大東亜戦争、国民自らの分析と反省が必須!

山下 輝男 
H29/5/13

 阿部牧郎氏の大作「神の国に殉ず 小説東条英機と米内光政」(祥伝社刊 上下計約1000頁)を読んだ。流石に斜め読みという訳にもいかず、結構時間がかかった。大東亜戦争関連の本は久し振りだ。読みながら、約30年前の統幕学校一般課程学生時代に取りまとめた「我が国の戦争指導に関する一考察」を思い出した。
  
 阿部氏は、47にも及ぶ図書を参考にしておられるだけあって、寡聞にして承知していなかった事項もあり、参考となった。公平中立に史実に立脚して、東条、米内両氏の生い立ちから大東亜戦争との関わりを紡いでいる。歴史的史実を知悉して居なければ少々難しいかも知れぬ。この様な史書、伝記書が更に輩出して欲しいものだし、一般国民が更に関心を持って頂きたいと願わずにはおれない。

 「神の国に殉ず」を読みながら、かって纏めた「我が国の戦争指導に関する考察」内容を思い出した。読後感的なものをも含め、参考に記したい。拙論は、残念ながら、約30年前の文書であり、その所在は不明であった。パソコンが可笑しくなり消滅したものと推察される。

①攻勢終末点の判断誤り
②「バスに乗り遅れるな」に押されての日独伊三国同盟の締結の誤り
③戦争終結構想の非現実性
④統帥権の独立の問題
⑤陸海軍の対立調整システムの不在
⑥軍部大臣(陸・海相)武官制、軍部からの推薦制による倒閣或いは軍部意向の反映内閣誕生
⑦強かな米欧戦争指導者に翻弄された。米国の陰謀?
⑧日清・日露戦争時の戦争指導者の政軍理解 (武人でもあり政治家でもあった)
⑨科学的・合理精神の希薄
⑩国民世論への過度の配慮、国民世論に幻惑され、冷静沈着な判断できず
⑪数度の日米和平交渉機会時の大決断なく、大戦略・政治家の不在
⑫過度の精神主義の強調、精神主義と合理的な戦略判断は異質
⑬明治憲法下における天皇と立憲君主制における天皇の権能、終戦の御聖断、天皇の存在の偉大性
⑭結節点において、硬軟何れを採るべきかの際に、結果的に悪手を採用してしまった。
⑮何故、下剋上と云われる状況が出来したのか?高級将帥の不勉強、統率力不足、合理的精神の欠如
⑯「戦陣訓」の一節「生きて虜囚の辱を受けず」で非難囂々の東条さんだが、日本的な文化だったのではないのか?
 確かに国際法上は問題点があるとしても、…全ての罪業は東条氏に帰せられているようだ。誰かを悪者にして
 自らの心の平穏を図るのは卑怯だ。
⑰一部の急進的意見に国民のみならず戦争指導者すらが引きずられる。
⑱政治優先の大原則が何故蔑ろにされたのか?政治の混乱が軍人の政治関与を齎した?
 かと云って、関与は許されないとの大原則が無視された。機械と技術を重視する海軍には伝統的に政治不関与が
 貫徹されていたが、否が応でも、国民と直接接触する陸軍は政治に関心を持たざるを得なかった。軍人勅諭でも
 明示されていたにも拘らず。
⑲天皇の政治利用 聖慮を振りかざす愚
(以上の内容が明示的記述されている訳ではなく、かっての拙論を思い出しつつ記述念為)

 本書下巻の巻末の一文を紹介しよう。
 『東条英機、米内光政はともに国家神道の熱心な信者だった。両者のちがいは、東条が宗教である国家神道の価値尺度に公私とも忠実だったのにたいして、米内はその適用を私の範囲にとどめ、公においてはあくまでも冷静な合理主義者だった点にある。』
 東条氏と米内氏は共に岩手に所縁があり、大東亜戦争において極めて重要な役割を果たしたが、その方向性は確かに違っている。米内氏を称賛することに異論はないが、東条元首相に対する非難は度を越している。もっと正当に評価されるべきだ。氏は全ての罪を背負って刑死したのだ。陛下の白紙還元の御諚を受けて真摯にその具現化に努力したにも関わらず、統率力のある東条さんでも大勢を変えることは出来なかった。それ程国論は強く、下僚からの圧迫も強烈だったのだろう。
 最後に、海軍の暗号が解読されていて山本五十六大将の乗機が撃墜された話は有名だが、陸軍の暗号は遂に解読されることはなかったと云う。初耳であった。
 大東亜戦争を語る時、『特攻』を避けることは出来ない。非常時、已むを得ざる行為であったとしても、統率の邪道外道の策であることは厳たる事実だ。将兵をしてそのような状況に追い込まぬ統帥・政治こそが肝要だ。

 最後に、大東亜戦争終了後70年が、既に経過した。戦勝連合国の史観に寄らぬ自らの大東亜戦争の反省があって然るべきだろう。国策を何故間違ったのか、我が民族は如何にあるべきなのかを自ら分析・反省して未来に向けての教訓を引き出すべき時に差し掛かっているのではないだろうか?日本人の特性は何だろう。熱しやすく、熱したらとことんまで行ってしまう。大局を見失う。それに付和雷同する政治ではないか?島国ゆえに、強かな国際政治を理解せずに、翻弄され続ける日本が実態ではないのか?自らの特性をしっかりと認識することが肝要だ。
 大東亜戦争の戦争責任は、東京裁判史観に拠らず、自らの分析と反省に立って為されるべきだ。当時の戦争指導者が何故国策を誤ったのかの責任は問われるべきだ。それと同時に国民自らの責任にも目を向けるべきだろう。

(了)