「兆候」を見定めることの難しさ

元自衛官(陸上) 現星槎大学非常勤講師 森 清勇

  東日本大震災は1000年に一度とも言われる惨害をもたらし、「国難」とも呼ばれている。被害が広域であり、二次災害として発生した福島第一原発事故による放射能問題が地域住民はもとより、日本をはじめ国際社会にも大きな影響を与えている。
  地震の規模はともかくとして、発生は確率的には予測されていた。また、福島原発事故も原子炉の旧式なことや冷却方法の特異性などからスリーマイル島、チェルノブイリに次いでリストアップされるほどに危険性が指摘されていた。
  こう見ると、「災害は忘れた頃にやってくる」のではなく、忘れてはいないが被害がほとんど無かったり小さかったりで、「まあ、いいや」「全ては想定内」という確信を高めているうちに、「どか~ん」と想定していた以上のものとなり、今回のように大きな被害を与えることになるのではないだろうか。今年の流行語大賞を得そうな「想定外」であるが、本来想定内にすべきものを色んな理由から想定外に追いやっているのではないだろうか。

  兆候を見定めることの難しさの最たるものが戦争であろう。後から診れば兆候が幾らでも列挙できることは歴史が示している。しかし、その時は、露ほども「戦争への一里塚」などとは思っていない。たとえ一里塚と思って警鐘を鳴らしても、被害妄想と決め付けられるのが落ちである。
  第二次大戦の発端となる英仏のヒットラーへの宥和が然りであった。ヒットラーの野望は至る所に見え隠れしていたが、英仏は戦争へ発展するのを嫌悪してずるずると譲歩した。大東亜戦争への道でも、兆候と思われる事象は数多く存在したが、その軽重を見定めることが出来なかった。

  大震災の悲惨な光景を払拭して復興を祈念しながらも、他方では尖閣諸島沖の中国漁船追突事案を思い出している。それは必然的に日中国交回復時に鄧小平が「尖閣問題の解決は後世の英知に待とう」といって先延ばししたことに突き当たる。この時点で尖閣の領有権を問題化したいという中国の意図を「兆候」として見定めていたならば、日本のその後の対処は異なって、今日に至る経緯は大いに違ったものになったのではないだろうか。国際政治を忽せに出来ない一面は、「兆候」を如何に受け止めるかにある。

(平成23年6月1日書く)