海上保安官から見た尖閣問題 全6回
第2回 -今後、中国とどう付き合っていくべきか-

公益社団法人 日本水難救済会
理事長 向田昌幸
  (元海上保安庁警備救難監)

本稿の趣旨について:

 今年は海上保安庁65 周年の節目の年である。そこで、元労働大臣で初代海上保安庁長官の故大久保武雄氏(俳号 橙青)のご子息である大久保泰治(俳号 白村)氏が現在主宰されている「こゑの会」からの依頼を受けて本年5 月、「海上保安官から見た尖閣問題-手詰まりの日本、その背景と選択肢-」と題する寄稿文を脱稿した。そうした中で去る6 月7 日、日本記者クラブで尖閣問題に関する講演の機会を与えられた。講演に際しては、その寄稿文をベースに脱稿後の動きも加味して話をするつもりで臨んだが、予め分かっていたことであったのに、案の定、時間的制約から実際に話すことができたのは、質疑応答を含めても、寄稿文の一部でしかなかった。
 そこで、本稿の基になっている詳細な寄稿文は「こゑの会」の会員向けに近く刊行される『こゑ』第120 号に掲載されるが、折角の機会なので、その寄稿文と実際の講演の双方を要約する形でまとめ直したうえで一般にも供覧して頂くことにした。それが本稿である。
 『こゑ』は、大久保初代海上保安庁長官を中心に活動してきた憲法研究会、海洋問題研究会、橙青会の3 団体が目的達成のために共同して発行した機関誌である。昭和31 年2 月10 日に第1 号が発行されて以来、これまでに119 号を重ねている。
 このたびの講演に際しては、日本記者クラブから「尖閣問題に関し、今後日本は中国とどう付き合って行けば良いのか?」という命題を頂いていた。本稿を一読して頂くことで、尖閣問題を巡る警備の本質なり現場の実情といったものをできるだけ多くの方に理解して頂き、その上で今後わが国がどのように中国と向き合いながら尖閣問題に対応していくべきかという命題の答えを導き出すための一助にして頂ければ幸いである。

2013 年6 月12 日(水)
公益社団法人 日本水難救済会
理事長 向田昌幸
  (元海上保安庁警備救難監)

海上保安官から見た尖閣問題 全6回
第2回 -今後、中国とどう付き合っていくべきか-


Ⅰ-4 最近の尖閣問題を巡る中国の攻勢の流れ
 ☆ 時間の経過とともに係争地化が進行
 ここで中国の中長期戦略を踏まえながら、中国の攻勢の流れを振り返る。
◎ 日本のスキを突いた中国公船による初の日本領海侵入
 中国政府が尖閣諸島の領有権を誇示するために自国の公船を初めて尖閣諸島周辺の日本領海内に侵入させたのは、2008 年12 月8 日のこと。
 中国海洋監視船「海監46」と「海監51」の2 隻が海上保安庁の巡視船の退去警告を無視しながら約9 時間にわたり停留や徘徊、領海内に居座った。
 当時は丁度、自民党政権の交代を求める国民の声が大きなうねりとなっていた頃で、日本政治の不安定な間隙を突いて、次期政権の中心的勢力になると目されていた民主党などの反応を試そうとしたのではないかと見られる。
 その後間もなく、予想どおり民主党を中心とする新たな連立政権が誕生し、中国はしばらく静観の構えを見せていたが、2010(平成22)年9 月7 日の“中国漁船衝突事件”を契機に態度を一変させた。
◎ “中国漁船衝突事件”を契機に本性を現した中国
 日本側が中国人船長を公務執行妨害の容疑で刑事訴追の構えを見せたことで、中国側は尖閣諸島の領有権棚上げに関する日中間の“約束”に反すると猛反発し、事件直後から中国農業部漁業局所属の漁業監視船「漁政」を尖閣諸島周辺海域に送り込むとともに、日本企業の北京駐在員を“スパイ容疑”で拘束するとか、レアメタルの対日輸出を規制するといった対日“制裁措置”を矢継ぎ早に繰り出した。
 こうした中国側の強硬姿勢を前に、日本側は中国人船長を処分保留のまま釈放を決定。それが却って中国を益々増長させることになった。
「漁政」に続いて国家海洋局の「海監」も加わり、これら中国公船が入れ替わり立ち替わり来航し、尖閣諸島周辺海域における“通常のパトロール”を常態化させ、時には日本の領海内への侵入を繰り返すようになった。
 そして、2012 年9 月11 日に日本政府が尖閣諸島の一部を国有化したが、そのわずか3 日後には、その対抗措置として中国側の「海監」と「漁政」がそれぞれ船隊を組むようにして来航し、両者が連携する形で日本の領海内に侵入して示威行動をとった。それ以降、来航の頻度と隻数を増加させるとともに、来航する度に領海侵入を繰り返して常態化させ、時には何憚ることなく領海内部に深く侵入して長時間にわたって巡航や徘徊を続けるなど、政府公船を利用した攻勢を徐々にエスカレートさせてきたのである。
◎ 尖閣諸島国有化を巡る日中の思惑
 尖閣諸島の国有化に対する中国側の猛反発は、まさに言いがかりである。
 今回国有化したのは、5 つの島と3 つの岩礁から成る尖閣諸島のうち、魚 釣島・北小島・南小島の3 島だけで、残りの2 島のうち大正島は元々国有地。もう一つの久場島も今回の買収対象ではなく民有地のままだが、日米地位協定第2 条1(a)の規定に基づき、大正島と同様に米軍の使用に供するため、1972(昭和47)年5 月15 日から国が賃借していたもの。即ち、今さら中国にどうこう言われる筋合いではない。
◎ 海軍を後ろ盾にした中国の巧妙な戦略
 2012(平成24)年10 月16 日に中国海軍の艦隊が先島諸島沖の日本接続水域内(与那国島の南南東49km付近)を初めて通過した。
 また、その3 日後同月19 日には中国の海軍と海上法執行機関「海監」・「漁政」との合同演習が東シナ海で行われた。報道によれば、そのシナリオには海上保安庁の巡視船との衝突が盛り込まれていたという。
  これらの事件が何を意味するか?
 1つは、経済的にも軍事的に大きく躍進し大国としての自信をつけて海洋進出を目指す中国が、当時、普天間基地の移転問題やオスプレイの導入問題等で日米関係がギクシャクすると同時に、大統領選挙が佳境に入った米国や、政局が不安定化していた日本を尻目に、日米の政治的混乱に乗じ、日本政府による尖閣諸島の国有化への対抗措置であることを口実に、これまで自粛してきた中国海軍艦船による日本の接続水域通航に一気に踏み切り、東シナ海から最短ルートで太平洋に進出する突破口を開いたということ。
 もう1つは、最近、中国海軍の幹部が『海軍部隊は国家の海上行動力の堅固な後ろ盾である』と発言しているように、尖閣諸島“奪還”の先鋒として行動している中国海上法執行機関の公船「海監」・「漁政」を海軍がバックアップするという強固な姿勢を見せつけ、日本側が島に自衛隊員や警察官等の公務員の常駐や、巡視船岸壁などの施設整備を進めるといった有効統治体制を強化する動きを牽制しようとしたのではないか。つまり、表向きはあくまでも非武装の公船が主役で海軍は脇役・後ろ盾のように装っているが、実際は海軍が“真打ち”で公船は“露払い”とみるのが自然。
○ 理屈抜きの力による強引な中国の“常套手段”
 中国が公船を差し向けて日本の主権を侵害し、そして公船の大型最新化を急ピッチで進めているが、実は国際法によって日本が手出しできないか、あるいは手出しをすることはないことを見抜いた中国側の巧妙なねらいが隠されている。即ち、表向きは非武装の公船を使って法に則った尖閣諸島の領有権主張を行っているように装いながら中国の国内外にアピールし、その裏では軍事力をちらつかせて日本を威嚇威圧しながら、日本の主権乃至は施政権の侵害や否定を繰り返し、尖閣諸島が日中間の領有権を巡る係争地であるという既成事実化を謀っている。
 これは、あくまでも中国の主権を国際法と自国の国内法に基づいて正当に主張していることを体裁良く装った事実上の“武力による侵略行為”のようなもので、実に巧妙な策略なのである。
 このように、自らの主張を理屈抜きで強引に押し通すやり方は、日本との尖閣問題だけでなく、南シナ海の南沙諸島や西沙諸島等の領有権を巡るASEAN 諸国との紛争にも見られるように、中国のまさに“常套手段”なのである。
○ 中国しょう戒機による領空侵犯のタイミング
 日米の混乱やスキに乗じた中国の最近の動きと言えば、もう一つある。
 昨年の12 月12 日に北朝鮮が「人工衛星」と称する長距離弾道ミサイルを発射し、その直後の翌12 月13 日には厳戒態勢が解かれたスキを狙っていたかのように、中国の「海監」4 隻が尖閣諸島周辺の日本領海内に侵入し、同時にそれに併せて国家海洋局の小型プロペラしょう戒機が初めて尖閣諸島領空を侵犯した。
 日本国内では2012(平成24)年11 月16 日に野田内閣が解散し、国民の関心が衆院選に集中していたし、方や米国ではオバマ大統領の再選を賭けた選挙戦が大詰めを迎えていたという情勢下、丁度その日(12 月13 日)は“南京大虐殺”というか、“南京陥落”の日でもあり、北朝鮮のミサイル発射の日取りは中国側の意向に沿ったものではなかったのか?
 
Ⅰ-5 中国の威嚇威圧による攻勢と中国漁船衝突事件の顛末
 “中国漁船衝突事件”は、中国側が日本側の弱腰姿勢につけ込み、それまでの民間の保釣活動家らを利用するやり方から自らが前面に出て“奪還”に乗り出す口実に使った事件と見ることもできる。そこで、“中国漁船衝突事件”の顛末を振り返ってみたい。
◎ 中国の威嚇威圧に屈した日本政府
 “中国漁船衝突事件”とは、2010 年(平成22 年)9 月7 日、尖閣諸島周辺の日本領海内で侵犯操業を行っていた中国トロール漁船「閩晋漁(ミン・シン・リョウ)5179」が、領海外へ退去警告中であった海上保安庁巡視船「よなくに」の後方から船尾付近に追突したうえ、停船命令を無視して逃走。その後、追跡に加わった巡視船「みずき」の舷側中央付近にも体当たりするなど、悪質かつ危険な行為を繰り返したため「みずき」が強行接舷のうえ停船させ、中国人船長を公務執行妨害などの容疑で逮捕し、那覇地検石垣支部に身柄付きで送検したというもの。
 ところが、中国側は「日本の国内法に基づいて事件の刑事手続きを進めるのは、尖閣諸島の領有権棚上げに関する日中間の約束に反する」と猛反発し、「即刻、中国人船長らを釈放しろ」などと理不尽な要求を突き付け、日本企業の北京駐在員をスパイ容疑で拘束するなど対日制裁措置を矢継ぎ早に繰り出した。
 しかし、中国漁船の集団による領海侵犯操業を看過放任していた方こそ、中国側の怠慢乃至は不作為による“棚上げの約束”違反ではないかと言いたいが、結局、そういった日本側の反論や抗議は曖昧なまま、中国側の要求をのむ形で中国人船長を処分保留のまま釈放する決定が下された。しかも、それが那覇地検の決定によるものだと発表されたので、それを聞いた捜査の現場は耳を疑ったし、疑問を抱いた国民も少なくなかったはずである。
 中国側の理不尽で強引な要求に対し日本がどう対処するか、まさに世界は固唾を呑んで見守っていたが、残念ながら中国の圧力に屈したかのような印象を与えただけだった。特に南シナ海の南沙・西沙諸島などの領有権を巡り中国と紛争状態にあるASEAN 諸国にとっては、失望感も大きかったのではないか。
◎ “中国漁船衝突事件”が招いた海上保安庁の災難
 そんな日本の弱腰姿勢に付け入るように中国側は「海保の巡視船の方が中国漁船に衝突してきた。中国漁船は被害者だ」と、日本に対し謝罪と損害賠償を公然と請求してきた。
 それで国会や国民の間に、「海上保安庁が証拠として記録しているはずの衝突時の録画映像を公開すべきだ」という声が噴出。しかし、当時の政府は、刑事訴訟法第47 条に「訴訟に関する書類は、公判の開廷前にあっては、これを公にしてはならない」と規定されていることを根拠に、「そのような映像記録は公判関係資料に該当する」として非公開の立場を取り続けた。しかし、録画映像を公開しろという国民の声を抑え切れなくなり、ごく一部の国会議員を対象に、数分程度の短いビデオ映像に編集された録画が視聴されることになったが、そうこうしているうちに、たまたま一人の海上保安官が閲覧し、あろうことか正義感に燃えてそれをユーチューブ(YouTube)上に流出させた。それが、“センゴク・ビデオ”と呼ばれる衝突時の記録映像の一部である。
☆ “中国漁船衝突事件”は偶発的か計画的な出来事か?
 “中国漁船衝突事件”の2年近く前の2008(平成20)年12 月8 日に中国の海洋監視船“海監”2隻が約9時間にわたって我が国領海内に居座ったことは、すでに紹介した。しかし、当時は、あのタイミングで中国が日本と事を構える理由が見当たらないと思っていたが、今思えば、それは性善説に立って中国を見ていたため、その本性を見抜けなかっただけなのかも知れない。
▽ 自ら提案した“棚上げ”に反する行動を繰り返してきた中国;
 1991(平成3)年12 月25 日にソ連が崩壊し、その直後の1992(平成4)年2 月25 日に「中華人民共和国領海及び接続水域法」(中国領海法)を制定し、尖閣諸島をはじめ、台湾、澎湖諸島、南沙諸島、黄海・東シナ海の大陸棚などを中国領と規定した。
 そして、2009(平成21)年12 月26 日には「海島保護法」を制定し、翌2010(平成22)年3 月1 日に施行。この法律は、「無人島は国家の所有に属し、中国国務院は国家を代表して無人島の所有権を行使する」旨を規定している。この「無人島」とは、尖閣諸島を含んでいることは言うまでもない。
 前記の“海監”2 隻による初の日本領海内侵入は、この「海島保護法」のまさに制定1 年前ということになる。
 さらに中国は、日本政府が尖閣諸島を国有化した2012(平成24)年9月11 日の前日に、尖閣諸島について領海直線基線を設定した旨を国連に寄託している。これは、日本が低潮線保全・拠点施設整備法(「排他的経済水域及び大陸棚の保全及び利用の促進のための低潮線の保全及び拠点施設の整備等に関する法律」)を2010(平成22)年6 月に施行し、同法に基づいて排他的経済水域(EEZ)の基点となる無名の離島に名称を付す作業を進めていたが、その一環として尖閣諸島のうちの魚釣島・久場島・大正島の3 島に付属する無名の岩礁についても正式な名称を付したことへの対抗措置として中国が内々に準備を進めていたものと見られる。
▽ 中国の“棚上げ違反”を看過し島に手もつけなかった律儀な日本;
 一方、日本側は、2010(平成22)年6 月に施行された低潮線保全・拠点施設整備法(「排他的経済水域及び大陸棚の保全及び利用の促進のための低潮線の保全及び拠点施設の整備等に関する法律」)に基づき、南鳥島と沖ノ鳥島についてはすでに港湾施設の整備が着手されているが、尖閣諸島については排他的経済水域(EEZ)の基点となる離島として、魚釣島・久場島・大正島の3 島に付属する無名だった岩礁に正式な名称が付されたものの、港湾等拠点施設の整備対象からは外されている。
 即ち、律儀にも日本は尖閣諸島にほとんど手を付けないできたのに、その一方で、中国側は自ら提案した“棚上げ”に反し、着々と尖閣諸島“奪還”に向けた国内関係法令の整備などを続けていたのである。
▽ “中国漁船衝突事件”当時の現場の状況;
 ところで、“中国漁船衝突事件”発生当時の2010(平成22)年8 月から9 月頃の尖閣諸島周辺海域では、例年になく多数の中国漁船が操業していた。
 実は当時、中国漁船団の領海侵犯操業が散発しており、そのつど警戒中の巡視船により個別に警告退去させていたが、そうした中で、「閩晋漁(ミ ンシンリョウ)5179」の船長が酒に酔った勢いもあってか、巡視船からの再三の退去警告に腹を立てて巡視船に体当りをするという暴挙に出たのではないか。そういう観点からすれば、この事件はあくまでも偶発的な事件だったのかも知れないが、少々穿った見方をすれば、中国漁船団の違法操業を放任しておけば、いずれ何らかの形で日本側とトラブルが発生するであろうことを中国側が予想し、そのときこそ尖閣諸島の領有権棚上げに関する日中間の約束違反だと言いがかりをつけて行動を起こすつもりだったのではないかとも考えられる。
中国が尖閣問題で攻勢に転じたことと、旧ソ連の衰退が関係していると見られることは、すでに紹介したとおりが、実際のところ、“中国漁船衝突事件”の発生僅か3 日後には中国の漁業取締船「漁政」 3 隻がまるで予め準備していたかの如く順次尖閣諸島周辺海域に現れ、尖閣諸島が中国領土である旨のデモンストレーションを行ったのである。
 それらのことを想起すると、中国政府は、日本の領海内で侵犯操業を行う中国漁船団と領海警備にあたっている海上保安庁の巡視船との間で何らかのトラブルが起こるのではないかという予測を立てたうえで、そのときには間髪を入れずに尖閣諸島の領有権“棚上げ”違反を口実に、中国公船を送り込むというシナリオを描いていたのではないか、という気がしないでもない。

Ⅰ-6 禍根を残した日中国交正常化交渉
☆ 日中間の“棚上げ約束”は存在?
 ところで、中国側の対日攻勢の原点とも言うべき“尖閣諸島の領有権棚上げに関する日中間の約束”なるものは果たして存在するのか?
 1971(昭和46)年6 月に台湾(中華民国)が尖閣諸島の領有権を公式に主張し始め、同12 月に中国も領有権主張を公式に表明したことから、翌1972(昭和47)年9 月に日中国交正常化が実現したものの、日本国内には日中平和友好条約の締結に先立って尖閣諸島の取り扱いを明確にすべきとの意見が台頭し、1978(昭和53)年3 月には当時の自民党総務会が魚釣島に仮設ヘリポートなどの建設を決議している。
 そして、その直後の同1978(昭和53)年4 月、中国の機銃を装備した小型武装漁船100 隻以上が突然尖閣諸島に大挙して押し寄せて来て日本の領海内に侵入し、海上保安庁の巡視船による退去警告を無視して機銃を向けるなどしながら1 週間以上にわたって違法操業や徘徊停留を続けた“中国武装漁船集団領海侵入事件”が発生した(注)。これは自民党総務会決議に対する中国側の抗議行動と見られるが、同1978(昭和53)年8月の日中平和友好条約締結交渉の際に、鄧小平国務院副総理が「先般の事件(“中国武装漁船集団領海侵入事件”)は全く偶発的であり、中国政府としてはそのような事件を(再び)起こすことはない」と約束したことから、結局はこれを以て平和友好条約の締結を優先させ晴れて調印ということになったのではないか。
 注)1978(昭和53)年から、大正島と久場島の射爆場使用が中断したままになっている。
 そして、日中平和友好条約締結から2ヶ月後の同1978(昭和53)年10月、同条約の発効を機に来日した鄧小平国務院副総理が記者会見の席上、1972(昭和47)年の日中国交正常化交渉時における日中首脳会談に関し、『国交正常化の際、(日中)双方が尖閣諸島問題にふれないと約束した。今回、平和友好条約交渉の際も同じくこの問題にふれないことで一致した。〈中略〉こういう問題は一時棚上げしても構わないと思う。十年棚上げしても構わない。われわれの世代の人間は知恵が足りない。〈中略〉次の世代はわれわれよりももっと知恵があろう。』等と語っている。
 ▽ 2010(平成22)年10 月18 日に国会に提出された質問趣意書第69号に対する政府回答;
 日本政府は、同じくその質問趣意書第69 号に対する回答の中で「そのような約束は存在しない」と明確に否定している。
 鄧小平国務院副総理が1978(昭和53)年10 月に来日した際の記者会見の席で「日中国交正常化交渉の際の日中首脳会談で(尖閣諸島の領有権)棚上げに合意した」と語ったのは、中国側の一方的な提案に日本側が同意又は合意したように印象付け、その既成事実化を狙って敢えて発言したのではないか。
 そして、あの時も日本側は鄧小平発言を否定していないことから、あたかも日中間に“棚上げの約束”があったかのように受けとめられるようになったのかもしれない。
 いずれにせよ、真相は当事者に確認するしかないが、あくまでも“約束”なるものの公的な証拠は日中のどちらからも明らかにされていない以上、正式に日本国が約束したことにはならないのであって、国会の質問趣意書に対する政府回答に反する発言を支持する訳にはいかない。
 以上のように“尖閣諸島の領有権棚上げ”に関する経緯を振り返ってみると、中国側は“棚上げ”を提案したのに対し、日本側は“棚上げ”を約束したのではなく、島に手を付けないことを腹の中で決めたということだったのではないかと推測される。
今にして中国が“棚上げの約束”があったとして攻勢をエスカレートさせていることを思うと、日中国交正常化交渉の際の首脳会談や前記の記者会見時における鄧小平発言の際に、「中国が棚上げするのは結構だが、わが方(日本側)は棚上げに応じる立場にはない」と、キッパリと言っておけば良かったということである。それをしなかったことが禍根を残すことになったということだろう。
 

(続く)