一咫半(ひとあたはん)の知恵


元陸上自衛官 現星槎大学非常勤講師 森 清勇

 麻生太郎首相(当時)がインドを訪問した時の話が思い出される。ファジーとは「いいころ加減」という感じを受ける。しかし、それが、物事をスムースに進める要諦であるということに、インドがとても感心したという話であった。
 電車などでは時間や停車位置が決められている。しかしよく見ると、時間は分単位で示され59秒の誤差が許される。停車位置もドアの幅くらいに線引きがしてある。これが運転手には考えられない安堵感を与えるというのである。
 安保法案審議では、廃案志向の野党が法的整合性とやらを前面に打ち出し、明確な答えがないと、「どこまで拡大するか分からないではないか」と、突っ込んでくる。また、首相と主務大臣の答弁で表現の違いがあると、「認識が違う、閣内不一致だ」という具合に、「日本の安全」を忘れて責めまくった。
 ともあれ、ここで言いたいのは、「融通性を持った法案の整合性」である。よく言われるように、日本ではポジティブ・リストで「○○はして良い」という方式で示している。カンボジアPKOでは「道路・橋梁の修復等」の一任務が与えられた。
 その後、現地人の治療や国連職員の輸送、給食、宿泊なども依頼され、一々上級司令部を通じて陸幕に問い合わせ、政府に上げ、国連と調整し、実施できるようになっていくが、その場で対応できず、対応までに1週間や1か月が過ぎていたそうである。
 すべて現地指揮官の判断で可能なことばかりであるが、ポジ・リスト式のために、命令変更が必要となり、現地指揮官は能力がありながら、適切に対応できなかったのである。
 一方、ネガティブ・リスト方式の諸外国は、「××はダメ」の指示だから、想定外を含めた××以外はどんなことにも迅速かつ柔軟に対応できる。
 元々、日本人は物事を決めつけない、「いい加減」と言えばいい加減な所もあり、会話の記録などを残さず、外交で問題になることもしばしばである。
 しかし、素晴らしい点もあった。箸の長さは子供用何センチ、大人用何センチと決めつけるのではなく、年齢や身長に関係なく「一咫半」が使いやすい目安とされた。
 親指と人差し指を無理なく開いた長さが一咫(ひとあた)であり、さらにその半分を加えた長さが一咫半である。何と融通性のある長さの単位であることか。
 咫は「あた」と読み、「八咫烏(やあたがらす→やたがらす)」「八咫鏡(やあたかがみ→やたかがみ)」に使われている。
 咫は、一般には上代の長さの単位とされるが、親指と中指の間でボヤッとした長さである。安保法制には、法的整合性に一咫半の知恵が益々必要となるように思えてならない。

(平成27年9月13日)