回想「阪神・淡路大震災」
-ある講話録(20.12.1)から – (第一回)

元海自災害派遣部隊指揮官・呉地方総監
海将 加藤 武彦

はじめに

私は昭和13年に東京で生まれ、私立栄光学園高校を卒業後に入学した横須賀市走水にあります防衛大学校を昭和37年に卒業して、直ちに海上自衛隊に入隊しました。

入隊後海上や陸上の諸勤務を経て、

☆練習艦隊司令官
  平成2(1990)年

☆海上自衛隊幹部学校長
  平成5(1993)年3月~平成6(1994)年12月

☆呉地方総監
  平成6(1994)年12月~平成8(1996)年7月

などを歴任して退官しました。
退官時の階級は海将であり旧海軍の中将に当たります。

1 呉地方隊

私が最後に在職しておりました呉地方隊は、横須賀など全国の5箇所に置かれている地方隊の1つで、司令部は呉市内にあり、旧海軍兵学校で有名な江田島も近くにあります。

この地方隊が担当する区域は、主に和歌山県以西で宮崎県以東の瀬戸内海と太平洋及び、東京都(沖の鳥島に限る)であり、大阪府、兵庫県(豊岡市及び美方郡を除く。)、奈良県、和歌山県、岡山県、広島県、山口県(山口市、防府市、下松市、岩国市、光市、柳井市、周南市、大島郡、玖珂郡、熊毛郡、佐波郡及び吉敷郡に限る)、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、大分県及び宮崎県などが含まれています。
すなわち、豊後水道、瀬戸内海、紀伊水道、四国沖を担当する部隊です。

5地方隊は、平時に於いてはそれぞれの担当地域内で発生した様々な災害、航空機の救難や艦船の遭難事故などに対する救援活動を海上保安庁と協力しながら行っています。また、過日も発動されましたが、日本海における国籍不明の船舶による海域の侵犯(結果は北朝鮮の船舶と判明)などに対しては、「海上における警備行動」が発令され海上自衛隊が対処します。また、いざという時(有事)の防衛出動が下令された場合、これらの地域において海上防衛活動を行います。

2 阪神・淡路大震災

私が平成6年12月16日に呉に着任して、年が明けた1月17日(月)は、呉市内にあります総監官舎で休んでいました。午前5時47分、ドーンと突き上げるような地震を感じたので、すぐにテレビを点けました。何も言いません。ラジオを入れてみました。何も言いません。どこかで地震があった筈です。私の最大の関心事は、どこで起きた地震なのかという事です。即ち、その地震の場所と規模によっては救援部隊を差し向けなければなりません。部隊に出動の準備をさせなければなりませんが、一体何処なのかが判らないのです。

6時3分になりました。私の作戦室から電話がかかって来ました。阪神基地隊からの緊急報告です。

阪神基地隊は、神戸市東灘区魚崎浜町という六甲アイランドとポートアイランド対岸の海に面した本土側にあり呉地方総監である私の指揮下にある250人程の小さな部隊です。
この部隊の当直の幕僚(注)からの電話で

「大地震が発生致しました。部隊はほぼ全滅です。在隊員には異状はありません。指揮官は只今徒歩で登庁中であります。岸壁が崩れて海水が浸入してきています。その他施設の被害は甚大でありますが詳細は判りません」

との報告でした。
1分にも満たない短い報告でしたが私が海上自衛隊に30有余年奉職して以来、これほど素晴らしい報告をした事も無ければ受けた事もありません。

何故か。その報告によって私は、次に執るべき行動方針を直ちに決める事が出来たからです。

即ち、地震が選りによって小さな阪神基地隊だけを襲う訳はありません。それだけの被害を受けたという事は、後背地の神戸はもう全滅に近いであろう。死傷者も出ているであろう。火災も起きているであろう。もうこれは推して知るべしです。
すぐに災害派遣の準備を命じる事が出来たのは、この短い報告のお陰でした。

注:幕僚とは、指揮官を補佐する高等武官又はそれに準ずる者を言います。参謀に近い意味で用いられる事が多くあります。

3 情報と報告の価値

ここで、情報と報告を考えてみたいと思うのですが情報と報告の価値は、その時その時によって変わるのです。私が欲しかったのは、なるべく早く部隊を動かすために、何処で何が起きたのか、どの位の規模か、それだけ判れば良い訳です。細かい情報というのは後からゆっくり教えて貰えば良いのです。

すなわち、早い情報が欲しいのです。
しかし、ここで気を付けなければならないのは、早い情報には必ず誤報が含まれているという事です。ざっと調べて報告してくる訳ですから、死傷者の数、倒壊した建物の名称と場所などに間違いがあるかも知れません。然し、そういう事は後から調べれば良いのです。大変冷たい言い方になりますが、亡くなられた方が5人であろうと6人であろうと、この1名の違いは、後々の処理としては大事になりますが、部隊を出すという面においては、5人なら出さない6人なら出すという話ではありませんので、死傷者が出ていますというザックリとした情報で良い訳です。

情報の早さと正確性というのは反比例します。従って、その情報の価値はその時その時にどのように役立つかという事で決まってくる訳です。私にとっては部隊を動かすための情報が欲しいので、大雑把な情報があればそれで十分だったのです。

私は早速、幕僚を集め言いました。

 「細かい事を俺に聞くな」

 「俺も君たちに聞かない」

何故かと言うと、ボスが細かい事を聞き始めると、幕僚は更に細かい事を握っていないと駄目だという事で、現場にあれはどうなっているのか、これはどうなっているかと自分の所掌の事をどんどん聞き始めます。そうすると現場は混乱してしまい、本来やるべき救難活動や復旧活動を差し置いて、被害を調べるために余計な作業をやる事になります。本来の任務を達成するためには適時・適切に情報を貰い、それを理解するという情報を報告として受ける側にもそれだけの覚悟と心構えがないといけません。例えば、5人か6人かなど詳しく聞き出すと現場はすぐに混乱してしまいます。

ここで得た教訓というのは、早い情報には誤報もありますが、今必要なのは早さか正確性か、それはその場その場で違うのだという事です。
指揮官は自分が何をするのか、その情報が何のために欲しいのかという事をしっかり考えて情報を要求し、報告を求めないと部下は混乱するばかりとなります。

6時3分にその報告を受けて、すぐに非常呼集をかけ、総員帰隊命令、災害派遣準備を出しました。隊員は続々帰って来ました。ご存知のように、幸い月曜日の5時47分という時間で、殆どの隊員はそれぞれの下宿や自宅或いは勤務先の艦に居りました。神戸の方も同じだったと思います。若し、地震発生があと1時間半か,2時間遅ければ、通勤の方はどんどん電車に乗って動いています。定位置を離れてばらばらに動き出した所に、ド―ンと地震が起きれば犠牲者が五千有余名では収まらず、万を超す犠牲者が出ていたのではないかと思います。冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、月曜日の5時47分に起きたという事で、死傷者の確認や行方不明者の把握が割に速く出来たのではないかと思います。

激しい地震ではありましたが、神戸のそれほど広くない場所に限定・された地寮でした。これが関東大震災のように関東平野一円だと一地方総監の力ではどうにもならなかったであろうと思います。

幕僚を始めとして、艦艇部隊の指揮官、補給所の指揮官などとそれぞれの部隊の指揮官が集まって来ました。
私は、

「災害派遣準備。艦艇部隊は直ちに出港準備。航空部隊はすぐにヘリコプターを飛ばして偵察に当たれ」「目的地は神戸」

との指示を出しました。

8時11分には徳島基地から、8時50分に小松島基地からべリコブターが偵察に飛び立っています。9時40分に輸送艦が9時50分には護衛艦がそれぞれ呉を出港しています。

4 出動か待機か

ここで皆さんは、非常にスムーズにいった様に思われるかも知れませんが、実は大きな問題がありました。

それは災害発生時に放ける自衛隊を規定している災害対策基本法及びそれを受けた自衛隊法の条例との関係です。自衛隊法第83条には、非常に大きな被害を伴う地震等の天変地異が起きた場合には、県知事などは自衛隊の各方面総監に対して災害派遣の要請をする事が出来るとあります。そして、その2項には要請を受けた自衛隊の地方総監は、部隊を派遣する事が出来るとあり、その2項の但し書きに

「但し,県知事等の要請を待つ暇も無い場合には独自に出しても差支えない」

旨が書いてあります。

なお、3項には近傍に火災などのあった場合には積極的に消しに行くという事が書いてあります。

しかしながら、自衛隊が発足してから40有余年間、この自衛隊法第83条2項の但し書きによって部隊が動いた事はありません。どういう事かと言いますと、自衛隊というのは武力を持った集団であり、この集団が政治のコントロールを逸脱して独自に動く事がないように、政治には非常に強い警戒感があり厳しい制約が我々制服組に与えられています。従いまして、この但し書きで自衛隊が今までに動いた事は一回も無かった訳です。政治が武力をコントロールするのは当然の事です。一方、それでは、例えば今度の場合、政治がどれだけ神戸の状況を知っておられるかという事です。この第83条2項にはそう書いてはあるのですが、さあどうするかという事で実際は迷いました。

前述のように、但し書きで部隊を動かすという事になれば、自衛隊が始まって以来の事例になる訳です。判断によっては、政治の許可が無く部隊を動かしたという責任を問われる事になるかも知れません。

この時私がふと思ったのは、この地震が起きた時、兵庫県民、神戸市民の方々はどう思っておられるのかという事です。難しい制約があるという事はご存じありません。したがって、何かが起きた時、自衛隊が救援に来て呉れるに違いないと思っておられるだろうと思いました。それが国民の常識だろうと思いました。

しかし、自衛隊の常識というのは、災害派遣の要請があるまで待つ事です。国民の大きな期待というのは、すぐに自衛隊が来て呉れる事にあります。

加えて、私の前にはすでに自衛隊を辞められた多くの陸海空でのOBの方々がおられます。幸いにして、腰に差した刀を抜かれる事もなく、今は好々爺としてお孫さんの相手をしておられる方も居られるでしょう。また、私の後ろには何万という若い自衛官が加藤総監はどうするだろうか、多分部隊を動かして呉れるであろうという思いで待っているのではないか思いました。

さてどうするか。

わが身の保身を考えて災害派遣の要請があるまで待つか、待たずして部隊を出すかを考えましたが、出す事にしました。

私が呉地方総監のポストに就いて1ケ月後にこの地震が起きた事は、神様がお前はこの事態を処理しろよと言われたに違いない、これは私への天命だと思いました。

呉から神戸まで艦船で瀬戸内海を抜けて10時間ほどかかります。人命救助にとってはこの10時間は極めて重要です。この10時間の間に兵庫県知事からの災害派遣の要請があるだろう。若しなくても良い。その時は私の責任で処置しようと決心しました。

5 イエスマンは要らない

すぐに幕僚達を集めて、

「災害派遣の部隊を出すので直ちに準備せよ」
「艦艇部隊は準備が出来次第に出港せよ」
「ヘリコプター部隊は偵察して報告せよ」

と命じました。
そこに、防衛部長が飛んで来て、

「総監、部隊を出されるのですね」

と尋ねますので、

「私は出す」

と答えました。そうすると、

「もう一度伺いますが、出されるのですね、県知事からの要請はないのですよ」

と念を押して呉れました。
それでも、

「出す」

と言いますと、

「判りました。総監がそこまで腹を決めておられるのでしたら、後の部隊運用は全部私がやりますから」

という事でその後の采配を振るってくれました。

その防衛部長は私の右腕でNo.2です。この男と私は平時においての物事の処置や業務のやり方や意見が必ずしも一致しているという部下ではありませんでした。私はどちらかというと緩やかな方でしたが、彼はかなり積極的に物事をどんどん進めてゆくタイプでした。

私はこの意見の違う、必ずしも仲良し倶楽部のメンバーではなかったこの男を部下に持った事を非常に幸せに思いました。本来ならば、部長が行く行くというのを私が止めるところであったのに、その反対でした。違う意見を持っている人を私の幕僚には是非欲しいと思っていました。何故かと言うと、私が何かを考える、何か業務をやろうとする時に幕僚の意見を聞くと、

「おっしゃる通り」

と答えるようでは幕僚など要りません。私一人だけで十分であり、私の足りない所を言ってくれてこそ幕僚の存在価値があるのです。

したがって、私は部下の選択については仲良し倶楽部という事を出来るだけ避けるようにして来ました。

平時の日常業務の運営についてガサガサする事もありますが、いざという時にそのような意見を直言して呉れる部下程有難い部下はないと思います。

部隊を預かりながら物事を決める時に心掛けねばならないのは、自分の心がいかに無色透明に保たれるかという事です。私も生身の人間ですから、これから自衛隊には4~5年奉職する事が出来る、ひょっとするとトップまでやれるかも知れないなどの欲のようなものもチラツキます。何でもそうですが、判断を下す時、色眼鏡をかけて物事を見たり、心が透明になっていないと、どうしても判断は自分の利益を少なからず無意識の内に追求している事があるように思います。30何年の自衛隊生活の中で様々な指揮官を見て来て、そのような思いを強くしました。

(第1回了)