「ワイゼッカー演説の謎」を読んで


元陸上自衛官 現星槎大学非常勤講師 森 清勇

 友人が日経新聞(2014.8.24)の「風見鶏」欄を郵送してきた。それは「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」で有名なワイゼッカー演説に関する記事。
 ドイツの敗戦40周年にあたる1985年5月8日、ワ大統領が連邦議会で行なったもので、3日前にはコール西独首相がレーガン米国大統領を案内してナチス親衛隊の戦死者も埋葬されているビットブルクに墓参し、ワ大統領はレーガンに謝意を述べてさえいる。
 掲題に「謎」とあるのは、翌9日付で一部の新聞が「ナチスに対するドイツ人の責任を説いた」、「5月8日は人々をナチの暴虐から解放した日だ。ドイツの若い世代に他の民族と仲良く共存していくことを学んでほしいと呼びかけた」などと演説を紹介するが、「過去に・・・」の一節はないという。
 「風見鶏」氏は、当時のボンにいた特派員たちが「過去に・・・」を書かなかったのは、日本が中韓と靖国問題や歴史認識問題を抱えていたからであろう、と「謎」解きをする。



 演説の骨子を日本に適用すると、「8月15日は人々を軍部の暴虐から解放した日だ」、「民族全体が有罪とか無罪ということはない。有罪、無罪は集団的ではなく個人的なものである」、「今日の人口の大部分は当時子供か、まだ生まれていなかった。自分が手を下していない行為に対して、自らの罪を告白することは出来ない」となろう。
 600万のユダヤ人、50万のロマ(優秀の意。従来ユダヤ問題で精いっぱいで、近年漸く問題視されだした。以前のジプシーは野蛮の意で差別語)民族の虐殺は、人類史上最初にして唯一の「人類に対する罪」を犯したドイツの国家犯罪である。
 因みに、筆者は6月下旬~7月初旬にかけて、アウシュビッツ(現地はポーランドでオシフィエンチムという)などを訪ね、規模や虐殺の状況などを見て、献花してきた。
 ドイツの「国家」が犯した犯罪でありながら、それをナチスという特殊集団(に所属する個々人)が行ったものであると言い逃れ、その個々人が高齢で亡くなった後は、当然ながらその罪は消える(告白できない)という、実に都合のいい理屈が埋め込まれており、国家の免責以外の何ものでもない。
 元ドイツ大使の有馬龍夫氏は「演説に謝罪あるいはそれに類する表現は見当た」らないという。謝罪すれば国家犯罪を認めたことになり、補償で国家が消滅しかねない危惧があるからである。
 中韓や日本の平和愛好者は「過去に・・・」を持ち出して、日本は謝罪も補償もしていないと責め立てる。しかし、「風見鶏」氏は、当該「演説は半ば神話になった。神話と史実とは違う」と結んでいる。(平成26年9月27日記す)