不確定性原理と想定外

森 清勇

 「太陽エネルギーを地上に」という掛け声で、かつて大学院で核融合研究を行っていた時、いつも気に掛かっている2つの疑問があった。一つは、光速は一定で最高とは本当だろうか、いったい誰がどこで、どのようにして確認したのだろうか、その時点における測定技術や測定機器の限界の範囲でしか、そうしたことは言えないのではないかという素朴な疑問であった。
 正確な光速計量は米国のアナポリス海軍兵学校にある物理教室で行われたということを知っていたので、米陸軍のAOC(幹部上級課程)に学んでいた時、その施設をみるためにわざわざ訪ねたことがある。
 もう一つの疑問は、原子が高温で原子核や電子に分離したプラズマ状態を扱う量子力学の世界では、位置と速度を同時に計測することは不可能という不確定性原理についてであった。これも、同様な理由から恒久的に正しいのだろうかというものであった。
 我々の日常生活に関わる長さの単位であるメートルにしても、時代の推移と計測技術の発見や進歩に従って色々と代わってきた。最初は白金主体の合金で作られたレール状の「メートル原器」であったが経年変化するので正確さを欠くようになり原器を基準とすることは廃止された。次には一定条件下でクリプトン86元素が発する波長に改められ、今日では光速が約3億分の1到達する距離に改められている。
 ここ1年、物理の根本原理を揺るがすような事象が続いている。曰く、①ニュートリノは光速より速い、②不確定性原理には欠陥がある、③質量の起源を示すヒッグス粒子が見つかったなどなどである。更なる検証が求められているが、一つだけ言えることは絶対はないとうことであろうか。


 全く場違いな問題を提示したように思われる向きもあろうが、決してそうではない。
 3.11に関して「想定外」が幅を利かせたが、先述の物理現象と同じで、どこまでも現時点における技術や予算、あるいは国民意志などがもたらす結果でしかないということである。現実に、東電は過去のデータに基づく約10mの津波も考慮していたが、対策を取るまでには至っていなかった。
 冷静に事象を顧みられるようになってきた頃から、データーの収集や歴史に対する考察が不足していたのではなかったかという反省も加わり、想定外ではなく想定内にすべきであったなどの見解も聞かれるようになってきた。非常用電源の配置など、想定内にするややこしさを割けて、安易に想定外にしたとしか思われないほど杜撰である。
 自然災害以上に不確定なのが社会問題である。日本人が今でも無条件に想定外にしているものがある。それこそが国防問題である。自然現象は過去のデーターに基づく統計などから高い確率で予測できるが、国際問題、就中国防問題は社会現象であり国家間の関係であり、国民感情も入りこんでくるのでややこしい。だからと言って想定外に置くのは3.11から何の教訓も汲み取っていないことになる。
 日米同盟は深化が叫ばれながら、逆に希薄化してきたのが実情ではないだろうか。中国の覇権思考に対して、日米同盟が有効に機能しないと米国は思い始めている節がある。そのことをはっきり打ち出したのが、クリントン論文(「フォーリン・ポリシー」2011年11月号)であり、オバマ・ドクトリン(2011.11.17に豪州議会で行った演説)と呼ばれるものであり、更には海兵隊の先行グアム移転であろう。
 日英同盟の帰趨を持ち出すまでもなく、ドゴールが言った「同盟などというものは双方の利害が対立すれば一夜で消える」を真摯に考える時期にあるようだ。

(平成24年2月6日記す)