戦没将兵の慰霊・顕彰の国家的政策決定を望む!

令和元年6月7日
山下 輝男

1 始めに
 平成から令和へと御代替りがあり、痛切に願うことは、令和の御代こそ、我が国が本来の姿を取り戻して欲しいということである。昭和・平成時代に遣り残した課題が幾つかある。その一つが近代我が国の戦没将兵の慰霊顕彰である。
 各種文献を参考にして、戦没将兵の慰霊・顕彰について考えてみたい。
 本稿は、小生が、チャンネルNipponや戦略検討フォーラムに投稿した下記論文の延長線上にあるものであり、一部において重複があるがご容赦願いたい。
①平成30年2月の「我が国の戦没者の慰霊・顕彰の課題について」
 (http://www.jpsn.org/opinion/word/11766/
②同じく平成30年9月の「海外戦没者の慰霊・追悼に関する現状と課題」
 (http://www.jpsn.org/opinion/word/12357/
 (http://j-strategy.com/opinion2/4009
③並びに平成31年3月の「旧軍用墓地の尊厳保持を」
 (http://www.jpsn.org/opinion/word/12739/


2 戦没将兵慰霊の意義等
(1)「死者を祀る」とは  日本には、古来より「この世に生を受け、そして亡くなった者を「カミ」として祀るという風習」が連綿と受け継がれてきた。この祀るための儀式は古俗に基づく「鎮魂」に基づいた神道式で行われてきたと云える。
 この信仰は、次のように①御霊信仰、②祖先祭祀(祖霊信仰)、そして③(勲功)顕彰信仰に分類できると考えられる。
 御霊信仰は、非業の死を遂げた者の怨みは怨霊としてこの世に止まり生きている者に祟りを為すものであり、この怨霊霊魂を鎮魂するために神として祀ると云うものであり、菅原道真を思い浮かべれば容易に理解されよう。
 祖霊信仰は、氏神信仰でもあり、先祖という霊体・神格に対して子孫がこれを敬虔に祀るものであり、それに対して先祖の霊は子孫の守護神として応えてくれるという信仰である。
 顕彰信仰には二面がある。一つは、怨霊とされる霊魂も「神」として祀り祭礼儀式を行うことにより、その性格・性質が転換し、顕彰されるようになる。別な視点では、人を神として祀るということは、その人物が永遠に記念として記憶・伝承されることを意味するのである。個人、例えば、偉人や英雄等が祀られるということは「神」として顕彰されるべき存在であると認められたということである。これらと同列的に捉えて、国難に際し、散華された将兵の魂は神として顕彰されるべきであると云える。


(2)戦没将兵慰霊鎮魂顕彰の意義  靖国神社を中核とする我が国の戦没将兵に対する慰霊・顕彰は日本の伝統的な死者祭祀に則ったものであることは論を俟たないであろう。
 戦陣において心ならずも斃れざるを得なかった無念や国家・郷土・家族に対する強い愛着を持った霊に対して、その御霊の想いに想いを致し、安らかなれと鎮魂の誠を捧げ、感謝と敬意を表するのである。その霊を英霊と呼ぶのは、藤田東湖の漢詩「和文天祥正気歌」の一節「乃ち知る、人亡ぶと雖も、英霊未だ嘗て泯びず 長く天地の間に在り、凛然彝倫を敍ず。」に依る。
 我が国の今日があるのは、苛烈を極めた戦いの中で、多くの将兵が家族を思い、祖国の安寧と民族の幸せを念じつつ戦場に赴き、雄々しく戦い、散華されたその礎があったればこそである。
 これら戦禍の犠牲となった市民をも含む 250 万に近い英霊のお陰で、今日のわが国 の平和と繁栄があることに思いを致す時、戦没者に対し敬意と感謝の念を忘れることなく慰霊の誠を捧げ、それを次の世代に伝えていくことこそ、今に生きる私達国民の責務であろう。


(3)靖國神社・護国神社における戦没将兵の慰霊信仰の背景  靖國神社の祭祀形態は、その背景に御霊信仰があると云われるが、然らば、靖國の神々は怨霊なのだろうか、答えは自明だ。決して怨霊などではないのだ。日本の伝統的な御霊信仰の系譜を継承しつつも、慰霊に加えて顕彰という側面も併せ持つようになってきた。この顕彰と言う文言には、尊敬、敬意、感謝の念が当然含まれていると解すべきだ。


(4)戦没将兵慰霊鎮魂顕彰の意義  靖国神社を中核とする我が国の戦没将兵に対する慰霊・顕彰は日本の伝統的な死者祭祀に則ったものであることは論を待たないであろう。
 戦陣において心ならずも斃れざるを得なかった無念や国家・郷土・家族に対する強い愛着を持った霊に対して、その御霊の想いに想いを致し、安らかなれと鎮魂の誠を捧げ、感謝と敬意を表するのである。その霊を英霊と呼ぶのは、藤田東湖の漢詩「和文天祥正気歌」の一節「乃ち知る、人亡ぶと雖も、英霊未だ嘗て泯びず 長く天地の間に在り、凛然彝倫を敍ず。」に依る。
 我が国の今日があるのは、苛烈を極めた戦いの中で、多くの将兵が家族を思い、祖国の安寧と民族の幸せを念じつつ戦場に赴き、雄々しく戦い、散華されたその礎があったればこそである。
 これら戦禍の犠牲となった250 万に近い英霊のお陰で、今日のわが国の平和と繁栄があることに思いを致す時、戦没者に対し敬意と感謝の念を忘れることなく慰霊の誠を捧げ、それを次の世代に伝えていくことこそ、今に生きる私達国民の責務であろう。


3 分断された戦没者慰霊祭祀
(1)我が国の戦没将兵慰霊鎮魂の構造  近代国民国家が準備すべき戦没将兵の慰霊・顕彰システムは、その国の置かれた民族的伝統や国民性等により異なるものである。慰霊・顕彰のレベルには、国家レベル、軍(武力組織)レベル、そして地方レベル(都道府県や市町村、或いはより小さな地域コミュニティ等)である。勿論個人レベルにおける慰霊顕彰もあり得るが、それは本稿の範囲外だ。
 慰霊システムには、慰霊の中核となる恒久的な施設、慰霊祭や追悼式などを挙行する場の存在、慰霊の対象となる戦没者とその関係者の三者が必須である。大東亜戦争終了時までは、それらが一体となったシステムが構築されていた。
 その第一は、戊辰戦争における戦没者の招魂を担当する東京招魂社とそれの発展した靖国神社、並びに各府県護国神社における戦没者祭祀という、云わば国家的な戦没者の祭祀である。 第二の構造は、陸軍墓地や海軍墓地という軍隊内部にける慰霊顕彰施設の創設・維持管理と慰霊祭の挙行である。第三としては、地域社会における戦没者の慰霊顕彰である。慰霊祭が挙行される他忠魂碑や忠霊塔等々が建立されている。


(2)敗戦による戦没将兵の慰霊顕彰システムの激変  昭和20年9月2日、東京湾上ミズーリ号で、日本は降伏文書に調印した。同日編成されたGHQは、矢継ぎ早に、徹底多岐な日本弱体化政策を強行したが、その詳細は割愛する。
 GHQは当初、靖国神社と護国神社を日本軍国主義の支柱であるとして軍国主義解体の一環として、その処理に厳しい態度を示した。(靖国神社の焼却まで検討されたという事実がある。)
 この様な状況のため、従来形式による新祭神の合祀は不可能と判断して急遽臨時大招魂祭を計画執行した。臨時大祭直後には陸・海軍省が廃止され、第1・第2復員省が設置され靖国神社は、この新組織の管轄となった。
 昭和20年12月15日、GHQは、所謂神道指令(SCAPIN-448)を発し、靖国神社は、国との公的関係を断たれ、公的祭祀も合祀祭も禁絶され、一宗教法人として存続することを余儀なくされた。
 昭和27年4月28日、対日平和条約が発効し、我が国は6年余にわたる占領から解放され、主権を回復した。主権回復と共に、靖国神社は英霊を祀る国の神社として、創建以来の姿を取り戻すことが期待されたが、それは叶わなかった。独立を回復し、最早神道指令は無効となったにも拘らず、靖国神社は「宗教法人法」によって改めて宗教法人として公告する手順を踏まざるを得ず、国と靖国神社の関係は、占領体制下と同じ状況であった。
 その後、関係者の努力にもかかわらず、状況に変化はなく、靖国神社(護国神社)は一宗教法人として戦没将兵の祭祀を行って来ざるを得なかったのである。



4 列国における戦没将兵の慰霊顕彰の状況
 日本郷友連盟の郷友総合研究所の報告書では、列国と我が国と異なる点として次の5点を指摘している。(板垣正著「靖国公式参拝の総括」347p~348p)

①国家機関及び政府内に責任官庁が存在する。
各国とも、戦没将兵の取扱いに当たり、公的機関を設置し、墓地や記念碑の整備、追悼行事に至る一連の業務を国家の事業として、一貫した方針の下に行っている。
②国外の記念施設を維持管理している。
③恒久施設での慰霊・追悼式典の実施
各国とも戦争記念博物館、軍共同墓地、国立記念碑など戦没者の慰霊・追悼を目的として造られた永久施設において式典を実施している。
④戦争記念館、戦争博物館を慰霊・顕彰施設として設立
⑤外交儀礼の場として慰霊施設を活用、外国元首や国賓が来訪の折り、献花実施



5 我が国の戦没将兵の慰霊・顕彰の問題の所在
 我が国の戦没将兵の慰霊・顕彰が極めて異形・異質であらざるを得ない現状の問題点は大きく言えば三つだ。
 第一は、憲法第20条及び89条に規定された政教分離原則が足枷となって、戦没将兵の慰霊・顕彰を日本の伝統的な祭祀法により行えないことである。
 第二の問題は、大東亜戦争に対する国民意識の分裂である。慰霊・追悼されるべき対象者が、「負けた戦争の死者」であるということで、大東亜戦争の正当性への疑念が生じやすく、死の意味付け等が異なり、国民の広範な認識を共有した慰霊・追悼が難しくなる傾向が顕著である。敗戦により、軍事的なものに目を向けようとしない国民意識も助長され、慰霊・追悼の分裂に拍車を掛けている。
 第三は、イデオロギーに係る問題である。戦後、GHQの日本弱体化政策もあり、米ソのイデオロギー対決もあり、所謂革新勢力は、東京裁判史観を肯定し、我が国の過去の歴史を断罪した。靖国神社を中核とする戦没将兵の慰霊・顕彰を、憲法違反、軍国主義復活反対として激烈な運動を繰り広げたのである。


6 問題解決のための視点
(1)在り得べき国家像の確立  日本のあり得べき国家像とは一体何なのか?本来、憲法等には明確な国家像が規定されるべきである。然しながら、その不幸な成立もあって、現憲法とそれに基づく法体系にはそれが全く見えてこない。
 戦没将兵の慰霊・顕彰に関して言えば、前第4項に示した5項目の内容だ。戦没将兵の慰霊顕彰に対する国家としての方針等が、戦後80年迄には明らかになることを熱望する。(勿論憲法第9条についても同様だ。)
 戦没者の追悼式は、昭和27年新宿御苑、昭和34年千鳥ヶ渕戦没者墓苑、昭和38年8月15日に日比谷公会堂(爾後毎年8月15日に実施)、昭和39年靖国神社、昭和40年に日本武道館(爾後会場は日本武道館に固定)で行われ、爾後毎年挙行されるようになった。
 昭和57年4月、政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、毎年この日に政府主催の「全国戦没者追悼式」を行うことを決定した。
 全国戦没者追悼式を行い、拝礼式を挙行すれば事足り、それで政府の責任を果たしたということにはならない。戦没将兵に対する慰霊・顕彰に関して、旗幟を明確にして明確な方針を内外に示すべきではないか。


(2)政教分離原則と国家的慰霊・顕彰の整合性の明確化   靖國神社が我が国の慰霊・顕彰の中核であることは明らかであり、それを前提とした国家祭祀の方策を知恵を出して貰いたいものだ。無宗教の国家追悼施設云々とか色々な案があるが、そのような弥縫策では英霊も浮かばれまい。
また、靖国神社国家護持についても中々意見の一致が得られていない現状にあり、その方向性が見えない。
 靖國神社、護国神社等の性格を基本的に維持しながら政教分離に抵触しない方策を知恵を出して見つけなければならない。それが我等の務めなのだろう。

参考 靖国神社法案について
「靖国神社を宗教法人から外し、国家管理化、国家護持する内容の法律。昭和44年に初めて自民党案が国会に提出され以降5回提出されたが、いずれも廃案となっている。
 昭和50年の第74回国会では衆議院は通過したが、宗教性排除を制限したために逆に遺族会などが反対し、参議院において廃案となった。」
 宗教性を制限することの是非又はその度合いで靖国神社、宗教界、自民党内の意見が一致しない。


(3)国民道徳の称揚の場としての意義づけ等  神社、忠霊塔、陸海軍墓地等の慰霊・追悼施設とそこで行われる各種祭祀は、国民道徳・道義の再発見に極めて有効であると思料する。そのような活用が望まれる。その場に佇むことにより、その底流にある先人の想いを感得できると信ずる。日本民族の伝統に則った形での戦没将兵の慰霊・顕彰が行われてこそ日本の魂が永遠に継承される。



7 終りに
 戦没将兵の慰霊・顕彰について未だ国民的合意が得られないのは残念である。日本の伝統的な慰霊・顕彰を引き継ぎながら、新しい時代に即した方策決定がなされねばならない。本問題を政争の具とすることなく、虚心坦懐に議論して道筋を見つけて欲しい。それが政治家の責任だろう。況してや、国際問題化するべきではない。自国の戦没将兵を如何に遇するかは須らく国内問題である。外国の内政干渉は断固として排するべきだ。

(了)