教育勅語を越えて!
(現代日本人のバックボーンを求めて!)

平成30年10月6日
山下 輝男

1 始めに
 本稿のタイトルを「教育勅語を越えて!」としたが、“勅語を超えるなどとは”不遜であるとお叱りを受けるかもしれないが、他意はないのでご容赦願いたい。
 最近とみに、教育勅語に関連する話題がマスコミに登場している。文科大臣発言に野党やマスコミが強烈な批判を浴びている。また、某幼稚園で、園児が教育勅語を暗唱している映像が流れる。更には、政府が教育勅語に関連した答弁書を閣議決定し、今年度から、小学校においては道徳が特別な教科として教育される。
 本稿は、教育勅語の歴史的経緯等を振り返り、その内容を概観し、肯定・批判意見を管見し、その上で、教育勅語をどう捉えるべきかについて考えてみたい。

2 最近の教育勅語に関する話題
(1)
 第4次安倍内閣初入閣の柴山昌彦文科大臣は、さる10月2日の記者会見で、「教育勅語の内容について、「今の道徳などに使える分野があり、普遍性を持っている部分が見て取れる」とした上で、現代的にアレンジをして検討する動きを「検討に値する」とコメントした。この発言に対し、野党等から言語道断などの批判があった。
 大臣は、10月5日の閣議後の会見で、「私自身が教育勅語を復活させようとか、そういうことを言っているわけではない」と言明し、「中身を仔細に検討すれば、現在に通用する内容もある」等と釈明した。
 確かに大臣は舌足らずの発言であったとは思うが、教育勅語に関する質問は予期できる筈であり、事前のレクチャーも役所が周到にした筈だし、そういう意味では迂闊だ。一方、踏み絵を踏ませるような記者にも違和感を覚えるのは小生のみだろうか?
 何れにしても、政府答弁(後述)の範囲内での適切な発言とすべきだったと思う。質問者は、大臣が教育勅語の復活を目論んでいる筈もないことは承知のうえで、失言を期待したのだろうと考えるのは穿ち過ぎか。


(2)森友学園系列塚本幼稚園における園児の教育勅語等の暗唱
 一時世間を騒がせた森友問題で話題になったのが、可愛い園児が朗々と教育勅語を暗唱している映像だ。同幼稚園では、論語をも暗唱させ、園児に対して礼儀作法を重視して指導しているとされる。このことに感動した者が居る一方で、時代錯誤だ、衝撃を受けたとの評も聞かれた。尚、既に暗唱は止めている由。


(3)
 稲田防衛大臣の平成29年3月の参院、4月の記者会見及び松野博一文科大臣の平成29年3月の記者会見での発言も問題ありと野党等から指摘された。これらの事態を受け、政府は、後述3(5)項の答弁書を策定した。


3 教育勅語の概要
(1)歴史的経緯
ア 起草
 1890(明治23)年、時の総理大臣であった山形有朋が、明治天皇から「徳育に関する箴言」編纂の命を受けた。啓蒙思想家中村正直に起草が依頼されたが、後に法制局長官の井上毅(こわし)に命じられた。
 井上は「箴言」ではなく「勅語」の名称を使った。井上は、明治天皇の侍講である元田永孚と協議しつつ、315文字の教育勅語を完成させた。井上は、近代国家における徳育の規範を創るため次の点で苦心した。
 近代国家における信教の自由を護るために、特定の宗教色を排除すること。しかも、キリスト教、仏教、儒教、神道の何れを信奉する人々にも等しく受け入れられなければならない。さらに、近代国家として、国民の良心の自由、思想の自由を守るためにも、君主が国民の信ずべきことを権力をもって強いるようなことがあってはならない。井上が起草した「教育勅語」は、この二つの課題を満たすものであった。
イ 1890(明治23)年10月30日 発布 (各学校へ下賜)
ウ 1891(明治23)年 小学校祝日大祭日儀式規定制定
 奉安殿の保管箱に保管され、学校などで式典がある場合に奉読(朗読)された。

エ 1946(昭和21)年 GHQにより、朗読と神聖的取扱禁止
オ 1948(昭和23)年6月19日 衆参両院の決議(全会一致)(後述)
 衆議院:教育勅語等排除に関する決議
 参議院:教育勅語等の失効確認に関する決議



(2)原文及び「十二の徳目」
ア 原文
 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
 御名御璽

注1:読みを文末に記載
注2:帝国憲法により全て法律勅令その他国務に関する詔勅は国務大臣の副署を要すると定められていたが、井上と元田の思想的相違、神道への配慮等により、この国務に関する詔勅に該当しないものとされたので、国務大臣の副署がない。


イ 十二の徳目
 この勅語には、人が生きていくべき上で、心掛けるべき徳目が簡潔に示されてい る。我が国伝統の倫理道徳が列挙されていると云える。この徳目の幾つかを政治家が取り上げて評論し、時に論争となっている。尚、十二の徳目との語彙は文部省の公式名称ではない。
①父母ニ孝ニ(親に孝養を尽くし)
②兄弟ニ友ニ(兄弟・姉妹仲良く)
③夫婦相和シ(夫婦は仲睦まじく)
④朋友相信シ(友達は互いに信じあい)
⑤恭儉己レヲ持シ(己の言動を慎み)
⑥博愛衆ニ及ホシ(広く全ての人に愛の手を)
⑦學ヲ修メ業ヲ習ヒ(勉学に励み職業を身に付け)
⑧以テ智能ヲ啓發シ(知識を養い、才能を伸ばし)
⑨德器ヲ成就シ(人格の向上・成就)
⑩進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ(広く世の人や社会の為になる仕事に励み)
⑪常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ(法律や規則を遵守し社会の秩序維持)
⑫一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(正しき勇気を持ち国の為に尽くし)
以ッテ天壌無窮の皇運を扶翼スベシ


 ①から⑪までは、その普遍性に異論はないだろうが、(最もそのようなことまで指示されたくないとか、言われたくないとかの異見はあろうが・・)、問題とされるのは⑫項であると論が強い。軍国主義的であり、人命軽視、基本的人権無視だと云うのだ。また、その徳目の結論部としての「以ッテ天壌無窮の皇運を扶翼スベシ」が主権在民の現憲法と相容れないので徳目などとして取り上げるべきではないとの強硬な意見もある。


(3)GHQによる朗読と神聖的取扱禁止
 米国国防総省が教育勅語を全面的に否定する方針を打ち出し、極東委員会においても、教育勅語は教授、研究、儀式の拠り所としてはならないと決定された。日本弱体化の一環としての施策である。


(4)衆・参両院の決議
 前(3)項の決定に基づき、1948(昭和23)年5月、GHQ民政局のジャスティン・ウィリアムズという国会課長が衆議院と参議院の文教委員長を呼び出して、教育勅語を否定する決議をするよう口頭で指示した。(関連資料が、米メリーランド州立大学所蔵の「プランゲ・コレクション」にジャスティン・ウィリアムズ文書として残されている。)
 本決議は、1948(昭和23)年6月19日に衆参両院で、委員会の審査を省略する形で行われた。時恰も、第2回国会会期中で、日本国憲法(1947/5/3)、教育基本法(1947/3/31)、学校教育法(1947/4/1)が施行される中で決議されたものであるが、決議文もその趣意も議院によって微妙に異なっているのが、不思議と云えば不思議か。
 衆議院は、日本国憲法第98条(最高法規)の本旨に基づいて排除するとし、方や参 議院は、日本国憲法に則って教育基本法を制定した結果として、教育勅語は既に廃止され効力を失っていると決議している。
 参考に両院の決議を以下に示す。
衆議院:
 民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の改新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
 思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
 右決議する。

参議院:
 われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている。
 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失っている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
 われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。
 右決議する。


(5)初鹿衆議院議員の「教育勅語の根本理念に関する質問」に対する政府答弁書
   (平成29年3月31日答弁144号)
答弁の要点は次の通りである。(質問内容は省略した。)
①政府は勅語の根本理念が主権在君、神話的国体観に基づくとの衆参両院の決議を現在も踏襲しているかとの問いに対し、当時の文部大臣が教育勅語その他の詔勅については教育上の指導原理たる性格を否定している等」と答弁したとおりである。
②松野文科大臣が、憲法や教育基本法に反しないように配慮しての授業活用は一定の裁量が認められると発言しているが、政府の見解はと問われ、個別具体的な状況に即して判断されるべきものであり、一概にお答えできないとした。
③教育勅語本文の禁止決議の要否について、勅語を唯一の根本理念とするような指導することは不適切であるが、憲法や教育基本法に反しないような形で用いることまでは否定されることではないと考えていると回答。
④稲田防衛大臣の勅語に関する発言についての政府見解を問われ、政治家個人の見解であり、政府として回答する立場にないと回答


4 批判的な見解及び肯定的部分評価(ウィキペディア等から)
(1)否定的見解
①過剰な神聖化もあり、思想や良心の自由を否定している。
②モーゼの十戒や仏教の五戒と異なり、人倫を全く説いていない内容。
③軍事教育や軍国主義につながる。
④主権在君並びに神話的国体論は、明らかに基本的人権を損ない、国際信義にも疑点を残す。
⑤教育の根本に天皇中心の国体思想を据えたことが問題。
⑥皇国史観により捉えられる君臣関係を軸とする国家構成原理が教育の淵源とすることが誤り。
⑦徳目は通俗道徳に過ぎず、それらの所以としている皇運を扶翼すべしが問題


(2)肯定的評価
①十二の徳目は、日本の伝統的道徳観が込められており、一種の模範たりうる。
②多くの国や宗教で普遍的にある道徳を、明治中期の国情にあわせて既述したものに過ぎない。そういう意味においては、慎ましい内容となっていると評する向きもある。
③カトリックの倫理綱領と同じであり、日本人としての根本倫理を表したものミッションスクール、神奈川の栄光学園のグスタフ・フォス校長(神父)は、占領下でも占領軍司令部の警告を意に介することなく、高校生たちに「教育勅語」を講義し続け、カトリックの倫理綱領と同じと説いた。(伊勢雅臣著「世界が称賛する日本の教育」から)
④現代社会に欠けているものが教育勅語にはある。
⑤米レーガン政権で道徳教育改革を担ったウィリアム・J・ベネットのベストセラーとなった「道徳読本」は教育勅語を参考にしたことが明らかにされている。そこでの十の徳目は何れも教育勅語に含まれている。(伊勢雅臣著「世界が称賛する日本の教育」から)


5 教育勅語問題に関する幾つかの視点
(1)教育勅語を肯定的に評価する者も、その多くは、教育勅語そのものを復活せよと論じている訳ではないにも拘らず、憲法違反だ、復古主義だ、時代錯誤だ、言語道断だと批判するのは過剰反応だと考える。現憲法や教育基本法に親しんだ者が日本人の大多数となった現在、彼等が心配するような過激な皇国史観や軍国主義或いは国体論が復活することはあり得ない。

(2)戦後に教育勅語の薫陶を受けた者の多くが、それを人生の指標として己を磨いてきており、十二の徳目が血肉となっているものと思われる。証明は困難だが、教育勅語の効用、極めて大と云っても良かろう。
 そういう、肯定的側面をも至当に評価すべきだ。全否定するのは止めるべきだろう。一部において行き過ぎや過激さを伴ったとしても、それは運用の問題であり、勅語の問題ではない筈だ。

(3)現在の人倫・道徳の荒廃は、教育勅語的な規範・道徳観が希薄化しているからではなかろうか。(最もそれが証明されている訳ではないが、・・・)そういう意味においては、日本人としてのバックボーンと成り得る明示的な箴言が必要とされているものと考えられる。
 現代の若者や子供達には、他者への思いやりや正義感、遵法精神、公意識の喪失し所謂私事化傾向の顕著増大、利己・自己中心的、刹那的、規範意識の低下などがみられる。社会を震撼させる事件が起きる度に青少年の規範意識に不安を抱かざるを得ない。勿論、それらが低下しているとはいえ、某国等の状況に比較すれば、我が国はまだしもましというものだろう。然しながら、今手を打たねば、取り返しのつかない状況に陥るかも知れぬ。
 青少年を導くべき家庭における教育・指導にも問題がありそうだ。今の親世代は何を学んできたのだろうか?親が自信をもって子供を善導しているだろうか?人生の指標を子供に明示・指導しえない親世代が増えているような気がする。これら親世代が構成する社会の風潮にも問題が山積している。
 また、“今時の若い者は”と愚痴る老人達はそれなりの責任を果たしたのかも問われるべきだろう。
 良心や思想の自由を尊重しつつ(とは云え、根本的な倫理観は殆ど良心や思想の自由には抵触しないと考えるのだが・・)、多くの日本人の人生の指標ともなり得るような、バックボーンたるようなものを検討してはどうなのだろう。
 それはある意味では現代版教育勅語ではあるが、教育勅語を越えたものとすべきなのだ。広く国民の理解を得られる綱領的なものが欲しい。我が母校では「廉恥」「真勇」「礼節」を綱領としていたが、何れにしても簡潔でありながら奥深さを兼ね備えた人生の指標的なものが望ましい。
 国家がそのような指針を示すことに抵抗感のある者も居よう。然しながら、国民としての必要最小限の識能や徳操を涵養するのは間違いなく国家の責務である。

 係る議論の延長線の一環として、道徳の復活が議論され、2018年度から小学校から先行実施されているが、どうも、広範過ぎ・網羅的で、教育勅語のように心に響くかどうか懸念がある。

参考:「道徳」の教科化
 小学校でこれまで「教科外の活動」とされていた道徳が、「特別の教科」に格上げされた。「道徳の教科化」は、2020年を目処に進む学習指導要領の改訂のなかで、2018年度から先行して始まった(小学生のみ、中学校は2019年度から)。
 授業時間数は1年生から6年生まで週1時間であることに変わりはないが、道徳が「特別の教科」になることによる大きな変化は2つあるとされる。
第一に、道徳の授業で文部科学省の検定が必須の「教科書」が用いられる。
第二に「評価」が行われるようになる。
 内容としては、A 主として自分自身に関すること、B 主として人との関わりに関すること、C 主として集団や社会との関わりに関すること、D 主として生命や自然,崇高なものとの関わりに関することに区分してそれぞれに目標を示し、徳目は22に上る。一寸多いように感じるが・・


6 終りに
 戦前のものを全否定するのではなく、その良きところは継承して発展させる必要がある。教育勅語そのものを継承する必要は毛頭ないが、その普遍的なところを継承しつつ、現代にマッチした新しい、日本人のバックボーンになり得るような綱領を期待している。

(了)


{教育勅語の読み}
 朕(ちん)惟フニ(おもうに)我カ(わが)皇祖皇宗(こうそ こうそう)國ヲ(くにを)肇ムルコト(はじむること)宏遠ニ(こうえんに)德ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり)
 我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(しんをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)亦(また)實ニ(じつに)此ニ(ここに)存ス(ぞんす)
爾(なんじ)臣民(しんみん)父母ニ孝ニ(ふぼに こうに)兄弟ニ友ニ(けいていに ゆうに)夫婦相和シ(ふうふ あいわし)朋友相信シ(ほうゆう あいしんじ)恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ博愛(はくあい)衆(しゅう)ニ及(およ)ホシ學(がく)ヲ修(おさ)メ業(しゅう)ヲ習(なら)ヒ以(もっ)テ智能(ちのう)ヲ啓發(けいはつ)シ德器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ進(すすん)テ公益(こうえき)ヲ廣(ひろ)メ世務(せむ/せいむ)ヲ開(ひら)キ 常(つね)ニ國憲(こっけん)ヲ重(じゅう)シ國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ義勇公(ぎゆうこう)ニ奉(ほう)シ以(もっ)テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘシ
是ノ如キハ(このごときは)獨リ(ひとり)朕(ちん)カ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民(しんみん)タルノミナラス又(また)以テ(もって)爾(なんじ)祖先(そせん)ノ遺風(いふう)ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン
斯ノ(この)道ハ實ニ(じつに)我カ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ子孫臣民ノ倶ニ(ともに)遵守スヘキ(じゅんしゅすべき)所(ところ)
之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス(もとらず)朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其德ヲ(そのとくを)一ニセンコトヲ庶幾フ(こいねがう)

明治二十三年十月三十日
御名御璽(ぎょめい ぎょじ)