帝国陸軍等は、果たして、悪逆非道・無法なる軍隊なりしか?
(副題:戦争犯罪について考える!)

平成29年8月24日
山下 輝男   

1 初めに
 例年終戦記念日前後になると大東亜戦争等に係る報道が多く、それらを視聴していると、時に日本人であることが恥ずかしくもなり、チャンネルを廻してしまう。
 帝国陸軍が完璧な軍隊であったとは思わぬが、それでも喧伝されているほど酷い、非道な軍隊であったのか、疑問を感じざるを得ない。報道の一方的な断罪には違和感を持つ。
 本稿は、戦争犯罪についての管見を述べている。諸外国軍の罪を取り上げて、日本(軍)の罪を相対化する積りはないが、日本の悪行を論(あげつら)うのみでは、余りにも一方的過ぎると感じる。殆どの事件(事例)の事実関係は、不明確で何が事実・真実なのかは未だに闇の中であるが、敢えて、挑戦したい。
 今後の戦争犯罪を考える一助となれば望外の喜びである。

2 戦争犯罪とは
 戦争犯罪とは、一般的には、戦争法規に違反する行為と定義される。一方の交戦国の軍隊構成員又は市民が、相手交戦国に対してある種の行為を行ったとき、相手交戦国はこれを処罰することが出来るとされている。これに違反する行為が、戦争犯罪だ。
 この戦争犯罪概念が、第一次世界大戦後に拡大した。WW1後の1919年のパリ平和予備会議で「戦争に関する責任を調査する」15人委員会が設置され、犯罪事例33項目が列挙された。
 更に、大戦終了時に締結されたのベルサイユ条約の第227条では、独皇帝の責任を問いその訴追を定めていた。これが戦争概念拡大の初めとされる。独皇帝はオランダに亡命、オランダが引き渡しを拒んだので戦犯裁判は行われなかった。
 1928年には、不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)が締結され、国際紛争を解決する手段としての侵略戦争は国際法違反とされた。
 通例の戦争犯罪については,1929年「捕虜の待遇に関する条約」が締結されたが、日本は批准を保留した。WWⅡに際しては、日本は準用すると連合国側に回答している。
 1945年のポツダム宣言では、“日本の戦争犯罪人の処罰”を明確に宣言した。米英仏ソはロンドン協定を締結し、ドイツなどの重大戦争犯罪人を国際法廷で裁くことが確認された。この協定がニュールンベルグ裁判に繋がり、東京裁判へと繋がっていく。
 これらの裁判所の条例では、通常の戦争犯罪(所謂B級)の他に「平和に対する罪:所謂A級」と「人道に対する罪:所謂C級」についてもこれを犯罪として処罰することが規定された。
 これらについての問題点は、以下の通りである。
 ①平和に対する罪や人道に対する罪は実定法上確立されていなかった。即ち爾後法の適用だとの批判がある。
 ②国家機関として行動した個人を、個人的な処罰の対象とすることは不合理だとの批判がある。
 ③裁判所、戦勝国のみによって構成され、敗戦国側の行動だけが裁かれるのは不公平との論も根強い。
 ④B・C級戦犯裁判を行ったのは、各国の裁判所・裁判官ではなく、各軍の「軍事委員会」で、
判事は全て軍人だった。厳密な意味での司法裁判とは決して言えないとも。
 ⑤東京裁判には、平和に対する罪と人道に対する罪について裁判する権限はない。
(清瀬一郎弁護人:受諾したポツダム宣言には、A・C級裁判を行うことについては記載されていない。)
 ⑥戦争犯罪の時効:何時の時点まで遡るかが疑問。時効不適用条約が採択されたのは1996年である。
 ⑦無視された連合国側の戦争犯罪の問題をどうする。

3 喧伝されている旧(陸)軍の非道
 「世界戦争犯罪事典」等の関連書籍やWikipedia等に記載されている戦争犯罪として列挙されている事件・事例は数多あるが、それらを分類してみると以下のようになるのではないかと考える。
 ①捕虜等の虐待に関する犯罪とされるもの
 ②捏造或いは誇大化された戦争犯罪
 ③相手国の国際法違反の行為に対する攻撃側の軍事的対応の是非
(ダブルスタンダードによる非難)
 ④一方的な断罪とも云える戦争犯罪
 ⑤その他

4 捕虜に係る虐待
 戦争犯罪とされるものの大半は欧米人捕虜に対する虐待である。
 先行研究(「旧軍における捕虜の取り扱い」(立川京一氏 防衛研究所紀要第10巻第一号 http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j10_1_3.pdf)によれば、捕虜虐待は、次のように分類される。

 捕虜収容所外における虐待
 (1)移動にまつわる虐待(バターン死の行進、サンダカン死の行進、泰面鉄道建設動員
捕虜移動、スマトラ北部建設労務捕虜移動、海上移動時の海没捕虜等)
 (2)労務にまつわる虐待(泰面鉄道建設、パレンバン等飛行場建設、スマトラ軍用道路建設、
善通寺砲弾薬莢磨き、防空施設建設、弾薬運搬、石炭採掘等々)
 (3)逃亡にまつわる虐待(大阪俘虜収容所桜島分所、福岡俘虜収容所本所、
フィリピン俘虜収容所第1分所等々)
 捕虜収容所内で生起した虐待
劣悪な居住環境、不十分な医療態勢、食糧の典型的な日本食メニューと不十分な量、
収容所内の具申・請願対応不備や交戦相手国から紹介・抗議対応不備、
捕虜救恤対応不備、訪問・面会対応、空襲被害、生体実験、私的制裁、私物の略奪、
捕虜郵便発受や書籍等の検閲等の対応

 捕獲連合国軍航空機搭乗員に対する虐待(東海軍管区(38名)、中部軍管区(55名)、
西部軍管区(41名)、石垣島(3名)、東部軍管区(空襲時に62名、17名)大陸や南方占領地でも
 捕獲直後の捕虜に対する虐待(ラハ事件、ランソン事件)

これら事件等に係る反論や見解等は、詳述は割愛するが、以下の通りである。
 ①日本の文化・習慣に対する誤解
 ②旧軍の捕虜の待遇に関する理解・認識不足
 ③同胞に対する無差別爆撃等に対する復仇
 ④日本軍も極限状況下にあり、他に対応すべき手段等なく、止むを得なかった。
(独善的、正当化し過ぎとの批判はあろうが、当時の状況を考慮すれば、このようにも云えよう。)

5 捏造或いは誇大化された戦争犯罪
 (1)南京事件(虐殺)
ア 事件の概要
 1937年(昭和12年)12月の南京戦において、日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、当時の日本軍が中国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵、そして南京城内や周辺地域の一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件。
イ 論点
 以下に列挙している論点は、小生の折々の記No75:捏造に踊る日本! (脱稿:H18/3/23)に記載しているものである。(http://yamashita2.webcrow.jp/oriori-75.pdf
論点1:虐殺数30万人の妥当性
論点2:軍事行動と無関係な無辜の住民に対する殺害の有無
論点3:組織的な殺戮の有無
論点4:掃討(掃蕩)作戦の是非及び実態
論点5:強姦・略奪の有無
論点6:各種証言等の検証

① 欧米人の目撃証言の実態
② 特派員や記者が撮影した映像、東中野修道氏らの検証チームによって南京虐殺の証拠写真は何れも否定
③ 日本人ジャーナリストの証言
④ 従軍兵士の証言
⑤ 虐殺された遺体は何処に消えたか?

論点7:日本軍高官の証言・記録等に関する検証
論点8:虐殺範囲の拡大
論点9:捕虜殺害に関する方針
論点10:当時の国際認識はどうであったか


 (2)第731部隊(関東軍防疫給水部本部)による人体実験
ア 事件の概要
 先日(2017/8/13)報道されたNHK特集「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」について検討してみたい。
 731部隊は、著名な小説家である森村誠一が、1981(昭和56)年日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」日刊紙版等に掲載されたノンフィクション作品「悪魔の飽食」で一躍世に知られた。尚、悪魔の飽食の第二部は、翌年赤旗日曜版に掲載された。
 森村氏は、その著作“悪魔の飽食”で、関東軍731部隊が行った人体実験の実態を詳しく描写したとされる。
 先日のNHKの特集は、旧ソ連で1949年12月に行われた「ハバロフスク裁判」の音声記録を発掘したとして報道したものである。
 防疫給水部は、兵士の感染症予防や衛生的給水体制研究を主任務とすると共に、科学動員の一環としての、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関であったとされる。その目的達成のため、人体実験や生物兵器の実戦的使用を行ったとされている。常石敬一氏の著「消えた細菌戦部隊」によれば、1940年から1945年までの5年間で、人体実験が行われ犠牲になった者は3000人であったとされる。(85p)


イ 色々な見解等
(ア)生物兵器の実戦的使用
 常石敬一(「関東軍第731部隊 消えた細菌戦部隊」の著者)、青木富貴子(「731」の著者)、秦郁彦(「世界戦争犯罪事典」の佐瀨昌盛氏との編・著者)等は、単に生物兵器の研究を行っていただけではなく、これを実戦で使用していたと主張している。
 また、同部隊所属であった金子元軍医の論文においても、日本軍が実使用したとされている。
 金子元軍医の論文について問われた当時の玄葉大臣は、「事実関係が断定できるか難しく、今後の研究に俟ちたい。」旨述べた。
 寧波、満州新京、常徳、浙?ではペスト攻撃が行われたとされるが、自然発生とされるものもあるとされ、今後の研究が待たれる。

(イ)人体実験について

①森村誠一氏の「悪魔の飽食」における人体実験に対する疑義
 Wikipediaの人体実験の信憑性に対する疑問には以下のように記載されている。
以下引用
『現在では常石敬一、松村高夫、青木冨貴子等によって731部隊の全貌が徐々に明らかにされており、731部隊の細菌戦研究や人体実験そのものを否定しようとする歴史学者は存在しないものの、以下に示す項目などを根拠として、『悪魔の飽食』の信憑性に疑いを持つ者も一部で存在する。秦郁彦は、自著の中で731部隊による細菌戦研究や人体実験の事実を認めつつも、『悪魔の飽食』を、小説とノンフィクションがごちゃ混ぜになった作品と評している。
・関係者はすべて匿名であり、その証言の裏付けがとれない。
・二転三転する証言により、証言者の信頼性に疑問符が付く。
・731部隊に関する資料をアメリカが回収し、米国立公文書館が日本の戦争犯罪に関する米情報機関の機密文書10万ページ分を公開したが、この資料からは731部隊の人体実験に関する記述がまだ見つかっていない。(下記④関連)
・旧満州国は、米国ではなく旧ソ連及び中国に占領されたが、その方面からの裏づけを欠く。
・戦後に関係者から証言を引き出したハバロフスク裁判自体が法学者によって否定されている。(下記③関連)
・遺骨などの物証に欠ける。
・人間が入るほどの遠心分離器で体液を搾り出す。→全身骨折で死亡しても、凝血するだけで血液は出てこない。
・注射針で体液を吸い出してミイラにする。→血液を他の液体と置換するのではなく、干からびるまで吸い出すのは現在の技術でも不可能である。
・真空室にほうり込み、内臓が口、肛門、耳、目などからはみ出し破れる様子を記録映画に撮る。→宇宙開発での実験により、このようなことは起きない事がわかっている。本記述を否定する実例として、ソユーズ11号の事故が存在する。

②悪魔の飽食に使用された写真の中に偽物があったとされ、回収絶版となった。
 改訂版では、それらの写真は削除されている。

③NHK特集でも取り上げられたハバロフスク裁判について
 ハバロフスクは、数ある日本軍捕虜収容所の一つであり、ソ連共産党政治局員らによる徹底的な
洗脳教育が行われていた可能性が高く、本ハバロフスク裁判の信憑性には多大なる疑問があると云わねばなるまい。

④米国立公文書館機密文書公開関連 (News Archivesから)
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/2bd852e3cc16c0c6cfa656106a65224b旧日本軍「細菌戦研究」米が機密文書公開2007年01月18日)
『米国立公文書館(メリーランド州)は、旧日本軍が当時の満州(現中国東北部)で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。(以下略)

尚、米側に、731部隊が細菌戦や人体実験を行ったという証拠とされる文書がある。
○フェル・レポート(1947/6/20)
 (http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/731/Fell.html)や
○ヒル・レポート(1947/12/12)
 (http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/731/Hill.html)がそれである。
これらについても、疑義が呈されているようだ。


(ウ) 何れにしても、なにがしかの人体実験はあったのかも知れぬが、森村氏が言うような悍(おぞ)ましいものではなかったのではないか。

参考 捕虜への人体実験とされる他の事件について
① 海軍生体解剖事件
 1944年1月末から7月末にかけて、旧日本海軍の拠点が置かれていた西太平洋の トラック島(当時は日本の委任統治下)で、海軍所属の病院・警備隊の軍医らが、捕虜(俘虜)となったアメリカ軍関係者を「生体解剖」するなどした後に殺害した事件。トラック島事件とも呼ばれる。1947年にBC級戦争犯罪裁判(アメリカ軍グアム裁判17号)で裁かれた。
② 九州大学生体解剖事件
 1945年に福岡県福岡市の九州帝国大学医学部の敷地内においてアメリカ軍捕虜に対する生体解剖実験が行われた事件。ただし九州帝国大学が組織として関わったものではない。相川事件ともいわれる。


 (3)(従軍)慰安婦問題
 慰安婦問題とは、日本と韓国間における第二次世界大戦の「戦後処理問題」の一つである。韓国側の主張は、日本軍が戦前「アジア各地から20万人の女性を慰安婦として強制連行し、本人の意志に反して「性奴隷」にした」ことを認め、謝罪や賠償を行え、というものである。
 20万人などという数字になんの根拠もないことや、強制連行を日本が行ったことを示す物的証拠がまったくないこと、そして、そのような状況にも関わらず日本政府としての謝罪を行ってしまった「河野談話」の存在などが絡み合い、こじれていた。
 韓国との争点は明快で、「日本政府や日本軍の関与による強制連行があったのかどうか」ということである。
 2014年8月5日、朝日新聞は慰安婦問題に関する「慰安婦問題を考える」・「読者の疑問に答えます」と題した検証記事(16-17面)を掲載し、吉田の証言を虚偽と認定し記事を撤回した。
 然しながら、これ以降も所謂慰安婦像が韓国国内はもとより欧米諸国にも設置されつつある。バスの中にも像が置かれるなど狂気の沙汰だ。
 参考までに、小生の折々の記No230を記す。
  『折々の記No230:従軍慰安婦の虚構は崩れた!(H26/8/6記)
  (http://yamashita2.webcrow.jp/oriori2301.pdf

 慰安婦関連と云えば、韓国の言いがかりがポピュラーであるが、他にも①スマラン慰安所事件、②フローレス島事件、③マゲラン事件、④櫻倶楽部事件、⑤ジョンベル憲兵分隊事件に係る裁判があり、日本が断罪されている。
 戦場における性の問題は、難しい問題であり、戦争当事国は苦悩したのだろう。云うまでもなく、強制的な連行等は断じて許されるべきではない。


 (4)その他
 百人斬り事件は、一連の記事を書いた東京日日新聞の記者が実際の現場を見て書いたのではなく、両少尉の話を聞いて纏めた空想的な武勇談であると思われる。両少尉の職務の関係、軍刀の物理的特性、記録や関係者の証言、両少尉の遺書等から明らかに事実ではない。

6 相手国の国際法違反の行為に対する攻撃側の軍事的対応の是非
 (ダブルスタンダードによる非難)
(1)爆撃について
 軍事目標主義という原則がある。即ち、戦争・武力紛争時における戦闘地域以外への攻撃は軍事目標のみに許され、非軍事目標に対する攻撃を許さないという国際人道法の基本原則のことだ。戦闘地域以外への攻撃とは、陸戦では砲撃、海上からの地上砲撃、航空機による爆撃などがこれに相当する。戦闘地域における戦闘行動ではハーグ陸戦規則第23条での禁止行為や兵器の規制などのほかに規制はされないが、戦闘地域以外への攻撃(砲爆撃)では軍事目標主義をはじめとする規制を受ける。
 日本軍が行った重慶爆撃がこれに相当すると非難されている。重慶爆撃は、支那事変中の1938(昭和13)年12月18日から1943(昭和18)年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃である。確かに重慶爆撃は1万2000人を超える一般住民に甚大な被害が出たのだから、戦時国際法違反であり、非人道的と言われてもやむを得ない。だが、米国の東京大空襲や原爆投下とは大きな違いがある。
 重慶に陣取った当時の蒋介石・国民党軍は、(米国製の)多大な対空砲台を、わざわざ飛行場や軍事施設から市街地域に移動させており、日本軍はやむなく市街地域の絨毯爆撃を決定した、という経緯があるのだ。蒋介石軍は一般住民が巻き添えになることが明白なのに、あえて市街地に軍事施設を置いていた。このこと事体が国際法違反なのである。
 卑怯な戦法(弱者の戦法なのだろうが・・)に対してどのように対処すべきなのだろうか?軍事的にその必要性が高い時にそのような爆撃を行うことを無差別な殺戮と言っていいものか?
 一方、第2次大戦時に米軍が行った日本の大都市への空襲や原爆投下は最初から住民を根こそぎに殺害する「民間人を標的にした」攻撃だったのだが、それは許容されるのか、これこそがダブルスタンダードではないか。独のロンドン空爆、英国のドレスデン空爆なども同様だ。
 日本の戦略爆撃は、関東軍が1931.10.8に中国遼寧省錦州を爆撃したのがその嚆矢である。 柳条湖事件後,奉天(瀋陽)を追われた張学良政権は錦州に移ったが、偵察目的で派遣した飛行機11機が該地から射撃を受けたので爆撃したものである。この爆撃が国際社会に衝撃を与え、後の米軍等の日本に対する無差別爆撃に繋がったとの意見も根強い。だからと言って復仇が許されるのか?

(2)残敵掃討やゲリラ対応について
 陽高事件というものがある。昭和12年9月8日深夜から翌9日未明にかけて、日本軍は山西省の陽高城を陥落させました。 中国側の抗戦意識は旺盛という状況下で、残敵掃討の際に行われたとされる虐殺事件である。
 平頂山事件と称されるものがある。昭和17年9月16日、中国遼寧省北部の撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊がゲリラ掃討作戦をおこなった際に、楊柏堡村付近の平頂山集落の住民が多く殺傷されたとする事件である。
 一つは、明らかに空想的武勇談であるが、他は、残敵掃討であったりゲリラ掃討作戦の際の事件である。
 便衣兵・ゲリラなど非合法交戦者による戦闘行為や、文民によるテロ行為などは、交戦者資格の四条件が遵守されないケースに該当し得て、非合法戦闘員と見做されよう。非合法戦闘員と認定されれば通常の刑事犯罪者とされ、死刑を含む重罪となる可能性が高く、また拘束者の取り扱いや尋問も捕虜としての無差別保護の原則が適用されないのである。日本軍の行為をどう判断すべきか?
 確かに、その後、交戦資格の拡大が図られてはいるが、・・

7 一方的な断罪の恐れ
 BC級裁判は、米・英・豪・仏・中(台湾)・蘭・比の7ヶ国49ヶ所で行われた。戦後の混乱期でもあり、関連資料の散逸も甚だしく、その全貌は未だ明らかではない。
 ある資料によれば、BC級戦犯容疑者数25千人以上が逮捕、裁判件数2244件、訴追数5700人、死刑判決984名等となっている。期間は、1945年10月8日~1951年4月9日である。記録の詳細が不明でもあるので、断定的な事は言えないとしても、とても公正な裁判が行われたとは思えない。
 連合国7ヶ国の裁判とは別に、ソ連と中共による戦犯裁判が行われた。これら2国による裁判記録は公開されておらず、詳細不明である。
 ソ連は、武装解除した日本兵数十万を抑留したが、戦犯裁判に付されたのは3000から約1万人と言われるも不明。近年公開されたのはハバロフスク裁判だ。
 中共軍は、満州各地で「人民裁判」による多くの日本人を処刑しており、犠牲者は約3500人ともいわれている。
 これらについても解明が求められる。

8 その他
(1)戦争末期に日本兵の捕虜が極端に少なくなっているが、捕虜にするのではなく、意図的に殺害したのではないかと指摘する見解もある。ジャップを殺せと声高に連呼した司令官が居たことは事実だ。それが戦意高揚や敵愾心の喚起に留まっておればいいのだが、戦闘能力を喪失した者に対する殺害に至ってはなるまい。

(2)久米島守備隊住民虐殺事件
 沖縄戦の最中から終戦後に発生した、日本海軍守備隊による同島民の虐殺事件である。日本海軍の久米島守備隊が、アメリカ軍に拉致され渡された「投降勧告状」を持って部隊を訪れた住民を「敵に寝返ったスパイ」として処刑したことに始まる事件である。この非戦闘員の処刑は現在の価値観に照らし合わせて人道上の問題があるだけでなく、当時の国内法や軍法、軍規からも逸脱する行為であったとされる。国内法にスパイ容疑で裁判を経ずに処刑する法規が存在していない。たとえ明らかなスパイを犯罪者として現場で処罰する場合であっても、将校らによる軍法会議が最低限必要であるとされ、超法規的措置ないし違法行為の疑いがあるとされる。
 類似した事件として、「渡野喜屋事件」というものがある。

9 所見と将来の課題
(1)このように見てくると、確かに日本軍の違法行為は否定し難い。戦争という狂気の中であったとしても到底許容されることではないことは確かだし、到底正当化されるものではない。
(2)が然し、我が国マスコミの日本人を殊更に貶めるような報道には違和感を覚える。非道な無法な行為は確かにあったが、日本のみが特異だった訳ではない。戦争という狂気のなせる業だった。がそうであっても、日本人の性みたいなものが有るのかも知れぬ。非難の応酬に留まるのではなく、何かを演繹しなければならない。そのような作業を続けることは肝要だ。
(3)日本軍が国際法の教育を疎かにしたのは事実だろう。日本古来の武士道精神が狂気の中で発揮されることは稀だったのかもしれない。狂気の中でも、正気を失わない指揮官や幕僚を育成すべきなのだろう。それが最低限の教育だ。
(4)報復の連鎖を断ち切れるか?
 現実的に考えれば、人間が人間でなくならない限り、報復の連鎖は止まないのだろう。また極限状況の中では全てが許容されるという考えは根強い。暗澹たる気持ちになるが、粘り強く教育し人間改造をしなければならないのだろう。前途遼遠なる途ではあるが・・
 全世界が納得するような法的な枠組みを如何に構築するか、それを如何に自国軍に周知徹底するかを真剣に検討すべきだ。
(5)戦争犯罪として断罪されるか否かは、戦争に関する国際的法規慣例に違背するか否かである。人道的な観点からは、厳しく制限しようという動きがある。他方、軍事的な要求としては、必要性こそが全てに優先するという側面もある。
 軍事的必要性と人道上の保護という謂わば矛盾する課題を如何に節調するかのせめぎあいでもある。
 国際的な合意を求めて努力をすべきだ。

10 終りに
 人間というのは罪深いものなのかも知れない。平時の状況では考えられないことを仕出かすものなのか?考えると迷路に踏み込みそうだ。
 戦争犯罪に問われるかも知れないという事態に直面する可能性のある者が、指弾されることの無い行為を行うことが出来るような枠組みの構築と徹底した教育指導が望まれる。  (了)

参考資料
①世界戦争犯罪事典(秦郁彦・佐瀨昌盛編著、文藝春秋)
②旧軍における捕虜の取り扱い(西川京一 防衛研究所紀要)
③「戦犯の孫 日本人は如何に裁かれてきたか(林英一 新潮新書)
④BC級裁判を読む(半藤 一利, 保阪 正康, 秦 郁彦, 井上 亮日経ビジネス人文庫)
⑤戦争犯罪と歴史認識、日本、中国、韓国の違い(北原淳 花伝社)
⑥消えた細菌戦部隊(常石敬一 海鳴社)
⑦昭和史の謎を追う (秦郁彦 文春文庫)
⑥インターネット情報