韓国の計画の杜撰さと大統領の言葉の軽さ


元陸上自衛官 現星槎大学非常勤講師 森 清勇

 韓国や韓国人の行動は「大」に「つかえる」ように動く、事大主義が伝統である。日清戦争を引き起こした原因は朝鮮で起きた東学党の乱の鎮圧を、当時眠れる獅子と称されていた大国・清に依存しようとしたことにある。
 日清両国は朝鮮での緊張を緩和するために、両国は朝鮮半島から完全に撤兵し、ことが起きて再び出兵するときは相互に照会するという天津条約を結んでいた。中国は朝鮮の依頼を受けて出兵するが、日本への通知をしない義務違反を犯した。そこで、日本も対抗上、半島に出兵することになる。
 日本勝利の結果、朝鮮は華夷秩序の柵封体制から離脱して独立国となり、後に大韓帝国と称した。しかし、満州を勢力下においていたロシアが南下し、朝鮮内の勢力争いを利用して利権を得、日本への圧力を増大させた。
 日本は外交努力(具体的には日本側は朝鮮半島を、ロシア側は満州を支配下に置くという案など)で軍事衝突を避けようとしたが、事大主義を常とする韓国が強大なロシアに依存しようとする動きなどもあり、ロシアは妥協せず日露戦争に発展した。



 今日、韓国は米韓同盟を結びながら、安全保障の面で中国に近づきつつあるように見える。事大主義の歴史を省みると、「然らん」と頷けないでもない。
 独立国という意地を張りたい、気概も見せたい。しかし、それかといって、何となく自信が持てない。米国の力も落ちている。そうした気持ちが反映されているようだ。
 それが「戦時作戦統制権」の移譲問題にもろに現れている。韓国の腰が定まらない点では日清・日露戦争前後の状況に似ている。
 ヘーゲル米国防長官とハンミン韓国国防相が10月23日、米国防総省で米韓安保協議会を開き、2015年12月の予定されていた在韓米軍から韓国軍への戦時作戦統制権の移譲を、「北朝鮮の脅威に対処する中核的な軍事能力を確保するために」再延期することで合意した。
 盧泰愚政権時代に作戦統制権の移譲要求が高まり、1994年に平時作戦統制権が移譲された。盧武鉉政権になると自主防衛を主張し、2007年には戦時作戦統制権の移譲も要求、12年4月の移譲で合意した。
 李明博政権は対応能力を心配し、移譲を15年12月に先送りする。そして、朴僅恵政権である。両国防相の合意では、移譲の目途を20年代半ばとしている。
 共通している点は、自分の政権期間内での処理、あるいはしっかりした長期計画での延期ではなく、次期政権内での返還という責任逃れを繰り返していることである。
 国家の計画としては余りにも軽薄であると言わざるを得ない。同時に、こうした繰り返しは、国家と大統領に対する信頼を落すばかりではなかろうか。

(平成26年11月1日記す)