海洋国家戦略と海上警察力
(第1回/全5回)

冨賀見 栄一

1.海洋国家としての日本

(1)海洋国家日本のグランドデザインと「古事記・日本書紀」
 古事記が完成したのは712年、日本書紀が完成したのは720年であるが、2012年(平成24年)は古事記が完成して1,300年の節目にあたることから、古事記の故郷(ふるさと)である奈良県では「古事記編纂1,300年」の記念行事を展開しており、更には最近「古事記」に関する書籍が目に付くようになっている。隣国の中国、韓国、北朝鮮から歴史認識等に関連して外交攻勢を受けて、日本人自身も何かがおかしいと思い始めて、戦後の自虐史観に疑問を持ち、日本民族のアイデンティティを求め始めているのかも知れない。
 “天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天(たかま)の原に成れる神の名は”との書き出しで始まる「古事記」、“古(いにしえ)に天地(あめつち)いまだ剖(わか)れず、陰陽(めお)別(わか)れざりし時”との書き出しで始まる「日本書紀」も、まず天地創造神話から語り始められ、次に国生み神話で伊邪那(いざな)岐(ぎの)命(みこと)、伊邪那(いざな)美(みの)命(みこと)の男女二神は天(あま)の浮(うき)橋の上に立ち、天(あま)の沼(ぬ)矛(ぼこ)で海水をゆっくり円を描くように掻き回して、天の沼矛を引き上げ、矛の先に溜まった塩の滴(しずく)が落ち固まって島となり、この島をオノゴロ島と言い、男女二神は、このオノゴロ島に移り住み、次々に島を生んでいった。この国生みの神話の中に“海水・塩”という言葉が出てくるが、これは“海”と言うイメージであり、更には“島”と言う言葉も周辺に“海”を存在の条件としており、“海”というイメージがなければ発想できない。加えて、海上から島を観察することにより初めて島として認識されるものである。例えば、現在のオーストラリア大陸も大きな島であるが、ある程度の航海技術、造船技術(海洋移動能力)が無ければ、島であると認識するには難しいと言うことである。古代における航海技術、造船技術は現在と比べ、格段の技術的格差があるのは事実であるが、それにしても当時、日本にも相当な海洋移動能力があったと推測される。
 また、国生み神話では淡路島、四国島(身一つにして面は四つあり)、隠岐の島、九州島(筑紫島)、壱岐島、対馬、佐渡島、豊秋津島(摂津、河内、大和付近の本州)、これらを総称して大八島(おおやしま)を生み、次いで吉備児島、小豆島、大島、女島(姫島)、値(ち)嘉(かの)島(五島列島の一部)、両児(ふたご)島(男女群島)、瀬戸内海から九州島を経て東シナ海の絶海の孤島まで生んだ。
 学生時代からこの国生み神話の中で、一つの疑問を持っていた。それは大八島の国生み神話は大和朝廷政権の統治エリアを示すものであり、それは理解できるが、多くの小島がある中で大八島の次に特定の吉備児島等の小さな島々、中には現在無人島である両児島(男女群島)まで何故に生まなければならなかったのか?学生時代に抱いた疑問であるが、大和朝廷時代から大きくは変化のない自然現象である海流・潮流等の海象(海上の道)及び海事慣習史1)を学び、近代の航海術等をも学び、自ら海上活動等の経験を積み重ね、その疑問の答えが見つかった様に思う。「古事記・日本書紀」の天地創造神話から国生み神話で、これらの島々を生んだのは海上交易による国家経営を行う海洋国家的性格を持った政権であったと考えることが出来、大八島の次に特定のこれらの小さな島々を生んだのは、大陸及び半島との海上交易を独占するため、この国の海上交通ルートをも支配していたと言うことであり、これらの島々は国家を維持するための重要な航路の拠点(寄港地、水・食料の補給地、海上の道標(みちしるべ)、軍事拠点等)であったと考えれば、疑問は解消する。
 この様に考えて「古事記・日本書紀」を見れば、この神話は島と島を結び、海洋をも支配していた海洋国家のグランドデザインが多く残されていると推測される。
 現在も日本海、対馬海峡、東シナ海、南シナ海の海洋が国家存立の本質的条件であり、これらの海域は海洋国家日本にとっての浮沈を制する死活的な海洋であり、大和朝廷政権以降もこのグランドデザインは存在し続けていると考えている。

(2)海洋国家日本の蹉跌
 日本は国家という概念がない時代より“海”から生存に必要な塩、魚介類などの食料を調達し、海上における移動手段・ルートを確保し、大陸・半島と交易して物資や知識を手に入れてきた。弥生時代に稲作技術を大陸などから導入し、稲作農業により安定した食糧を確保できるようになったが、大和朝廷という統一国家になってからも「海洋を如何に利用して海外交易を独占し、国家経営を継続し、国家の安全を維持していくか。」が国家としての基本戦略であったと考えられ、前述した大和朝廷の正式歴史書である「日本書紀」等の記述になったのではないかと考えている。
 また、大きな歴史の流れを見れば、日本は国力が大きくなり国家経営のエリアを海外まで拡大・進出するようになると、必ずそこで大きな躓き(つまづ)をしてきた。「それを象徴する歴史的事件が、七世紀(663年)の「白村江の海戦での大和水軍敗北」、一六世紀(1592年~1598年)の「豊臣秀吉の朝鮮出兵失敗」、二〇世紀(1941年~1945年)の「第2次世界大戦(太平洋戦争)の敗北」等である。海と陸という観点から見ると、日本社会は海洋志向の時代と内陸志向の時代とを交互に繰り返している。奈良・平安時代、鎌倉時代、江戸時代は内陸志向であり、奈良時代以前、室町・安土桃山時代、明治時代以降の時期は海洋志向である。興味深いのは三つの海洋志向の時代末期に先程記述した敗北・失敗を経験していることである。敗北等は国家存亡の危機をもたらす。これら三つの危機を日本におそった荒波に例えるならば、日本の社会は海外からの撤退を余儀なくされる毎に、海洋志向から心機一転して内陸志向に転じ、内治を優先して国内のインフラストラクチャーを整えて新社会を生み出してきた。2)」と「文明の海洋史観」の著者川勝平太先生(現静岡県知事)は指摘している。
 東アジアの不安定要因は中国大陸と朝鮮半島からの日本に対する脅威に対応するために大陸と半島に深く関与することで、前述のとおり失敗等する歴史を有している。海洋国家としての国家運営・国家戦略は過去の歴史的反省を踏まえてイデオロギー的正義感ではなく、歴史的バランス感を大切にしなければならないと考える。

(3)今後の海洋国家日本の覚悟
 21世紀においても、日本の地政学的ポジションは、大和朝廷政権時代と全く変わっておらず、日本は隣接する中国大陸・朝鮮半島との関係に最大級の関心を持ちながら、輸入した原油・LNG等のエネルギーを使い、鉄鉱石等の原材料を加工し、付加価値のある製品を輸出することで外貨を得る貿易立国として国家経営を行っている。日本の国境は全て“海”であり、その輸出入の殆どは海運に頼らねばならない。高付加価値の軽量製品や人的移動は航空機の持つ速さを使った輸送に頼ることとなるが、日本の経済活動・国民生活の基盤を支えるためには、何と言っても海上輸送である。日本はトン数ベースで輸出入合計の99%を海上輸送に依存しており、正に海上輸送こそが日本の生命線となっている。
 日本社会の現状を言えば、食糧自給率はカロリーベースで約39%、水産資源に限っても50%を割り込み、エネルギーの自給率は原子力を除けば約4%で、脱原子力発電、再生可能エネルギーへの移行問題も絡んで先行き不透明であるが、現状の原子力発電を再稼働しても約20%弱である。世界人口の増大と新興国の経済発展で、食糧とエネルギーの需給は逼迫し、価格の高騰が懸念され、資源国でない日本にとっては食糧・エネルギーの安全保障という観点からも、海運の維持、海洋開発、海洋の安全、海洋秩序の維持等は必要不可欠、かつ重要な問題である。日本にとって海洋に関する問題は国家存続の核心的問題であり、今後とも海洋国家戦略等の諸施策を早急に実施し、海洋国家として存続する覚悟を持たねばならないと考えている。(第1回 了)