日韓関係を考える―もやしをヒントとして

山内 敏秀

 今日、日韓関係は難しい局面にあるようです。
 歴史認識の問題、いわゆる従軍慰安婦の問題。日韓双方の政治家等の発言を聞いていてもほとんど議論がかみ合っていないというかそもそも議論の態を成していないという印象を強く持ちます。
 韓国のことを近くて遠い国とよく表現しますが、何が遠いのでしょう?
 皆さんは表題をご覧になって「日韓関係を考える」、それでなぜ、もやしがヒントになるんだと疑問に思われたことと思います。
 韓国でもやしのことをナムルというのはご存じだと思います。これをもう少し区分けすると大豆もやしのことはコンナムルと言います。一方、緑豆もやしのことをスクチュナムルと言います。
 今回ヒントを与えてくれたのはこの緑豆もやし、スクチュナムルなのです。
 スクチュとは人の名前で漢字では叔舟と書きます。姓は申。
 申叔舟(シン スクチュ)は李氏朝鮮初期の政治家で1443年には朝鮮通信使の書状官として日本に来ています。このとき日本は室町時代で足利義教が将軍でした。
1462年に李氏朝鮮における最高官職である領議政に就任しています。李氏朝鮮の宰相に就任したと言って良いのでしょう。さらに、その後は左理功臣に遇せられるなど正に輝かしい経歴の持ち主なのです。
 そのような人物の名前がどうしてもやしの名前につけられているのでしょう?
 この質問に答えるために李氏朝鮮初期の王朝の系譜を簡単に見ておきたいと思います。
 1392年、太祖李成桂が第1代の王となり、第2代定宗、第3代太宗と続いて太宗の三男が1418年に第4代の王となります。世宗の即位です。世宗はハングルを制定したり、地理や歴史に関する書物を編纂するなど歴代の王の中で最も優れていると言われています。世宗が亡くなるとその長男が跡を継いで文宗となり、1452年に文宗の長男端宗が11歳で即位します。この時、端宗の補佐役となったのが文宗の弟の首陽大君です。端宗にとっては叔父に当たります。
 1453年に、彼は端宗側の大臣を排除し、政権を握ります。これが癸酉靖難と呼ばれる事件です。そして、1455年、自らが即位し、申叔舟はこの癸酉靖難に関与し、靖難功臣二等に遇せられています。
(このあたりの事情は韓流ドラマの「王と后」に描かれ、申叔舟も登場します。)
 問題は、癸酉靖難の前には申叔舟は端宗に仕えていたことです。
 韓国の人々には申叔舟の行動は変節漢と映ったのです。
 緑豆もやしはご存じのように傷みやすい野菜です。これに申叔舟の変節を引っかけて緑豆もやしをスクチュナムルと呼ぶようになったのです。
 そして、560年経つ今日でも緑豆もやし、場合によっては傷んだもやしをスクチュナムルと呼ぶのです。
 このことから浮かび上がってくることは、韓国の人々の行動、あるいは思考様式の背骨を成している価値体系は道義であるということです。
 世祖は在位中、官制の改革を行い、軍制を充実し、基本法典である「経国大典」の編纂に着手するなどその治世は決して悪いものではありませんでした。しかし、王位簒奪者という烙印を押され、道義的に許されないとして否定されているのです。
 11歳の端宗では朝鮮の統治は危ぶまれたかもしれません。それでも端宗には道義的正当性があり、良いとするのが韓国の方々なのです。
 このことは、購買力平価換算のGDPが2兆ドルに迫ろうとする経済規模を持つ市場経済と発達した民主主義によって特徴付けられている近代国民国家として発展している韓国にあってなお、思考、行動のバックボーンとなる価値体系は道義なのです。
 このことを最近の日韓関係に当てはめて考えてみたいのです。
 韓国の主張に通底するものは「日本が朝鮮を併合したことは道義に照らして正当性があるのか」、「従軍慰安婦について日本は道義に照らしてどう考えているのか」という問いかけなのです。
 そして、韓国の人々は道義に照らして許せないと考えているのです。
 さらに、道義に反する行為への非難は何も日本だけを指して言っているのではないのです。上述のように同国人であっても、それが王であれ、宰相であれ道義に反するとなれば560年経っても非難し、スクチュナムルと呼び続けるのです。
 この韓国からの問いに対し、国家理性に基づく思考で応えようとしたり、現実主義的な説明を試みても議論がかみ合わないのは明らかです。
 もっとも、日本の議論もどのような立脚点に立っているのか。不思議な議論の立脚点があるように思えてならないのです。
 現在の日韓の不毛の議論の原因はここにあるように思います。
 今ひとつ、慰安婦問題で米国からの発言について、懸念を加えておきたいと思います。
 過去の事象を現在の価値観で判断してはならないということです。
 米国ではかつて法学部の学生がコロンブスを被告として模擬裁判を開きいくつかの罪状で有罪とする判決を下したことがあります。そこにどれほどの価値があったのか疑問なのです。国際情勢も価値観も道徳律も異なる時代の事象を裁くのであればその時代の基準に照らして判断しなければならないのではないでしょうか。E・H・カーも『歴史とは何か』の中で現代の思想でもって過去を評価、あるいは断罪してはならないと主張しています。
 今の日韓関係は議論をする共通の言語を失いつつあるのではないかと危惧しています。韓国がどのような価値体系を背景に、どのような言語で議論してきているのか。まず、そのことをしっかり理解しなければ道は開けていかないように感じています。