東京裁判終結70年に思う

平成30年4月4日
山下 輝男

1 始めに
 戦後の歴史観や外交・安全保障観を規定したのは、東京裁判(史観)であり、憲法第9条、それらを強力に推進した左翼偏向である。憲法9条の改正については、モリカケで不透明感が漂うとはいえ、政府与党で種々検討されている。喜ばしいことである。
 一方、東京裁判史観の是正についてはなかなか進捗していないようだ。奇しくも、今年2018年は、東京裁判終結から70年の節目である。1948年11月23日(何故か勤労感謝の日、戦前は新嘗祭)に判決が言い渡され、12月23日(何故か当時の皇太子殿下(今上天皇)の誕生日)に巣鴨プリズンで7名が処刑された。占領国の悪意を感じるのは小生のみか?
 ともあれ、この節目の時に、東京裁判とは何だったのかを振り返ることは意義あることとであろう。
 小生は大東亜戦争を全面的に肯定するものではない。政・戦略の失敗も多々あり、或いは一部において、恥ずべき事態もあったかも知れないし、或いはそれらは文化の差だったのかも知れない、更には相見互いだったじゃないかとも云えるかも知れない(かと言っていって自らの非を免責できるとは思わないが・・)が、それらは自らが乗り越えるべき事項である。



2 東京裁判の概要
 ドイツのナチス指導者を裁いたニュールンベルグ裁判と共に、第二次世界大戦の戦後処理に極めて重要な役割を果たした。東京裁判は連合国によって東京に設置された極東国際軍事法廷により、東条英機元首相を始めとする、日本の指導者28名を、「平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益を毀損」した「侵略戦争」を起こす「共同謀議」を「1928年(昭和3年)1月1日から1945年(昭和20年)9月2日」にかけて行ったとして、平和に対する罪(A級犯罪)、人道に対する罪(C級犯罪)及び通常の戦争犯罪(B級犯罪)の容疑で裁いたものである。
 「平和に対する罪」で有罪になった被告人は23名、通常の戦争犯罪行為で有罪になった被告人は7名、人道に対する罪で起訴された被告人はいない。
 裁判中に病死した2名と病気によって免訴された1名を除く25名が有罪判決を受け、うち7名が死刑となった。
 東京裁判は、新宿市ヶ谷の旧陸軍士官学校の講堂で開かれた。



 写真は、小生が第一生命顧問諸氏を市ヶ谷記念館に案内した際に貰ったパンフレットに掲載されていたものである。
 今なお、往時の状況を偲ばせる歴史の証人でもある。
 市ヶ谷記念館見学ツワーが開催されているので、興味と関心のある方は申し込んでみては如何だろうか?
http://www.mod.go.jp/j/publication/tour/ichigaya/index.html



3 東京裁判の影響・評価は?
 東京裁判の結果、日本は民主主義国家として再出発し、今日の自由を謳歌しているのだとの評価もあれば、或いは「文明」の名のもとに「法と正義」によって裁判を行ったことは素晴らしいと賛美する意見もあり、また「平和に対する罪」などの新しい概念を生み出し、戦争犯罪を裁く枠組みを作り上げる第一歩となったのは画期的だ。また、戦争責任を政治的に清算し、軍国主義者らを退場させた。その結果、日本は国際社会に復
帰した。等々の好意的な評価もあれば、その意義は認めつつも、誇りを喪失する等戦後の国民にえも言われぬ悪影響を及ぼしたとして否定的に評価する意見も多い。
 この裁判については裁判中、また裁判以後も批判をふくめ様々な評価がなされており、裁判の公平性やその他の争点をめぐって歴史認識問題のひとつとなってもいる。日本政府は「日本国との平和条約」11条によりこの裁判および他の連合国法廷の裁判を受諾したため、異議を申し立てる立場にないという見解をとっている。(後述するように異論もある。)
 アメリカやヨーロッパなどでは判事や関係者により色々と指摘がなされ、また色々な批判がある。それらを下記に示す。

(1)アメリカ政府・GHQ要人の発言(詳細は割愛)
 GHQのチャールズ・ウィロビー、国務省ジョージ・ケナン、マッカーサーの発言等から窺えるのは、東京裁判に対する否定的見解である。


(2)勝者の裁き
 首席検察官ジョセフ・キーナンの云うが如く、「文明」の名のもとに「法と正義」によって裁判を行ったという意味で文明の裁きとも呼ばれるが、一方、事後法の遡及的適用であったこと、裁く側はすべて戦勝国が任命した人物で戦勝国側の行為はすべて不問だったことなどから、”勝者の裁き”(英語では「Victor’s justice」)とも呼ばれる。


(3)共同謀議
 ニュルンベルク裁判において用いられた「共同謀議」(conspiracy、共謀罪)の論理を、そのまま日本の戦争にも適用した点も問題視されている。起訴状によれば、A級戦犯28名が1928年(昭和3年)から1945年(昭和20年)まで一貫して世界支配の陰謀のため共同謀議したとされ、判決を受けた25名中23名が共同謀議で有罪とされている。戦前の日本の事情を知れば、共同謀議などは有り得ない。
 また、1945年以前の国際法に共同謀議の論理はなく、法学の原則である「法律なくして犯罪なし、法律なくして刑罰なし」に抵触するのかどうかが問題とされていた。


(4)被告人の選定
 被告人の選定については軍政の責任者が選ばれていて、軍令の責任者や統帥権を自在に利用した参謀や高級軍人が選ばれていないことに特徴があった。理由として、統帥権を持っていた天皇は免訴されることが決まっていたために、統帥に連なる軍人を法廷に出せば天皇の責任が論じられる恐れがあり、マッカーサーはそれを恐れて被告人に選ばなかったのではないかと保阪正康は指摘している。何れにしても極めて恣意的な被告人選定であったとの批判は甘受すべきだろう。


(5)判事の選定
 判事(裁判官)については中華民国から派遣された梅汝璈判事が自国において裁判官の職を持つ者ではなかったこと、ソビエト連邦のザリヤノフ判事とフランスのベルナール判事が法廷の公用語である日本語と英語のどちらも使うことができなかったことなどから、この裁判の判事の人選が適格だったかどうかを疑問視する声もある。


(6)法的根拠と公平性
 戦争犯罪の処罰についてはポツダム宣言10項で予定されていたが、国際法上認められてきた従来の戦争犯罪概念が拡張され検討されたことに特徴がある。なお、仮に国際実定法上に根拠がなく前例のない国際刑事法廷であったと仮定した場合、法廷そのものの管轄権に実定法上の根拠がない「事後法」により設置され、また連合国側の戦争犯罪は法廷では提訴される機会がなく「法の下の平等」がなされていない問題がある。
 極東国際軍事裁判とは「裁判の名にふさわしくなく、単なる一方的な復讐の儀式であり、全否定すべきだ」との意見も少なくなく、国際法の専門家の間では本裁判に対しては否定的な見方をする者が多い。戦争を「侵略」と「自衛」に分けることは困難であり、日本の歴代指導層が一致して侵略戦争を企図した形跡もなく、したがって共同謀議や、「不法戦争による殺人」といった訴因は法的根拠を持っていない。


(7)事後法の観点
 ラダ・ビノード・パール判事の意見書のように、第二次世界大戦の戦後処理が構想された際、アメリカが1944年(昭和19年)秋から翌年8月までの短期間に国際法を整備したことから、国際軍事裁判所憲章以前には存在しなかった「人道に対する罪」と「平和に対する罪」の二つの新しい犯罪規定については事後法であるとの批判や、刑罰不遡及の原則(法の不遡及の原則)に反するとの批判がある。


(8)不作為責任
 通例の戦争犯罪との関連で指摘されている問題点は、部下の戦争犯罪に関する軍指揮官の「不作為責任」という概念である。軍指揮官(上官)の部下に対する監督義務違反の可罰性は「上官責任(Command Responsibility)」という概念として形成され、いくつかのBC級戦犯裁判において大きな争点となっており、東京裁判においても重要な意義を有していた。
 第二次世界大戦当時の国際慣習法では、指揮・命令をした者だけを問題にし、不作為犯に責任を負わせるまでには至っていなかった。国家が戦争を遂行する中で犯される犯罪は、実際に犯罪を実行する者が末端の兵士であるとしても組織の問題であって、組織の上層部の責任が問われるのは当然である。しかしこれが認められ国際条約として不作為による戦争犯罪に刑事処分を科す旨を定めたのは「戦争犯罪及び人道に反する罪についての時効不適用に関する1968年の条約」のことであった。


(9)証拠規則
 歴史学者ジョン・ダワーは「この裁判が公正であったかどうかについての意見の相違は、軍事法廷の手続きとして何適切と考えるかという前提の違いに表れる。陸軍長官スティムソンでさえ、一般の法廷で普通にある、さらには軍法会議にもあるような、訴訟手続き上の規則や保証もなしにこのような裁判が行われるとは想像だにしなかった。軍事法廷、あるいは軍事委員会の手法が採用されたのは、そうすることで、検察側にほかの状況では許されない手続き上の裁量が、とくに証拠の証拠能力有無の裁量が可能になるからである」とし、連合国は被告の主張を正当化することを妨害するために、証拠に関して制限を加えたと指摘し、「勝者によって緩められた証拠規則が、裁判に恣意性と不公正の入りこむ余地を与えた」ことは明らかであると批判した。


(10)協議の経過
 ベルナール判事は、裁判後「すべての判事が集まって協議したことは一度もない」  と東京裁判の問題点を指摘した。オランダからのベルト・レーリンク判事も同様の認識を有していた。


(11)A級戦犯
 A級戦犯容疑者として逮捕されたが、有罪判決を受けていないにも関わらず、今なお、「A級戦犯」と誤って、もしくは意図的に呼ぶ例が少なからず見受けられるが、これは、この裁判をめぐる議論において、「初めに有罪ありき」の前提で考える人が少なくないことを示しており、東京裁判肯定論、ひいては裁判そのものに対する不信感を醸成している。


(12)日本での評価
 左派勢力からは、この裁判の結果を否定することは「戦後に日本が築き上げてきた国際的地位や、多大な犠牲の上に成り立った『平和主義』を破壊するもの」、「戦争中、日本国民が知らされていなかった日本軍の行動や作戦の全体図を確認することができ、戦争指導者に説明責任を負わせることができた」 として東京裁判を肯定(もしくは一部肯定)する意見もある。日本におけるマスコミの論調、国民の間では、占領期を含めてかなり後まで「むしろ受容された形跡が多い」という。
 宮台真司はこの裁判を、昭和天皇と日本国民の大部分から罪を取り除いて戦後の復興に向けた国際協力を可能にするために、専らA級戦犯が悪かったという「虚構」を立てるものだったと位置づけ、A級戦犯だけが悪かったわけではないにせよ、虚構図式を踏襲するべきだと主張した。


(13)東京裁判史観
 東京裁判史観とは、東京裁判の判決をもとにした歴史認識のことで、満州事変から太平洋戦争にいたる日本の行動を「一部軍国主義者」による「共同謀議」にもとづいた侵略とする点を特色とする。この史観は連合国軍総司令部民間情報教育局により昭和20年末から新聞各紙に連載された「太平洋戰爭史」によって一般に普及した。この史観は、「勝者の裁き」に由来する押しつけられた歴史認識として批判がある。


東京裁判の否定論者が掲げる裁判そのものへの批判としては以下のような主張がある。 
①審理では日本側から提出された3千件を超える弁護資料(当時の日本政府・軍部・外務省の公式声明等を含む第一次資料)がほぼ却下されたのにも拘らず、検察の資料は伝聞のものでも採用するという不透明な点があった(東京裁判資料刊行会)。戦勝国であるイギリス人の著作である『紫禁城の黄昏』すら却下された。
②判決文には、証明力がない、関連性がないなどを理由として「特に弁護側によって提出されたものは、大部分が却下された」とあり、裁判所自身これへの認識があった。
 また江藤淳によればGHQは占領下の日本においてプレスコードなどを発して徹底した検閲、言論統制を行い、連合国や占領政策に対する批判はもとより東京裁判に対する批判も封じた。裁判の問題点の指摘や批評は排除されるとともに、逆にこれらの報道は被告人が犯したといわれる罪について大々的に取上げ繰返し宣伝が行われた(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)、とも主張している。
(小生の拙論下記2編を参照頂ければ幸甚です。)
日本人洗脳工作=WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)
 http://www.jpsn.org/opinion/word/11729/
プレスコードの影響未だに強く!
 http://www.jpsn.org/opinion/word/11743/

(参考までに)全面的に同意する訳ではないが、秦郁彦氏は、裁判の否定論者が「好んでとりあげる論点」として以下の例を挙げている。
1. 侵略も残虐行為も「お互いさま」なのに「勝者の裁き」だったゆえに敗者の例だけがクローズアップされたと強調する。
2. 「パール判決書」を「日本無罪論」として礼賛する。
3. 講和条約11条で受諾したのは「裁判」ではなく「判決」と訳すべきだったと強調する。
4. 二次的所産の歴史観を批判の対象とする。







4 東京裁判批判
 3項と多々重複するが、小生の折々の所懐を綴った「折々の記」のNo45:歴史の証人! (脱稿:H17/7/11) に述べた事項を再掲したい。
 http://yamashita2.webcrow.jp/oriori-45.pdf


『3 東京裁判批判(紙面の関係上、要点のみ列記する)
● 事後法(極東軍事裁判条例の布告は1946/1/19)に基づく裁判(罰刑法定主義、刑罰不遡及 の原則に違反) 裁判管轄権の問題 ボッダム宣言10項(我等の俘虜を虐待せる者を含む 一切の戦争犯罪人に対して峻厳なる裁判が行なわれるべし)を基礎即ち通例 の戦争犯罪(戦争の法規慣例違反と解釈すべき)のみの裁判権しかない。平和に対する罪、人道に対する罪等の戦争犯罪の概念は存在しない。
● 厳正中立な裁判官ではなく、戦勝国出身の裁判官による敗戦国に対する裁判 11人の裁判官中中立国の裁判官皆無 → 公平性に疑義 ウェップ裁判長、キーナン検事も後に違法裁判である事を認めた。(マッカーサーも)事件関与の2裁判官(豪、比)、協定用語(英語、日本語)に関する能力なし(ソ、仏) 裁判官資格なし(中) 国際法の学位を持つのはパール判事のみB,C級裁判時など、判事、検事、弁護士の多くを元捕虜が担当したケースも。
● 裁判の手続き上 再審査や米連邦最高裁への訴願も直ちに却下 → 極めて一方的 偽証罪は問われなかった。伝聞も証拠採用され、反対尋問の機会もなし。 日本側提出の膨大な証拠書類は却下、検察側証人の内法廷に出席した者は、僅か5%。 裁判官の合議欠如:仏の判事の証言、事実認定は起草委員会?
● 極東国際軍事裁判所の設置の不当性 極東国際軍事裁判条例は米JCSの命を受けたマ元帥が行政命令として制定 何 処の国にも相談なし、事後承諾
● 米国の狙いは何か「降伏後における米国の初期の対日方針声明」 (1945/9/22)では日本の弱体化 → 極めて政治的な裁判 不当に重い量刑 有罪判決は11名中6名、蘭判事 「起訴日が4月29日、死刑執行が12月23日」は何を意味するか、 また本間雅晴中将は裁判開始後2ヶ月で処刑 → 報復裁判?
● 人道に対する罪としてのアウシュビュツに対応するものとして南京虐殺大掛かりなでっち上げ
● 判決:裁判所条例では少数意見も朗読すべしとされていたが、朗読も概要発表すらもなし
● 国際法違反 パリ不戦条約 国家政策としての戦争は犯罪ではない 国家の行為に対し、その官職の地位にあった者の責任は問われていない 東京裁判は国際法上は、敵国の軍事行動の一環である。サンフランシスコ講和条約締 結を持って戦争状態は終了した。 軍事行動の一環であれば、戦争状態終了に伴い軍事行動の一環としての東京 裁判も効力無くなる筈 米上院軍事外交委員会の聴聞会で日本の行為は自衛と発言、ホイットニー少 将の回想録で戦争指導者を犯罪人としたことは忌まわしいことと反省の弁
● 共同謀議の捏造とそれに資する証拠のみの採用 起訴状にある昭和3年以降の共同謀議?この17年間に内閣の更迭16回という事実の 意味は。全面的共同謀議など有り得ない。ナチスドイツのヒットラーとは明らかに違う。
● サンフランシスコ講和条約11条の解釈について 巷間最も誤解のあるのが、サンフランシスコ講和条約第11条で日本は所謂 東京裁判を受け入れた筈であると言うことだ。当該裁判を国家として受容したのであるから、あれは正しいのであり、今更蒸し返すことは出来ないし、すべ きではないとの根強い論が横行しており、それは政府の閣僚のみならず、マスコミや世間から識者と一般的に認められている者にも蔓延している。この誤解を解かぬ限り、日本の戦後の清算は終わらない。第 11条で受諾したのは、判決judgmentsであり、裁判を受け入れた訳ではないとの解釈だ。




5 東京裁判の呪縛からの解放こそ、喫緊の課題
 東京裁判が報復裁判であると云うのが、多くの国民の認識であろう。でありながら、残念ながら、その影響は極めて色濃く日本人の思考に反映されている。刷り込まれた記憶は簡単に消せないのだろう。東京裁判批判は則米国非難との受け取られ反米主義者との謗りを受けかねないのだが、小生は明確に親米主義者であり、米国とは将来ともに良い関係でありたいと切望するものである。為念!

(1)近現代史の教育(学校教育)
ア 新しい歴史教科書をつくる会の活動と新教科書の採択
 従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとして、従来の「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」乃至「コミンテルン史観」にも与しない立場から新たな歴史教科書をつくる運動を進められている。
 同会が作成した中学歴史教科書は、2001,2005,2009,2011の検定に合格し、扶桑社、又は自由社から出版された。
 この、新しい歴史教科書は既出版業界の牙城を破り得ず、反対勢力の強烈な反対もあり、採択率は残念ながら極めて低い。尚、同会幹部等の執筆になる歴史教科書(育鵬社)の採択率が6%と報じられている。
 何れにしても、斯様な運動が益々盛んとなることを望む。

イ 教科書検定問題
 歴史教科書の記述や解釈をめぐって日本でも問題となった。家永三郎らによる「新日本史」不合格に関する家永教科書裁判(第一次~第3次、1965~1997)では検定制度は認められ、家永らの主張は退けられた。
 第一次教科書問題(1992)は、侵略を進出に書き換えたとする報道がなされ、外交的な問題となり、悪名高い「近隣諸国条項」を設けることで外交的には決着した。
 これを機に、「慰安婦問題」や「南京事件」など主に歴史認識の問題について、自虐史観の記述が急増していったと云える。
 第二次教科書問題(1986)とは、「日本を守る国民会議」編の高校用教科書『新編日本史』(原書房) を中国が批判し、時の中曽根首相が文部省に検討を要請し、5月27日に異例の再審議が行われたと云うものである。如何に日本が中韓を気にしたかが解る。





ウ 特に問題となった論点
 靖国神社参拝問題、南京事件論争、戦争名(大東亜戦争か太平洋戦争、日中戦争か、韓国併合、強制連行論争、慰安婦論争等日本統治に関する認識等々


(2)戦後70年談話について
 戦後の節目節目に総理大臣談話が発出されている。1995年の村山談話、2005年の小泉談話、そして2015年(平成27年)の安倍首相談話である。安倍談話が村山談話を克服して新たな見解を示すものとして、或いは当然踏襲するものとして、左右の何れからも期待された。確かに過去の談話のキーワード「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」及び「お詫び」は文言としては盛り込まれてはいるが、過去の談話の謝罪的要素がかなり薄められ、且つ一定のけじめをつけたと、内外から好感を以って受け入れられた。
 一気に東京裁判史観からの脱却を期待した向きには物足りなさが残ったが、70年の間に刷り込まれた歴史観は容易には払拭出来ないという証左であろう。

(3)歴史を見つめる眼の涵養
 東京裁判史観は、とても公正な歴史的事実を根拠にしているとは云い難い。初めに有罪ありきで、検察側に有利な証言と集めての裁判である。
 我々は歴史に如何に向き合うべきか、極めて難しい問題ではあるが、次のような視点は忘れてはならないだろう。

①予断・偏見を排し、事実・根拠に基づき客観的に観ること。
②多面的・複合的視点から考察すること。物事には表もあれば裏もある。特に国際関係においては、歴史、文化は勿論政治、軍事、経済的な要因が複雑に絡み合っている。
③特定の事象のみを殊更に強調したり、或いは等閑視することは回避すべし。
④定説とされていることは、先ず基本的には受入れるべきだが、論点のある事象についてはそれらを明確にして論ずべきこと。勿論、定説とて絶対的真実かどうかは、自らが検証・判断すべきなのだろう。
⑤明白な誤り・不正確な或いは誤解を招く表現等は回避すべき
⑥特定のイデオロギーや主張からの評価には、バイアスがあることを十分に認識すべき事
⑦不確定な事項を断定的に主張することは回避、その裏には何らかの思惑があると疑うべし。
⑧最新の実証研究成果や新たに明らかになった事項は、その内容を精査して判断を
⑨何れの国でも、大なり小なり、自国を正当化する傾向がある。その点、自らを貶める我が国は特別かも知れぬが・・
⑩当時の行為を現在の価値観で断罪することの是非


(4)日本自らの検証と正史の確定
 中韓の反論・批判を恐れずに、有識者による大東亜戦争の検証作業が必要だろう。
 一致し得る部分と見解の別れる点も多々あるのは確かだろう。論点は論点として、将来の検証に委ねればいい。無理に統一見解を出す必要もなかろう。 

(5)中韓からの歴史認識批判に毅然たる反論をすべし(歴史戦について)
 我が国の基本的認識の一致がないので、反論にも力がないように感じるが・・
 何れにしろ、毅然と反論すると共に、我が国の立場を国際社会に周知する努力を更にすべきだ。真実は何れ理解される筈だというお人よしでは、益々貶められてしまう。

(6)ユネスコ記憶遺産登録について
 日本に関連する世界記憶遺産として、問題があるのは、2015年中国が申請して認められた南京事件関連資料であり、韓国が登録を目指している所謂従軍慰安婦関連である。
 2017年10月、旧日本軍の従軍慰安婦資料をめぐり、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国際諮問委員会(IAC)は「世界の記憶」(世界記憶遺産)への登録可否の判断を見送った。
 日本政府は南京大虐殺について、中国との間で犠牲者数などの見解が分かれているにもかかわらず登録されたことに「ユネスコの政治利用」として反発。ユネスコに審査の透明性と中立性を確保するなどの改革を求めてきた。さらに分担金支払いも一時延期した経緯がある。
 ユネスコは、執行委員会で、事実関係に見解の相違がある場合は関係国が事前に協議し、合意できない場合には審査を先送りする改革案を審議。「さらに議論を深める」として、今回の審査からの改革案の適用は見送られたが、執行委で採択された決議には「記憶遺産に関して、加盟国の相互理解の原則に従い、政治的な緊張を回避するよう求める」との文言が盛り込まれた。
 云うべき事きちんと言う事が重要だということを示した例である。
 近代史で、論点のある事項については、事実関係の信憑性・真正性・客観性が必要であるのは当然だが、悪意ある国の先手に振り回された感がある。




6 終りに
 戦後日本のタブーは、所謂自虐史観である。東京裁判に如何に向き合うかを真摯に問うてみなくてはならぬ、そういう時代になってきている。日本国民自らが検証判断して、評価すべきだ。確かに、歴史をどう評価するかは難しい問題である。正当な評価を得るには数世代を必要とするかも知れない。曇りなき眼を養いたいものである。

(F)