プレスコードの影響未だに強く!

平成30年1月16日
山下 輝男

1 プレスコードとは
 プレスコード(Press Code for Japan)とは、大東亜戦争終結後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって行われた、新聞などの報道機関を統制するために発せられた規則である。これにより検閲が実行された。
 江藤淳氏の「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(文藝春秋社刊)を参考に説明する。
 尚、本稿は、既掲載の拙稿「日本人洗脳工作=WGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」と対を為すものである。
 前稿でも述べたが、本稿は米国を批判・非難する意図は毛頭なく、斯かる事実を知ることが、戦後我々日本人に刷り込まれた思い込み、その呪縛から解放され一助になる筈だとの思いからである。



2 経緯等
① 米国第一次戦時大権法の成立(1941年(昭和18)12月18日)
 日本の真珠湾攻撃から間もない12月18日、米連邦議会は第一次戦時大権法(the First War Powers Act)を成立させ、ルーズベルト大統領に戦争遂行上必要な大幅な権限を与えた。その中には検閲に関する条項も含まれていた。但し、この検閲はあくまでも自国民に対するものである。
 翌19日に、大統領はこの法に基づき、合衆国検閲局の設置を定めた大統領令に署名した。(参考:同日付で日本でも同趣旨の戦時立法が公布された。)
 検閲局長官に指名されたバイロン・プライスが、スティムソン陸軍長官らに書簡を送って、太平洋・アジア戦域における占領地での検閲計画策定について勧告を開始したのは、1943年(昭和18)6月初頭から9月下旬にかけてのことである。
 プライスは、対独戦終了の時期を以って、検閲の重点を合衆国内における検閲から占領地における検閲へと移行させるべき時期と考えていた。

②「日本における民間検閲に関する太平洋陸軍基本計画」の策定・承認等
 1945年(昭和20)8月14日、日本がボッダム宣言を受諾したのを受けて、米国は合衆国検閲局を廃止した。
 1945年(昭和20)9月30日に、在東京の米占領軍関係部局に「日本における民間検閲に関する太平洋陸軍基本計画」第二次改訂版が配布された。
 これは、統合参謀本部がJCS八七三/三を基礎とし、改定を重ねてきたものであり、占領地における民間通信検閲が現地軍司令官の専権事項であることを定め、責任地域を指定し、検閲対象として公共伝達媒体を追加している。
 マッカーサーの対敵諜報部長であるソープ准将は、1945年(昭和20)4月20日この基本計画を承認している。
 この基本計画が日本本土侵攻作戦を前提とした起案されたのは明らかと江藤氏は評している。
 特徴的な事は、米太平洋陸軍当局が日本語熟達者の不足に悩んでいたと云う事であるが、当局は、種々の努力により熟達者を確保して、日本における民間検閲に日本人要員を使用するという基本方針を確立していた。

③「日本における民間検閲基本計画」の概要(1945年(昭和20)4月20日付)
・具体的政策決定は、マ元帥の権限、実施部隊はG-2の監督管理下にある民間検閲支隊(CCD:Civil Censorship Detachment)である。
・対日計画は、対独計画に比すれば著しく厳格(strict)(総説では峻厳と記述している。)
 (独と日に対する占領政策の差異を如実に表しており、悪意を感じたくはないのだが・・)
・一切の民間通信を検閲の対象とし、戦域軍司令官認可機関への情報提供を原則
・主眼:日本その他敵国体制の破壊、日本の非武装化と再軍備の阻止、地下軍事・準軍事及び政治組織の探索、秩序紊乱の阻止、略奪物の探索と回復、降伏文書に定められた軍事・経済条項の履行強制、・・海外関係者との通信の阻止等
・検閲規則を布告するよう提議
 例えば、「政治への言及等に関する通信は破棄されるものとする」等を含む規定を布告することを求めた。

④ ボッダム宣言受諾と民間検閲の矛盾
 ボッダム宣言第10項には、「言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるべし」とあり、米占領軍当局がおこなおうとしている「民間検閲」とは矛盾撞着する。民間検閲の責任を有するマ元帥は、民間検閲の実施を厳命されており、ボッダム宣言との明らかな矛盾回避のためには、検閲自体を秘匿せざるを得なくなった。これこそが江藤氏が言う「閉ざされた言語空間」であろう。
⑤ 民間検閲支隊(フーヴァー大佐)の主力日本上陸
 主力の日本上陸は、降伏文書調印式(1945/9/2)の翌日である。
⑥ 上記「基本計画」第二次改訂版の完成
 フーヴァー大佐は、速やかに基本計画の改定に着手し、それは9月30日に完成した。
⑦ 簡潔かつ平易な”遵則”の用に供するため、詔勅の発出が望ましいとされたが、これは実現しなかった。フーヴァー大佐は、何らかの形で占領軍当局としての検閲方針を提示しなければならなかった。
⑧ 検閲方針の提示は、1945年(昭和20)9月10日、日本国政府に対する最高司令官指令の形で行われた。(SCAPIN―16)即ち、「新聞報道取締方針」である。
・言論の自由は、GHQ及び連合国批判にならずにまた大東亜戦争の被害に言及しない制限付きで奨励
・新聞・出版・放送局の業務停止を命じることがある。 etc

⑨業務停止命令の発令
 ⑧の新聞報道取締方針にも拘わらず、日本が服従方針を見せず、CCD長の強硬姿勢にも拘らず、日本の抵抗姿勢が続いたので、朝日新聞の2記事(9月15日&17日付)が発行停止命令を受けた。東洋経済新報も9月29日号の押収処分を受けた。
⑩日本新聞遵則の発出(SCAPIN―33)(1945年(昭和20)9月19日)
 9月10日付の新聞報道取締方針(⑧項)に替わり、爾後6年半にわたって日本の民間検閲の原則となったのが、「日本新聞遵則」であり、これと対を為す「日本放送遵則」である。これは9月21日に関係者に、「日本出版法」として公表された。



3 日本出版法の概要と検閲の実施
(1)趣旨
 連合軍最高司令官は、日本に言論の自由を確立せんが為茲に日本出版法を発布す。本出版法は言論を拘束するものに非ず寧ろ日本の諸刊行物に対し言論の自由に関し其の責任と意義とを育成せんとするを目的とす。特に報道の真実と宣伝の除去とを以て其の趣旨とす。本出版法は啻(ただ)に日本に於ける凡ゆる新聞の報道論説及び広告のみならず、その他諸般の刊行物にも亦之を適用す。
 以下その10ヵ条を記す

①報道は厳に真実に即するを旨とすべし
②直接又は間接に公安を害するが如きものは之を掲載するべからず
③連合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加うべからず
④連合国進駐軍に関し破壊批評を為し又は軍に対し不信又は憤激を招来するが如き記事は一切これを掲載すべからず
⑤連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁とならざる限り之を掲載し又は論議すべからず
⑥報道記事は事実に即してこれを掲載し、何等筆者の意見を加うべからず
⑦報道記事は宣伝の目的を以って之に色彩を施すべからず
⑧宣伝を強化拡大せんが為に報道記事中の些末的事項を過当に強調すべからず
⑨報道記事は関係事項又は細目の省略に依って之を歪曲するべからず
⑩新聞の編輯に当り、何等かの宣伝方針を確立し若しくは発展せしめんが為の目的を以って記事を不当に顕著ならしむべからず


(2)検閲は、民間検閲支隊(CCD)により実施され、その陣容は、1948年(昭和23)には、スタッフ370名、日本人嘱託5700名が居たとされる。新聞記事の紙面すべてがチェックされ、その数は新聞記事だけで一日約5000本以上であった。


(3)検閲指針(1946年(昭和21)11月末には纏められていた。)
 この指針の「削除と発行禁止のカテゴリー」として以下のような30項目が規定されている。(閉ざされた言語空間203p~)
1.SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
2.極東国際軍事裁判批判
3.GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
4.検閲制度への言及
5.アメリカ合衆国への批判
6.ロシア(ソ連邦)への批判
7.英国への批判
8.朝鮮人への批判
9.中国への批判
10.その他の連合国への批判
11.連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
12.満州における日本人取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.冷戦に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交渉
24.闇市の状況
25.占領軍軍隊に対する批判
26.飢餓の誇張
27.暴力と不穏の行動の煽動
28.虚偽の報道
29.GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表


(4)江藤氏の評(「閉ざされた言語空間」207p)
 一見して明らかなように、ここで意図されているのが、古来日本人の心に育まれてきた伝統的な価値の体系の、徹底的な組み換えであることは言うまでもない。
 こうして日本人の周囲に張り巡らされた新しいタブーの目のうちで、被検閲者と検閲者が接触する場所はただ一箇所、第4項に定められた検閲とその秘匿を通じてである。検閲を受け、それを秘匿するという行為を重ねているうちに、被検閲者は次第にこの網の目に絡み取られ、自ら新しいタブーを受容し、「邪悪」な日本の「共同体」を成立させてきた伝統的な価値体系を破壊すべき「新たな危険の源泉」に変質させられて行く。



4 郵便・電信電話の検閲
 CCDは、昭和21年9月、日本全国を9つの地域に分割し、その各地域について毎日500通、都合4,500通/月の私信をランダムに抽出・開封して、あらかじめ定めた諸項目について世論の動向を調査した。
 委細は割愛するが、何と膨大な量の検閲だったことか驚きを禁じ得ない。



5 検閲の結果等
 民間検閲支隊(CCD)は、既述の通り10月1日には「進駐米軍の暴行・世界の平和建設を妨げん」という論説を掲載した東洋経済新報9月29日号を押収した。この記事は石橋湛山によって執筆されたものだった。村上義人は、これ以降、プレスコードの規定のため、占領軍将兵の犯罪自体が報道されず、各メディアは「大きな男」と暗に仄めかさざるを得なかったと発言している。
 また、一般市民の手紙・私信のうち月400万通が開封され、検閲をうけていた。さらに電信や電話も盗聴された。



6 削除・発禁処分の事例(以下WIKIから引用)
〇 戦前・戦中の欧米の植民地支配についての研究書など7769冊に及ぶ書物が官公庁、図書館、書店などから「没収宣伝用刊行物」として没収され、廃棄された。
・原爆関連 栗原貞子の詩「生ましめん哉」 
・峠三吉の詩「にんげんをかえせ」など
・壺井栄の短編小説「石臼の歌」では、原爆によって家族を失った登場人物(遺族)たちの心理描写がほぼ削除され、疎開先である田舎の風景の描写を増補した表現に差し替えられている。
・永井隆の『長崎の鐘』は1946年8月には書き上げられていたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の検閲により出版許可が下りず、GHQ側から日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、1949年1月、日比谷出版社から出版された。
〇雑誌『創元』1946年12月創刊号に掲載予定だった吉田満による戦記文学『戦艦大和ノ最期』はGHQの検閲で全文削除された。独立回復後の1952年に創元社から出版。
〇川路柳虹の詩「かへる霊」



7 終りに
 終戦と同時に、日本には言論の自由が与えられた筈だが、現実には秘匿されたプレスコードがあり、そのコードに日本のマスメディアは捉われ、それに否応なく従わざるをえなかった。それが、長年の間には当たり前になり、正しい価値判断であると思い込まされてきた。GHQの作戦は見事に成功したと云えよう。
 数年にわたる洗脳工作は完璧な迄に日本人の改造を齎した。数年という時間が長いのどうかは解らないが、人間は弱いものだと痛感する。特に日本人は長い物には巻かれろとの意識が強いのだろうか。お上には絶対服従するのを良しとする風潮があるのだろうか。事実を見極め、自らの頭で考えてこそ、集団心理に毒されない、個々のアイデンティティが確立できる筈だ。


(了)