回想「阪神・淡路大震災」
-ある講話録(20.12.1)から – (第二回)

元海自災害派遣部隊指揮官・呉地方総監
海将 加藤 武彦

6 人命救助が先か、手続きが先か

船が出港して行きます。呉から神戸まではどんなに急いでも船では10時間以上掛かり、横須賀からだと13時間程掛かります。従って、この10時間というのは大変貴重な時間です。5時45分に地震が起きたら、もうその時点から死傷者或いは崩壊した建物の中に閉じ込められている被災者の命のカウント・ダウンは始まっています。このカウント・ダウンは、最大で72時間であり、通常ですと48時間です。48時間の内にレスキューの手を差伸べないと生存確率は大幅に下がります。この10時間をどう使うかという事が私にとって最大の懸案事項でした。従って、県知事の要請を私は待ちませんでした。昼が過ぎ、夕方になっても県知事よりの要請は全くありません。

神戸沖に近付いた艦から
「あと30分で錨を入れます」
との報告がありました。

さあどうするかと思っていた所、阪神基地隊の連絡官が県庁に行き、防災課とようやく話合いが付き、防災課が海上自衛隊呉地方総監部に電話して来ました。然し、その電話は災害派遣の要請ではなく阪神基地隊の方が電話をかけるよう言われましたので電話をしましたというような切り出しでした。

防衛部長は、
「その電話をもって災害要請があった事にして戴きます」
と伝えました。さらに、
「海上自衛隊は人命救助、ライフラインの確保、糧食の配布その他の必要事項を行います。部隊の運用については海上自衛隊にお任せ下さい」
と申上げた所、
「それでは宜しくお願いします」
という事でした。
その電話を受けた40分後に、呉を出た艦の第一陣が神戸沖に投錨したという状況でした。

7 自衛隊との関係

ここでちょっとバックグラウンドをお話し致します。私はイデオロギーについてはここでは余りお話したくありませんが、国民一人ひとりが様々なものの考え方をお持ちになっている事は良い事だと思います。思想は自由ですから。

神戸市は一般的に言ってアンチ自衛隊でした。どちらかと言いますと自衛隊に来て貰っては困るという雰囲気でした。従って海上自衛隊の艦も年に4回しか入港出来ません。4回を超える場合は市議会の議決が必要です。入港もポートアイランドと六甲アイランドの外側とか非常に不便であり且つ市民の目に触れ難い所を指定されていました。そういうバックグラウンドがありますので、おそらく県の防災課の人達も、それまでに自衛隊との共同防災訓練を一回も実施した事がありません。マニュアルは置いてあるけれども倉庫の中に眠っている。この様な状祝の中で、実際にどうやって災害派遣の要請をすれば良いのか、自衛隊を呼んでどうしたら良いのかという事すらお気付きではなかったのではないだろうかと思います。言ってみれば、かなり準備のされていない都市に自衛隊が入ったという事になります。

8 救援活動の開始

1月17日の投錨は終り、横須賀からの艦や佐世保から出た艦等、各方面からの艦船が神戸に集結し、夜半には十数隻の輸送艦、護衛艦が神戸沖に投錨していました。

本格的な救援活動は1月18日午前6時から始まりました。
その時、神戸市民はどのように感じられたのか、或る神戸の方が地方紙の雑誌に投稿された次の文章を見つけましたので紹介いたします。この方は川崎重工の船舶エンジンの開発をされているセクションの部長さんです。

「次の日の朝を六申中腹の自宅で迎えました。ガス・水道が一斉に止まった中で一睡も出来ず、長田地区方面に上がった火の手をただ呆然と眺めていました。度々繰返される余震におののきながら、これからどうすれば良いのか考える気力も無くただ茫然自失の状態だったのです。夜が明けるにつれ神戸の港が見える様になってきました。すると壊れた港湾施設の彼方に見慣れない光景が浮んできたのです。それらは自衛艦でした。それも一隻や2隻ではなく、大小取り混ぜて10数隻の艦隊が見えたのです。思わず胸にじんと来るものがありました。
よし、助かるぞ。その瞬間、国家が我々に差伸べている救いの手がはっきりと見えたのです。そして私はとにかく仕事場に向かおうと決心しました。何故かそういった意欲が自然と湧いて来たのです」。

平時における自衛隊のあり方というものは、それは抑止力です。抑止力とは何か、それは国民の皆さんに安心感を持って戴くためには、外からの侵略を未然に防止する事に尽きる訳です。1月18日の朝、港をご覧になった神戸市民の多くの方が、心の中でこのような気持ちお持ちになっためではないかと思います。

1月18日の朝から救援活動を始めました。その前に陸上自衛隊の名誉のために申し上げておきますが、陸上自衛隊はこの阪神淡路大震災においては出動が遅かったとしてマスコミから徹底的に叩かれましたが、事実は全く違っています。私達が実動に移ったのが最初の艦の出港としますと9時40分位です。その前にヘリコプターが飛び立っていますので8時11分です。然し、陸上自衛隊の初動は7時です。7時に伊丹駅の交番の瓦礫の中から警官1名を救い出しております。これがレスキューの1号です。そして陸上自衛隊の中部方面総監部が災害派遣の要請を受けたのが10時半です。陸上自衛隊も海上自衛隊も災害派遣要請を受ける前に部隊は活動を始めていました。陸上自衛隊の八尾の航空部隊も偵察に飛び立っており、伊丹の第36普通科連隊も姫路の第3特科連隊も7時過ぎには実動に入っています。

考えていただきたいのは、陸上自衛隊が動くという事は大変な事です。その点、海上自衛隊の方は主として艦を動かせば足りるので比較的簡単です。然し、陸上自衛隊の1個連隊が動くとなると約600名の人間を動かす事になり、多数の車両が必要になり、1列に並べた長さは2kmを超えます。そういう部隊が陸路災害の現場に近付くという事は、阪神高速道路があのような状況の中では非常に難しく時間も多くかかります。

然し、必死で現場に近付こうという努力をしています。それでも陸海空自衛隊の出動が遅いと非難されました。

初動が遅いという非難が向けられるべきは永田町であり、当時の防衛庁のある六本木であれば判ります。それは政治の中枢なので、政治が瞬時に判断して部隊を出せという指示が出来たならば、それなりに行動も出来たでしょう。

私は呉地方隊の部隊を指揮し命令する事は出来ます。すなわち、豊後水道、瀬戸内海、紀伊水道、四国沖を担当する部隊です。伊丹にある陸上自衛隊の中部方面総監は、自分の隷下の近畿、東海、四国、中国などにある62の陸上自衛隊の部隊に関しては、腹を括る事が前提ですが、出動を命ずる事は出来ます。然し、私が青森県むつ市にある大湊の部隊に、或は、伊丹の総監が北海道の部隊に出て来いとは言えません。これを言えるのは、防衛大臣とその上の内閣総理大臣しかない訳です。その判断が遅かったというのであれば私は多少理解出来ます。然し、その非難を現場の陸上、海上自衛隊の隊員の一人ひとりにぶつけていただきたくはなかったとの思いがあります。

9 直面した問題

極めて難しい状況の中で1月18日午前6時から救援活動が始まり、海上自衛隊も260名程の部隊を神戸に揚げる事になりましたが、困った事に海上自衛隊は海図は持っていますが、長田町何丁目がどっちに曲がっているという陸上の地図は持っていません。その地図が無ければ活動出来ません。陸上で使う無線機器もありません。海上の作業に適したウエットスーツは持っていても、残念ながら陸上自衛隊の災害派遣隊員が着ている戦闘服のようなものは持っていません。無いないづくしで260名を揚げてどうするかと私は思いました。そこで私は陸上自衛隊の力を借りよう、乱暴な様ですが260名を陸上自衛隊の指揮下に入れて、思うように使って貰うのが一番良いと判断しました。妙な縄張り争いで、俺の所はここをやると言っても何も出来ません。それなら陸上自衛隊の中に組み入れ、指揮を受けたらどうかと考えました。

これが六本木に聞こえ、海上自衛隊が陸上自衛隊の指揮を受けるとは何事だと大目玉を戴きました。昔でいうなら海軍が陸軍の指揮を受けるとは何事だという事ですが、そういう例は過去にもあります。

沖縄戦における海軍の沖縄根拠地隊司令官の太田中将は、陸軍の牛島中将の指揮下に入っていたと思います。そういう事はありましたが、それは作戦計画とか、陸幕、海幕間で調整が済んだ上での事で、現地部隊同士がやる事はまかりならんという話でした。

それはその通りですが、

「それだったら海幕(注)さん、やって下さい。どうやってやるのですか。地理不案内では何も出来ない、人数だけは260名いる、あるのは手だけ、それをどう使うのですか。私はそれしかないと思います、もしそれがお気に召さず指揮系統を乱すというのであれば私は何時でも腹を切ります」

とちょっと格好良く盾をつきました。

注:海幕とは、海上幕僚監部の略称です。海上自衛隊の防衛及び警備に関する計画の立案に関する事務などを掌る事を任務とし、防衛省に置かれている機関です。

以後、別にお咎めもなく今日に至っている所をみますと、Aさんのゴルフと同じで結果オーライだったのではないかと思っています。そしてこの260名を400名の第3特科連隊と合同させて、700名弱の1個連隊位の規模になりました。そしてその部隊が18日、19日そして20日に亘り人命救助に当たり、8名の方を瓦礫の中から救出しました。残念ながら17名のご遺体を収容し、その他4~5体のご遺体の所在の確認を致しました。

もし海上自衛隊が県知事の要請を待ってから部隊を出していたのなら、その部隊の編成は出来ず、その8名の方が命を落とされていた可能性は極めて高かったと考えます。

それでも秩序や、部隊或いは防衛省の指揮系統を大事にして待つのか、私のように先に出してしまって後追いをやるのか。私は先にお話したように国民の皆様が何を期待しているのだろうか、

「自衛隊がすぐに来て呉れるだろう我々を救いに」

という事だろうと思います。

国際救援活動の中に国境無き医師団というのがあります。その医師団が活躍している場に日本のお医者さんが行かれ、その活動をする時に、私は日本の免許しか持っていない云々を言った時に、国境無き医師団で永年働いているフランスの医師が次のように言ったそうです。

「そこに人が倒れている、僕たちは治す力がある、何故救助してはいけないのか、何故君の免許が問題になるのだ、それは君の腹一つだよ。やるべき事は何なのかよく考えてみろよ」

私が県知事からの災害派遣要請に先立って部隊を神戸に向かわせたのが良かったのか、悪かったのかは神戸市民或いは兵庫県民や国民の皆様の判断を待つ所です。

(第2回了)