海自艦艇が初めて我が国の領海(北方領土海域)を航行した日 第2回

伊藤 和雄

北方四島の歴史と法的地位

 北方四島の現在に至った歴史的経緯と法的位置について、その概要を簡単にまとめてみたい。
 歴史は、江戸時代にさかのぼる。
・ 1635(寛永12)年、松前藩は蝦夷(えぞ)地を探検し、択捉島、国後島や北方の島々の地図を作製する。図3は、1644(正保元)年、幕府が、松前藩が提出した地図に基づき作製した地図「正保御絵図」である。

< 図3 正保御絵図 >

 「クナシリ、エトロホ、ウルフ」などの島の名前が記(しる)されている。幕末には、これらの島は、幕府直轄の天領となり、運上屋も置かれ、松前、東北諸藩が輪番で、常駐警備に当たっている。
・ 1811(文化8)年には、松前藩は、国後島・泊港に立ち寄ったロシアの軍艦「ディアナ号」のゴロヴニン艦長以下8名の乗組員を捕縛している。彼等は、のちに、ロシアの捕虜となった廻船業者・高田屋嘉平と交換釈放される。この事案は、我が国が国後を領土として完全に支配していた証左でもある。
・ 1855(安政2)年、日露通好条約が結ばれ、日露間の国境が画定した。国境をウルップ水道とし、択捉島以南が日本領と確認された。
・ 1875(明治8)年、樺太・千島交換条約が締結され、クリル諸島(千島列島)を千島国に入れ、千島列島北端の占守(しゅむしゅ)島までの全てが日本領となる。この時クリル諸島として列記された島は、ウルップ島以北の島で、択捉島以南の島は含まれていない。
・ 1905(明治38)年、日露戦争後のポーツマス講和条約で、我が国は、軍費償還要求を撤回する見返りとして、ロシアから南樺太の領有権を得る。
・ 1943(昭和18)年、カイロ宣言、米国、英国、中国3国の戦後処理に関する共同宣言である。ソ連は参加していない。この宣言の中で、日本が奪取(だっしゅ)し、又は占領している太平洋の島嶼(とうしょ)を剥奪(はくだつ)し、満州、台湾及び澎(ほう)湖(こ)島(とう)は中華民国に返還するとしている。
 また、同時に3国は、自国のために何等も領土的要求はしないとしている。しかし、米国は、要求はしないとしながら、我が国が放棄した太平洋の島嶼については、現在も領有している。この宣言では、クリル諸島については触れられていない。
・ 1945(昭和20)年2月11日、ヤルタ協定、米国、英国、ソ連の3国間で協定した対日処理に関する秘密協定である。この協定では、クリル諸島をソ連に引き渡すとしている。
・ 同年、8月8日、ソ連、対日宣戦布告、8月15日、日本、ポツダム宣言受諾、8月18日、ソ連軍は、千島列島・占守島に上陸、以後南下し、9月3日には歯舞諸島に上陸、北方領土占有し、現在に至っている。
 降伏した軍人と行政に係わっていた民間人はシベリヤ収容所送りとなった。ポツダム宣言受諾後、侵攻したソ連軍と島の住民との間で多くの悲劇が繰り返されている。ロシアは、9月2日を「対日戦勝記念日」に制定しているが、これは、8月15日以降の軍事行動を正当化するためである。
 先の大戦で、聨合艦隊の真珠湾攻撃・発進基地となったのは、択捉島である。戦争の最初と最後の舞台が北方四島であった。
・ 1951(昭和26)年、サンフランシスコ講和条約調印(ソ連は調印せず)、我が国は千島列島(クリル諸島)の権利、請求権を放棄した。

 問題は、権利を放棄したクリル諸島に択捉島、国後島が含むがどうかである。両島は、1875年の樺太・千島交換条約では、クリル諸島に含まれていない。色(しこ)丹(たん)島、歯舞諸島は元々千島列島にも含まれていない。
 また、放棄したとしても帰属先は明らかでなく法的には無主の島である。そもそもロシアは、サンフランシスコ講和条約に調印していない。
 ロシアが北方四島の占有を主張する唯一の根拠は、ヤルタ協定であるが、これは我が国が関知しない第3国間の協定であり、我が国がこれに従う根拠とはならない。
 我が国は、ポツダム宣言を受諾したが、その中に「カイロ宣言」の条項を履行するとある。これにより、太平洋の島嶼、満州、台湾、澎湖島を放棄したのは事実である。
 北方四島は、歴史的にも法的にも我が国固有の領土であり、放棄したウルップ島以北のクリル諸島も帰属先がなく、また南樺太でさえ、我が国の領土と主張できる根拠がある。
 樺太は、江戸時代は北蝦夷と呼ばれており、蝦夷(北海道)に付属した北方圏の領土であった。図4は、寛政11(1799)年、幕府が作製した北蝦夷の地図である。北蝦夷には樺太が含まれている。

< 図4 北蝦夷地図 >

 だからこそ、1875年の千島・樺太交換条約で、樺太をロシアに譲渡し、我が国が千島を獲得した。ポツダム宣言の趣旨に照らしあわせれば、南樺太は、暴力で奪取した土地ではなく、日露戦争の結果、講和条約で我が国の領土となった土地である。
 仮に、今の日本が中国で、ロシアが日本であれば、中国は、千島列島全てと南樺太も自国の領土と主張するであろう。

北方領土と海洋権益

 1994年に発効した第3次国連海洋法条約により、領海、大陸棚、排他的経済水域(EEZ)などが規定された。EEZは領海基線から200海里まで設定できる。また、大陸棚は最大350海里まで認められる。
 EEZ内では、海中・海底の生物及び天然資源の探査、開発、保存、管理を行うための、主権的権利を行使することできる。大陸棚では海底資源を管理下におくことができる。
 EEZが規定されたため、以前は可能であった国後島と色丹島の間にあった公海部分、いわゆる三角水域での操業もできなくなった。この地域での漁獲は大幅に減った。
 200海里を超える大陸棚については、2009年5月までに、自然延長を証明する地形や地質に関する詳細なデータを国連に提出する必要があったが、我が国は、北方四島周辺海域については、測量、調査ができないため、何もできていない。
 一方、ロシアは、北方四島を基点とした大陸棚を設定するとともに、オホーツク海の中央部に向けて、大陸棚の延伸を申請している。ちなみに中国は、東シナ海において、我が国との中間線を無視し、沖縄トラフまでを「自国の大陸棚」として、国連に申請している。
 このように領土問題は、領土そのものだけではなく、膨大な海洋権益もからんでいる。

領域警備に関する海上保安庁と海上自衛隊の連携

 1977年、我が国は、領海幅を3海里から12海里に変更した。この時、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡東水道、対馬海峡西水道及び大隈海峡の5海峡を特定海域として「当分の間」領海幅を3海里に凍結するとし、通峡部に公海部分を残した。
 これらの海峡に領海12海里を適用すれば、核搭載艦の領海内通航を認めなければならなくなり、「非核3原則」に抵触することを懸念したためである。
 しかし、同時に米国艦船のみならず、ロシア、中国の艦船が自由に通航でき、潜水艦も潜航したままで通峡できる。
 もちろん、このケースは国連海洋法条約で、EEZが規定されたことにより、当該海峡内にも沿岸国としての規制を設けることもできるが、我が国は規制していない。「当分の間」は今も続いている。
 領海内の外国船舶の通航に関しては、国連海洋法条約により「無害通航制度」が適用されるが、我が国は、領海内の無害でない通航に関して国内法で具体的に規定していないため、海上保安庁による取締りに支障を来している。
 平成13年の「能登半島沖不審船事案」で、北朝鮮の不審船を追跡した根拠は、領海侵犯ではなく、漁業法、関税法違反の容疑である。権限の行使、武器の使用も制限されている。
 領域警備についても法制上の不備が多い。領域警備とは、我が国の領土、領海、領空の警備であり、EEZにおける我が国の国際法に基づく海洋権益確保のための警備も含まれる。海上自衛隊には、法令上明確に領域警備の任務は付与されていない。
 領海、EEZ警備の役割を担っているのは、海上保安庁であるが、任務に比し、その勢力は、あまりにも少ない。例えば、我が国と韓国の海上保安機関間の比較でも、韓国はGDP比で予算が約4倍、徴兵制を採用している国とはいえ。海岸線当たりの隊員数は14倍である。
 しかも海岸線の警備は陸軍の担任でもある。海上保安庁の年間予算は、1820億(22年度)に過ぎない。海洋国家に相応しい勢力とはいえない。
 有事においては、自衛隊法八十条(海保の統制)、海上保安庁法二十五条(海保の軍事活動の制限)で両勢力の行動の枠組みが定められている。平時においても連携の枠組みを設定し、国家資産である海上自衛隊の活用を推進すべきである。
 もちろん、領域警備に関しては、司法警察権を有する海上保安庁が主管し、海上自衛隊は、補完的立場である。
 しかしながら、現状においては両海洋勢力の連携は必ずしも有効に機能しているとは思われない。両者間の情報共有システムもなく、通信ひとつとっても円滑ではない。共同訓練もほとんど実施されていない。省庁間の壁が厚い。
 海上自衛隊は、戦後海上保安庁から分離してできた組織であり。海上保安庁の現在の業務は、戦前は海軍の所掌であった。
 共通の目的のために、共通の親を持つ組織が、勢力を結集して、それぞれの特徴を生かし、国家の確固たる意志の下で領域警備の役割を果たして欲しいと願っている。

おわりに

 海上自衛隊の艦船が、我が国の領海でありながら、航行していない海域があり、中国の潜水艦が津軽海峡を潜航して通航できる状態にあるのは、不条理を通り越して、いかにも不思議である。「どうした日本」、「立ち上がれ日本」と言いたくなる。
 平成8年に第十七掃海隊が珸瑶瑁水道を、平成9年に輸送艦「ねむろ」が根室海峡を初航行し、ようやく道東方面における海洋勢力のプレゼンスを示し、不条理のひとつ解決してくれた。
 津軽海峡には、動植物の分布境界線として、有名なブラキストン線がある。この分布境界線の次の北の境界線は、択捉島の北、ウルップ海峡にある。
 先に述べたように、国後島と野付半島の間の水深は、6.3メートルでしかない。北方四島は、氷河期は北海道と陸続きであった。動植物学的にも、地質的にも、北海道と北方四島は一体である。
 何年か前のクイズ番組で、「日本の北端は」の問いに対し、稚内・宗谷岬を正解としていた。誠に情けない。我が国の北端は、択捉島のカモイワッカ岬である。(番組では、のちに指摘に対して、題意は、現行政権がおよぶ範囲であったと、意味のない言い訳をしていた)
 択捉島は、面積は沖縄本島の2.7倍、我が国最大の島でもある。教科書をみても領土に関する主権の主張は明確でない。
 まずは、国家としての意思を鮮明にし、国民・国家一体となって、国際社会に、あらゆる機会を捉えて、北方領土に関する主権を主張することである。
 海上自衛隊各部隊の指揮官の部屋には、大概(たいがい)、地図が掲げられている。北方領土、竹島、尖閣(せんかく)諸島、沖ノ鳥島が欠けていることはないだろうか。EEZは、全て含まれているであろうか。
 政治の不毛、法制上の不備を理由として、海上自衛隊は、領域警備の役割から目を逸(そ)らして欲しくない。輸送艦「ねむろ」の領海内初航行実現に至るまで、長い年月を費やしたように、自己規制に過ぎることはないだろうか。
 少なくとも、指揮官、全ての隊員、一人ひとりは、我が国の海を護(まも)るとの気概を持つことはできるし、普段の勤務の中でその気概を常に意識して欲しいと思う。
 「ねむろ」の歓迎会で私に語った、あの歯舞漁業組合員は、存命している間に歯舞諸島から出漁できる日がくるのであろうか。

(了)