白鵬問題から文化の違いを考える


元陸上自衛官 現星槎大学非常勤講師 森 清勇

 白鵬が63連勝で止まった時、双葉山に因んで「未だ木鶏たり得ず、だな」と語った。また今では「後の先」を極めるようにしているなどと勝負師の言葉を口にするたびに、相撲道を心得た日本人以上に日本人的大横綱だと、多くの日本人に思われてきた。
 筆者自身は、制限時間が告げられた時、そそくさと塩を採りに行く姿や、勝ち名のり後の懸賞金の受け取り方と、土俵を去る時に俺は強いんだと言わんばかりに懸賞金の束を振りかざすような姿をみて、「木鶏」の片鱗も感じられないと常々思ってきた。
 それはともかく、白鵬の印象が、平成27年正月場所13日目の稀勢の里戦の取り直しに関した発言で、すっかり色あせた感じになった。筆者にはむしろ稀勢の里が勝ったようにさえ思えたので、取り直しは妥当な判定と見た。
 公平に裁くための合議であり、更にビデオさえ導入されている。それでも神ならぬ身の審判では、明らかに誤審と思しき判定もままあった。こうした判定は、後の反省材料として生かされてきたが、関取が直接批判したという話を耳にしたことはなかった。白鵬は日本文化としての大相撲の法度にふれたのだ。
 しかも恒例の一夜明け会見に1時間も遅刻した後の「疑惑の相撲が一つある」で始まっただけに、全く想定外であった。しかもその物言いが「子供でも分かる相撲」、また「肌の色に関係ない」(この場合は、国籍という意味であったろう)であったのだ。
 国技であるにも拘らず、日本は外国人を受け入れ、しかも、日本人横綱がいないことを残念に思いながらも、勝負の世界のことと受容してきた。そうした空気もあった中での「子供でも」「肌の色」という物言いには正直がっかりしたし、「馬鹿にするんじゃないよ」「(大鵬を越えたからといって)図に乗るんじゃない」、あるいは「思い上がりもほどほどに」という感じを抱いた人も多いだろう。帰国寸前に宮城野親方に見いだされ、才能を発揮して期待に応えてきた横綱である。相撲に慣れ親しんできた日本人にとっては大鵬を越しても称賛こそすれ、肌の色(国籍)を口にするようなことはほとんどなかった。



 そうした矢先の問題発言である。国が違えば文化が違う。しかし、その埋め合わせは一寸やそっとではできないことを改めて知らされたのだ。
 日本がいま直面している文化の違いの最大は、事実も歴史も改竄・捏造して平然としている隣国の従軍慰安婦や南京大虐殺問題であろう。
 日本人は基本的には事実や歴史は改竄できないし、しようとは思いもしない。従って、慰安婦問題でも強制連行ということはなかったが、広い意味での強制性はあったと認めている。国際社会で起きる並みのことであるが、内政との絡みから隣国は矛を収めようとしない。
 南京事件も国策の解決策として行った侵略戦争ではなく、合法的に駐屯していた日本軍に対する画策からの事変とみてきた。そのため、日本は不拡大方針のもと、数度の停戦協定を結んできた。
 しかし、相手は米独等も巻き込んで、日本をどんどん引きずり込まれ、戦線は北支から中支へと拡大していった。南京戦では糧食欠乏の上、多大の捕虜の発生など已むを得ざる事情から通常の戦争犯罪は犯した。
 しかし、日本軍が特段悪辣非道であったという意識はなかった。通州事件などに見るように悪辣非道は中国であったが、孫子の兵法に熟達した相手が自国民に対してさえ「国を全うする」ために「謀を伐つ」ことを日本はすっかり忘れていた。