回想「阪神・淡路大震災」
-ある講話録(20.12.1)から – (第四回)

元海自災害派遣部隊指揮官・呉地方総監
海将 加藤 武彦

13 今後に備えて

作業もだんだん進んで行きましたが問題もまた出て来ました。
一番大きな問題というのは、陸上自衛隊も海上自衛隊も災害派遣の活動のために神戸に入り、それなりの活動をさせで戴きましたが、その時に自衛隊が何か特別な権限を委譲されているかというと、全く無いという事です。災害というのは平時に起こりますので、海上における治安行動も防衛出動も下令されない訳です。
平時の状態では自衛隊も組織としては皆さんの会社と一向に変わらず、何の権限も持ち合わせていません。例えば道路の交通を規制する権限も無く信号を無視して突っ走る権限もないというナイナイ尽くしです。

次のような話があります。
 陸上自衛隊が入って来た時に、あるイデオロギーを持った方が自転車をその前にボンと置き、次のような言葉を投げかけました。
 「陸上自衛隊よ、この自転車を除ける事はお前らの権限では出来ないんだよ、通るのか通らないのか」
 そういう行為も初めの内はありました。しかし災害の救援活動が長くなって来ますと、だんだん市民の中にも陸海空自衛隊のやっている事が理解されるようになり、市民と自衛隊員との間に暖かい感情の様なものが通い合うようになりました。

先ず法の整備が必要です。今でこそ阪神大震災への災害派遣の実情が教訓となって、情報収集の名目で地方自治体の長からの要請が無くても、自衛隊が情報収集に行けるようになりましたが、相変わらず道路交通法、財産の保護等の問題は残っています。例えば、或る家が倒れ掛かっている、これに自衛隊が手をつけて良いのか悪いのか、権限は無いのです。財産保護の法律がある以上、強制的にここはこうするという事は出来ません。
この点、アメリカは非常にクールです。例えばカリフォルニアの山火事の場合でも、先ず入山をするための道路や空き地を作ったり、延焼を防止するためにそこに家があっても、それを取り壊したり、排除するという事については消防隊に任まかされています。
 勿論、むやみにはやらないでしょうが、権限があります。
 然し、自衛隊には何も与えられていませんので、一つ一つ了解を得てという原則になります。そうすると、普段は自衛隊反対、来るな。然し、事が起こると何故早く来て呉れないのかと言われても、うまく整合が出来ない事もあります。やはり普段から連絡を密にして、一緒にシミュレーションを行いこういう場合はこうしましょうなどと話合いを行ない、顔見知りになっておく事は絶対に必要です。
 何もない所にポッと行っても、なかなか出来るものではありません。

これは会社間での商談などでもやはり長い間の商いを通じて培った信頼関係がないと成立しないのと同じです。皆様のお宅にも、株式やその他の投資の勧誘の電話が掛かって来ると思いますが、それだけで交渉に応じる方が居られるでしょうか。然し、相手が何らかの関係のある人なら、あの人が言われる事になります。そこの所は普段からのコミュニケーションです。

 自衛隊の力の届く所もあり、届かない所もあるという事になった場合、自治体の災害派遣の担当をする部署の方は、ある程度自衛隊に対して指示が出来るプロであって欲しい。
細かい事はいい、あの道路でなくてこっちの道路だというような事が言えるかどうか。これは自治体でなければ言えません。例えば鎌倉であれば、鎌倉市長が判断する訳ですから、それを補佐する防炎課の方は地理も良く知り、災害の質も良く知っている、何処にどういう処置をすればよいかすぐ判断の出来る、ある程度のプロであって戴く必要があります。
自衛隊、警察、消防署は24時間勤務で、必ず3分の1とか4分の1の人間が常時残っており、作戦室では常にそこで起きている事を把握しています。これが危機管理です。例えば、永田町に災害対策本部を設けましたとよくテレビから流れて来ます。設けましたでは駄目なのです。設けましたというのは、それが起きたから作るという事です。
そうではなく、例えば、常時、永田町と六本木(現在は市ヶ谷)でモニターされているという状況でなければ、本当の危機管理は出来ません。そして、内閣総理大臣の意を受けてこういう事が起きた時はこういう処置をとっても良いというROE(ルール・オブ・エンゲージメント)が必要です。ある事が起き、上級者の指示を待つ暇が無い時は、事前に決められた約束に従って動くというルールを決めておかないと、実際に災害が起きた時、全く動きが取れなくなってしまいます。今どれだけの自治体がどれだけの準備をしているか判りません。が、信頼関係の確立とマニュアルや約束事の整備はよくよく必要だと思います。

14 付帯作業

災害派遣の活動の中に、皆様からお預かりした多くの救援物資を神戸の方々にお届けするのも我々の任務で、その任務に当たったのがヘリコプター部隊であります。海上自衛隊のヘリコプター部隊は、徳島、小松島とそれから各艦に1ないし3機のヘリコプターを積んでいます。私は各艦に積んでいたヘリコプターを全部小松島に集め、一人の指揮官で空域の管理、ヘリコプター全部の統制をさせました。そうしないと、まず不経済であると同時に危険極まりない。それはうまく行ったと思っています。お預かりした物資の輸送は、神戸に近く且つ容易に活動の出来る徳島空港にある徳島航空部隊を基地として、神戸に運ぶ事にしましたが、ここにもまた問題がありました。

 平時、自衛隊に限らず政令都市上空300mには特別な許可が無い限り航空機は進入してはならない事になっています。しかしそんな事は言っておれない場合でありますので、海上自衛隊や陸上自衛隊のヘリコプター、マスコミもヘリコプターを夫々の目的で飛ばしています。海上保安庁や警察のヘリコプターも飛ばさなければならない。そうなってくると、使えるヘリポートは限られて来ます。
海上自衛隊に唯一あったのが阪神基地隊の小さなヘリポートですが、液状化現象で殆どやられた状況になっていました。ひび割れたコンクリートの丸いヘリポートが、液状化でどろどろになった基地の中にポツンと一つありました。然し、このヘリポートが重要だったのです。もしそこが使えなかったら、皆様からお預かりした、市民の皆様に届けるべき物資を皆様に届ける事が出来なくなってしまいますので、どうしてもヘリはそこに降りなければなりません。

私がその第一便の運行を命じたのが徳島救難飛行隊で、阪神基地隊のヘリポートに降りるよう命じました。徳島航空隊では
「判りました」
と言いましたが、さあ誰が操縦するのか、失敗してもしヘリコプダーがひっくり返ったら、もしへリポートを壊したら、もう後の輸送作業は出来ないという状況下でパイロットを選ぶ作業に入りました。

その時の徳島救難飛行隊の隊長は防衛大学校を出たヘリコプターのパイロットで、副長は高校を出て海上自衛隊に入り、パイロット専門として長くヘリコプターの操縦をやって来て、操縦にかけては防大の卒業生など及びもつかない立派な操縦技術を持っています。
さて、どちらが操縦したと思われますか。

防衛大学校出身の飛行隊長が操縦して来ました。技術的には副長の方がずっと巧いのに。
 それはどういう事かと言いますと、これは皆様からお預かりした大事な荷物を皆様に届けるという中のキーポイントの作戦であり、失敗すればアウトという状況だったという事です。その時、副長が隊長に言って呉れました。
 「隊長、操縦は貴方がやって下さい。貴方は指揮官です。この部隊は貴方の挙措と動作すべてを見守っています、是非隊長が操縦して下さい。我々のような小さな部隊は指揮官が先頭です、代わりに私が副操縦士としで行きます」

 本来ならば操縦経験の深い副長が主パイロットになりおそらく若い操縦学生出身が副操縦士として行くのだろうと思います。でもそうではなかった。
 副長が言うのは、
 「この隊は今岐路に立っています。この隊が今後役に立つかどうかは隊長の判断であり行動次第です、だから操縦して下さい、その代わり私が補佐させて戴きます」
 年齢からいっても副長の方が5歳も6歳も年上です。
 私が非常に嬉しく思ったのは、チームというものはどうしなければならないか、チームの任務を達成するにはどうすれば良いか、それを副長はよく考えて呉れたという事です。その結果、指揮官先頭で行って、見事にこのヘリポートが使える事になり、以後全国の荷物が阪神基地隊を経由して、西宮や神戸の皆さんへと渡って行きました。警察、陸上自衛隊、海上保安庁のヘリコプターもその後このヘリポートが使えるという事が判ってから、どんどん飛んで来るようになりました。一つの航空交通路が確保された訳です。

そういう作業でどんどん物資が阪神基地隊に下ろされ、溜まって来ます。どんどん配布しなければなりません。その作業と人命救助のための隊員の派遣が重なって、殆ど阪神基地隊には人がいなくなってしまいました。
 そのような中で、ある一人の女性自衛官がいました。神戸の出身で、新婚まもなくお腹には3ケ月の赤ちゃんがいました。土、日は実家で過ごし、月曜日に地震に遭遇し、さあどうしようかと彼女は迷いました。とにかく隊に帰ろうという事で、液状化現象でデコボコになった道を歩き、使える電車を乗り継いで甲子園までたどり付き、そこから歩いて、普段は1時間も掛からずに来られる所を4-5時間かけて隊に帰って来ました。
 着いた所、ヘリコプターからどんどん荷物が下ろされています。所がそれらを受領し配分する働き手が足りません。彼女はそれを見て、お腹に赤ん坊がいるとか何とか言っておれない、何とかしなくてはと思い、作業隊の指揮官に
「私も作業に加わらせて下さい」
と申し出ました。しかし指揮官は彼女が妊娠しているのを知っていますので、「君は軽い事務の仕事をしておれば良い」
と言いますと、彼女は
 「どうしても作業をやらせて貰いたい」と言いました。
 何故かと言う問い掛けに対し次のように答えられました。

 「5年後、10年後、お腹の子供が大きくなって、あの時お母さんはどうしていたのと必ず聞くでしょう。それに対し、私はお腹の中のあなたをおもんばかって、皆がやっていた作業を脇で見ていたとは言いたくない。私はあなたと一緒に故郷神戸の復興作業に従事したと言いたい。十分に注意して作業をやりますから是非やらせてください」

このお腹の大きな女子隊員を作業から外す事について男子の隊員も誰も文句を言わないでしょう、10年も経てばそんな事があった事すら覚えていないでしょう。そういう作業をしても彼女には何の得もえられませんが、彼女はそれを選びました。それは何かというと、それは彼女の生き方であり、プライドであり、価値観です。

 私はその話を聞いた時、大変嬉しく思いました。今でも覚えています、井口えみりという23歳の女性でした。先日呉に行った時に、井口えみりはどうしているか聞きました所、彼女は2等海曹に昇進し今は岩国で勤務しているそうです。あれから13年、子供さんも中学生になっているでしょう。多分今までにその時の話をしたに違いないと思います。
 自衛隊にとって大切な事は沢山ありますが、一番大切なのは、このように隊員の責任を果たそうとする気持です。大きな対戦哨戒機でも遊撃戦闘機でもイージス艦でも金さえあれば買えますが、金をいくら積んでも買えないのが隊員の使命感であり責任感です。皆様の会社の中にも警察官の中にも、日本の中にはまだそういう若い人は沢山おります。そのような人達の芽を摘んではいけないという思いでした。井口えみりのようなあどけない女性の口からその言葉を聞いた時、私はホロッとしました。

最初に戻りますが、秩序が無くなった、システムが壊れた、何も判らないという中で、ある組織が動くにはどうするかというと、今何をすべきか、何をしなければならないかという一人ひとりの発想と気持ちです。それが束になって動き出して始めてある成果を生んで行くのです。どんなに良いマニュアルを作っても、どんなにシステムを詳しく説明しても、その中で働いているのは人間ですから、その人達の気持ちと技量が整っていないと何を作っても駄目です。そういう事を一般の国民の皆様に要求する事は出来ませんので皆様はそれぞれの家庭をしっかり守っていただく事です。
 ではそういう事は誰がやるのか、それは先ほどお話したように、自衛隊、警察、消防署という力のある所が思い切りやる。そしてボランティアの方々にハンドオーバーして行く。その切り替えが上手く行くかどうかです。
 自衛隊の場合だと、災害派遣部隊の指揮官だった私、その下の指揮官、隊員に至るまで、置かれる立場は違っても、今自分は何が出来るか、何をしなければならないのかという思いで積極的に物事に当たる、待ちの姿勢では駄目だという事です。それを市民の皆さんは助けてやって下さい。自分がおやりにならなくて結構です。まず自分の家庭をしっかり支え、それをしっかりやりながら出動してきている陸海空自衛隊を支援していただきたい。

それは簡単な事で、
「有難う、ご苦労様」
とだけ言って貰えば良いのです。人間誰も同じですが、それだけ言ってもらえば自衛隊員は一生懸命にやる、そのために自衛隊に入っているのですから。自衛隊員にとって一番辛いのは無視される事で、悪口より利きます。そういう事があっては困りますが、もし湘南地区に災害が起きて陸海空自衛隊が来れば、
 「有難う、ご苦労様」
とだけ言って貰えば、後は何の報酬もいりません。

自衛隊の出動が早かったのか遅かったのか言ってみても詮無い事です。出て来た自衛隊は全力を尽くしましたが、それが皆様にどう受け止められたかは別として、自分が指揮をしてみて、やるべき事はやったという思いはあります。
 今後地震がない事を望みますが、今まで方々で起きたという事からして、今後その可能性なしとは言えないでしょう。そのための予防も大切でしょう。然し、予防には限りがありますので、起きた後、いかに早く復旧するかという事をプランニングの前提として戴きたい。
 然し、かく言う私は今の家に20数年住んでおり耐震構造になっておりません。女房からどうするかと言われました。
 「固定資産税が数千円しか掛からない古ぼけた家に3百万も5百万もかけて耐震構造には出来ないよ、このまま潰れても仕方がない。70歳まで神様が生かして下さったのだ」 という事で、未だ耐震にはしておりません。
 やるべき事は多々ありますね。

倒れたらいかに早く復旧するか、それはどうすれば良いかという事になると、やはり最初は人命救助ですね。そしてライフラインの確保については、機動力のある、装備も持っている、そういう行動に慣れている自衛隊をどんどん使っていただきたい。
 普段の防災訓練で消火栓の使い方を教えるのも結構です、確かに出来ないより出きる方が良いでしょう。それより大事なのはそのポストにある防災課の人達、自衛隊、警察、消防署の人達が、こうなったらこうしようというシミュレーション、頭のトレーニングを常に連携してやっておいて、とうなったら自衛隊を呼ぶなど検討しておく事です。やっておくのとおかないのでは全く対応が違います。やはり連綿たる準備が必要です。マスコミは皆様が防災の主役だと言っております。勿論、そうではありますが、実際問題としてはなかなか難しいと思われます。
 ある程度の秩序が出来た後なら良いのですが、初動の所をどうするかという時は、やはり大きな力と多くの人間を抱えている自衛隊を、災害対策基本法に書いてあるように、十分に活用して戴きたいと思います。そういう白で市や県の防災課もどうすれば自衛隊とうまく組めるかを検討しておいていただきたい。
 例えば、鎌倉市と逗子市が両方とも災害派遣の要請をしたらどうするのか、自衛隊が足りないという時、県が調整しなければならないかもしれません。この様にやって下さいというのは地方自治体が言わなければなりませんが、それにはある程度のプロの養成も必要となります。ボランティアの中にもそのプロの人達と話合いの出来る程度の知識を持った方も必要で、その存在が地震の後の対応に大きく影響します。

自衛隊は常に今何をしなければならないのかを自ら判断して動ける人であり、組織でありたいと思いながらその努力をしていると思います。
 皆様も平常の生活の中で、災害発生の際の対応方法を頭に入れて戴き、加藤が対応の基本に関して、
「あんな話をしていたな」
と思いだしていただければ幸いです。
 まだお話したい事は沢山ありますが、この辺で私の話を終わらせていただきます。

(完)