「最終の装具点検をした地点は?」と問うと中隊長から「M山のふもと三叉路、その時異常なし」「了解。任務続行、捜索は訓練終了後」と返信した。
 訓練の講評終了後、連隊全員がM山のふもとに一列横隊に整列した。幅1キロメーターに及ぶ横隊は壮観で普通科のマンパワーを感じさせる。6月の山肌は草が青々と茂り、風になびいたその光沢はビロードの衣のようである。
 捜索開始の寸前、師団長が突然やってきた。「連隊長、何をやってるんだ!」眼光鋭く、ドスの効いた声である。連隊幕僚は全員粛然としている。「云うべきか。云わざるべきか」その場の視線が全部自分に向いている。腹を決めて「今回の訓練で錬度不十分と感じたのは突撃動作であります。これからM山陣地に連隊全員で突撃いたします。突撃開始」
ゆるゆると人の横隊が緑の斜面を登ってゆく。「突撃にしては隊員の動作がゆっくりではないか」と師団長が問う。「斜面が急なので突撃線を保って確実に進んでいます」「なるほど見事に突撃線が揃っているな」
 15分ほどで横隊が山の中腹に差し掛かった。中央部でドツと歓声が上がり「見つかったぞ!」という声が聞こえてくる。間髪をいれず「状況終わり」と命ずる。
  「もう終わりか」と師団長、「はい、目的を達成いたしました」と返答する。「そうか、見つかってよかったな!」と言い残し風の如く去って行かれた。訓練の厳しさは、「陸上自衛隊随一」と称された先輩が見せた人間味は忘れ難い。
 その後、形あるものの点検もさりながら、優しさ、誠実さ、謙虚さなど人としての忘れ物はないかと、「心の装具点検」にも気を付けている。

「1720」

加齢とともに肉体の衰えを否応なしに自覚させられる。特に、ひどいのが「歯」である。
若年の頃は人並み外れて頑丈で、ビール瓶の蓋を抜いたり、梅干しの種を割ったりしていた。その報いがきたのだろうか。それとも生来、我の強い性格で、事あるごとに「歯を食いしばって耐えてきた人生」のつけであろうか。
 歯の痛みは我慢が出来ないというが、歯科医院は一日中、混雑している。予約する狙い目は、比較的空いている午後5時過ぎの夕食時期である。
 受け付けの女性が「〇〇日の午後5時20分」の予約でよろしいでしょうかと尋ねる。思わず「〇〇日(ヒトナナニイマル)ですね。それで結構です」と答えると彼女のギョツとする感じが伝わってくる。「ジュウナナジニジップン」と言い直す。そこで、ようやく了解してもらう。
 何回か治療に通っているうち、受付けの女性が、「あなたと同じように時刻を24時間制で呼ぶ年配の方がもう1人おられます。国鉄のOBだそうですが、あなたもその関連の仕事をされていましたか?」と聞いてくる。
 国鉄にはあまり良い印象がない。
 北海道勤務時、米軍との冬季実働訓があった。当時、国鉄の労組がデモの中核として演習場まで押しかけ、反対を叫び雪原で赤旗を振っていた。あのときの凍てつく寒さとやるせなさは苦い思い出である。即座に「関係ありません」と語気が強くなり、受付けの女性は怪訝な顔になる。大人気ないことと直ちに反省して、次の予約をお願いする。彼女は「〇〇日午後5時30分、ジュウナナジサンジップンでどうでしょうか」と、わざわざ、2つの時刻を云ってくれる。
 確認のため思わずヒトナナサンマルと言いそうになり慌てて口を抑える。これ以上混乱させては申し訳ない。
 そう云えば、自衛官出身のN防衛庁長官も、ある記者会見で「1000 。(ヒトマルマルマル)災害派遣を発令」と発言していた。若き日、レインジャー訓練などで身に付いた言語動作はとっさの時に出てくるのだろうと思わず頬が緩んだ。
「雀百まで踊りは忘れぬ」と云われる。
 踊るように飛び跳ねる雀の仕草は生涯続くそうである。人間も、若い頃繰り返し訓練し、心身にわたり沁みこんだ習慣、習性は何時までも忘れられない。忘れたと思っても意識の下に隠れているのだろう。それは、とるに足らぬことかもしれないが、国の安寧のため精進した日々の証しとして老兵の密かな誇りである。
 自衛隊生活の間、日本内地のみならず西ドイツまで共にした3人の子供たちは巣立っていった。今は妻と2人の静穏な日々である。  2人揃えば指揮者が必要と教わったが、この基本だけには、あえて拘らず、波風を立てぬよう過ごしている。

(「修親」2010年8月号から転載)