新防衛計画の大綱・中期計画に見る国土防衛の揺らぎ

用田 和仁 
(平成26年2月4日)
(JB Pressより転載)

1 期待と失望
 平成25年12月に、我が国初の「国家安全保障戦略」が策定され、これを踏まえ、新たな「防衛大綱」及び「中期防衛力整備計画」決定されたことは、画期的なことであり、喜ばしいことである。国家安全保障戦略に十分な軍事戦略の視点が乏しいのは残念だが、少なくともそのような手順に従って防衛大綱が位置付けられたことは正しい流れだと言える。政府の集団的自衛権の容認への努力や、各国との安全保障対話を積極的に進めている現政府の取り組みには頭が下がる思いである。

 一方、多方面からの称賛があり、防衛計画の大綱と中期計画が固まった今になって議論を蒸し返すのははなはだ心苦しいが、我が国の防衛の基本にかかわることであり、時効はないと考え、核心となる一点に絞り意見を申し述べる。

 昨年来、日本の防衛に関して多方面で真剣な議論が行われたことは誠に喜ばしいことだが、国土防衛の本質や国民を置き去りにし、南西諸島の利点と中国の弱点を十分に活用せず、国民受けする空気に流されてはいないだろうか。そもそも日本の防衛というのは、「国民を戦火から速やかに遠ざけ、守り、かつ戦う」であると思う。

 断っておくが、筆者は陸自のOBであることから陸自擁護論を展開しているのではない。平時の海空の間断のないオペレーションは称賛に値する。むしろ、統合運用こそ陸自の古い体質を変え、戦う組織に変えていく原動力だと言い続けてきた。迷わず「陸海空の統合の柱に日米の固い鎧を着る」ことを目標として突き進んできたことは間違っていなかったと思っている。 私が言いたいのは、「守りかつ戦う」ことが困難な命題であっても、この日本に生まれた以上逃げることのできない「国土防衛の宿命」ではないかと言う事だ。日本を防衛する時、陸・海・空のいずれかが砂のように脆い歯車だと統合運用は壊れるという事であり、そこに役割分担はあっても優劣はないはずだ。一方、海空決戦に勝つことこそが南西諸島作戦の鍵であるが、それだけが強ければいいというものではないだろう。この戦いに「陸海空と米軍と一体となって勝ち抜く態勢をしっかり作り」、「侵略国に参ったと言わせ、侵略の企図を断念させること」が戦略目標である。この際、動的な海・空戦力と、南西諸島と一体となり有利な戦場を与える静的な陸上戦力と、がっちりと力を合わせ、歯車を合わせて戦勝を獲得するのが統合運用の真の姿ではないだろうか。

 新防衛大綱・中期には2つの異なる思想が流れているが、最終的に海空優勢と水陸両用機能の保持による「洋上撃破」となっているようだ。第2次世界大戦における英国のドイツに対する戦いが念頭にあるのだろうが、相手のやり方も科学技術も地理的環境も今の日本が置かれている状況は異なることの認識が必要だ。一方、英国は本土において地の利を得、迎え撃つ迎撃戦で勝利したことを忘れてはいまいか。南西諸島の抗堪化とその活用なくして、洋上撃破が成り立つのか大いに疑問である。さらに、本当に洋上撃破を追求するのならば、米国任せではなく、自らも沿岸部に対する「敵基地攻撃能力」を持たずして成立はしない。しかし、その決意は新大綱から読み取れない。動的な戦闘力で勝とうと思うならば、徹底して攻撃機能を充実させるべきだろう。空母も必要だ。

 海空を強化することに異存はない。しかし、欠落機能として必要だが、規模的にも能力的にも一回しか反撃ができない水陸両用部隊が、海空と噛み合わさる陸自の歯車ではない。一方、同じ中期の中には、「島嶼の各種事態に即応し、実効的にかつ機動的に対処するために、陸自の半分を機動師団・旅団化する」と謳っている。まさにこれこそが海空の強化とともに、これらと噛み合う陸自の歯車であろう。「洋上撃破」に対する「国民を守りながらの多層防御」である。「取られること」を前提とした国土防衛はあり得ない。「取らせない」態勢を早く作り、守り、かつ戦う事こそ我が国が追求する国土防衛ではなかろうか。残念ながら新大綱・中期は、海空戦の生起にかかわらず地上戦が生起する可能性を無視している。事実、ゲリラ・特殊部隊の単独攻撃すら否定している。南西諸島の価値を理解せず、幅のない決めつけで考えていると国土防衛は瓦解する。

 新大綱・中期が出来上がり、すでに定まったというのは誤りだろう。新大綱・中期の捩れを正し、国土防衛の正しい姿を追及していくのに躊躇があってはならない。3年後の中期見直まで間断なく議論されることを期待する。以下、細部について述べる。


2 国土防衛の本質の捩れについて
 (1)統合機動防衛力の考え方

 新防衛大綱・中期の核心は、統合機動防衛力と称する我が国防衛の考え方を示したものである。
 その核心部分は、①「平素から、常続監視を行うとともに、事態の推移に応じ、訓練・演習を戦略的に実施し、また、安全保障環境に即した部隊配置と部隊の機動展開を含む対処態勢の構築を迅速に行うことにより、我が国の防衛意思と高い能力を示し、事態の深刻化を防止する。また、各種事態が発生した場合には、事態に応じ、「必要な海上優勢及び航空優勢を確保して」実効的に対処し、被害を最小化する。」とある。

 さらにブレイクダウンして「各種事態における実効的な抑止及び対処」では、②「常続監視することにより情報優越を確保し、各種事態の発生を未然に防止する。」とし、「複数の事態が連続的または同時並行的に発生する場合においても、事態に応じ、実効的な対応を行う。」とした。
 さらに核心の島嶼部に対する攻撃への対応として、「島嶼部に対する攻撃に対しては、安全保障環境に即して配置された部隊に加え、侵攻阻止に必要な部隊を速やかに機動展開し、海上優勢及び航空優勢を確保しつつ、侵略を阻止・排除し、島嶼への侵攻があった場合には、これを奪回する。その際、弾道ミサイル、巡航ミサイル等による攻撃に対して的確に対応する。」となっている。

 この部分の評価を先にすると、我が国の防衛の考え方からすると②はほぼ筋が通っている。しかし、①の「海上・航空優勢」を迅速な「機動展開」と「抑止」から切り離した考え方は誤りであろう。機動展開する時にも海空優勢は必要だし、海・空戦力をこの援護と反撃の準備とに二分して運用することが必要だ。また、海・空自と米軍と一体となり抑止の敷居を上げることは、抑止の最上段であると言える。抑止が破れた後、対処するのはあくまで陸・海・空の統合された戦力である。

 一方、機動展開を必要とするのは陸だけではない。空自も基地機能をできるだけ島嶼に展開し、有利な態勢を獲得する必要がある。陸自の展開や海上優勢のためには空自の九州から南西諸島に跨る基地機能が必須である。新大綱では、民間空港の活用を考え、復旧能力まで言及しているのはそのためだろう。

 さらに、陸空の部隊展開は、国民保護、すなわち、国民をいかに早く戦火から遠ざけ、かつ、守るかと表裏一体である。いかに早く、海空の民間も含めた輸送力で部隊やその基盤を島嶼の要点に展開し、返す刀で、いかに早く大量に国民を安全な場所へ輸送するかは、選択の問題ではなく国土防衛に課された第一優先の義務である。全力を挙げて部隊の展開と国民保護を実行しなければならない。かってのガダルカナルの撤収作戦においても駆逐艦や潜水艦まで動員して助けに行った。このような決意と行動が作戦の「前提」ではないだろうか。

 また、陸自の展開は、海空優勢獲得の土俵作りでもある。戦う土俵作りとは真っ先にやることだ。島嶼に対して展開する優先は、対艦ミサイルである。今や島嶼防衛の定石だ。幸いなことに陸自の対艦ミサイルは移動型であり残存性は高い。空自の対艦ミサイルや一部海自の対艦ミサイル艇と組み合わせることでより強力な「壁」ができあがる。
 昨年の統合演習時の中国の反応を見ると沖縄・宮古間の海峡を封鎖し、中国の艦隊・潜水艦を封じ込めようとしている等のコメントがあり、また、北海道から展開してきた対艦ミサイル部隊が演習終了後、北海道へ撤収するかどうかは中国にとって大きな意味を持つと述べていた。いささか過剰ではあるが、中国の懸念がよくわかる。対艦ミサイルを配置すれば、それを守るための防空ミサイルが必要であり、さらにそれらを守り、同時に国民を守る、情報化され空中機動が可能な装甲部隊が必要となろう。
 このように陸自の早期展開は、海・空優勢獲得のみならず、日米一体のエアシーバトルを成り立たせるための「前提」であり、国民を直接守る「前提」だということを理解していただきたい。第2次世界大戦の例からしても、国民はぎりぎりまで避難しないし、戦況によっては避難できなくなるものである。国民を見捨てるような作戦はあり得ない。南西諸島には155万人が住んでいる。

 (2)体制整備の基本的考え方の変質について

 これらを念頭に置きながら、次に話を進める。
上記を受けて、自衛隊の体制整備(具体化)にあたっての重視事項の「基本的考え方」では以下のようになっている。

③自衛隊は、体制の整備に当たって、今後の防衛力整備において特に重視すべき機能・能力を明らかにするため、「想定される各種事態」について、統合運用から能力評価を実施した。すなわち、「総合的な観点から」として、南西諸島の防衛態勢の強化を始め、各種事態における実効的な抑止及び対処を実現するための「前提」となる「海上優勢及び航空優勢の確実な維持に向けた防衛力整備を優先する」こととし、幅広い後方支援基盤の確立に配慮しつつ、「機動展開力の整備も重視する。」と軽重を付けている。(「」は筆者)

④さらに「一方、主に冷戦期に想定されていた大規模な陸上兵力を動員した着上陸侵攻のような侵略事態への備えについては、不確実な将来情勢の変化に対応するための最小限の専門的知見や技能の維持・継承に必要な範囲に限り保持することとし、より一層の効率化・合理化を徹底する。」として、中期計画の方針や具体的な対応の考え方へ流れ込んでいる。

⑤これらを受け、核心となる中期計画の「島嶼部に対する攻撃への対応」における陸自に関する項目は「迅速な展開・対処能力の向上」として陸自の体質変換よりも機動が中心であるような表現となっている。

 (3)問題の核心

 その問題点の核心は、第1に「南西諸島という薄い列島線にいかに多層の抑止の壁を構築するか」である。第2は想定される各種事態について、統合運用の観点から「能力評価を実施して海空優先を導き出した」とあるが、「厳しい財政事情を勘案し」が先にあり、相手の行動を矮小化し、結果的に安全保障環境に合った防衛力の構築よりも、財政に合った防衛力の構築に走らなかったか疑問である。その結果、尖閣周辺事態だけに特化し、2020年までの中国の軍事的影響力の大きさを見誤っていないかということである。
 第3は、④にある冷戦期に想定されていたという大規模な着上陸侵攻は云々とあるが、恐らくノルマンディー作戦のような過去の侵攻様相を考えているのだろう。参考とすべき相手も変わり、科学技術も変化したのに、旧態依然たる考察ではいけない。

 第1については、いかに南西諸島を中核とする薄皮一枚の抑止態勢を、多層で強靭な抑止態勢に作り上げるかが大切な命題であろう。また、そうすることにより多様な事態が、複合的に生起し、かつ、長期化する中で変化に対する対応力と強靭性を持つことになる。
その抑止の壁とは、①情報の壁、②ミサイル・サイバー対処の壁、③迅速な島嶼の要塞化による壁及び④これらを跨いだ海空の壁の4枚の多層な壁の外に、⑤日本本土におけるゲリラ・特殊部隊対処の壁である。この上に、⑥米国のエアー・シーバトルと一体となった打撃力が備われば実に堅固な抑止の態勢が出来よう。

そのような態勢を、相手に先んじて作ることがすなわち「取らせない」盤石の国土防衛の姿であり、目指すべき態勢ではないのか。1回か2回しか打撃ができない水陸両用部隊は③の迅速な島嶼の要塞化による壁に含まれる一部機能である。確かに水陸両用機能は自衛隊の欠落機能であると同時に、米海兵隊を含めて統合運用を推進する要素であり、抑止効果は大きいが、一方尖閣のような岩礁であったり、南西諸島を囲むサンゴ礁を現有の水陸両用車で乗り越えることは技術的に困難である。中期計画においては編成を急がず、日米共同で問題解決を優先させるべきだ。後方支援や維持経費も莫大なものとなる恐れがある。慎重に検討すべきだ。

 急ぐべきは、鈍重な陸上装備を、機動戦闘車(MCV)のような空中機動でき、軽装甲化された装備を持つ即応型の師団、旅団へ改編することである。大綱間に、島嶼の各種事態に即応し、実効的にかつ機動的に対処し得るよう、高い機動力や警戒監視能力を基本とする3個機動師団、4個機動旅団に改編するとしている。まさに陸自の改革の主体は、南西諸島を一夜城に変えることが出来る機動師団・旅団であり、陸自の半分を改編するものだ。単に装甲化するだけではなく、情報化し、かつ、住民混在で多数の敵を相手にするため先進的なアイデアが必要であり、中途半端な改革は許されない。

 「各種事態に即応し、実効的にかつ機動的に対処」する戦力転換が重要な要素であるとしながら、なぜ海空優先と区別され、「機動展開力の整備も重視する」と焦点を外した位置づけになっているのか。3つの軍種で初めて一つの仕事をするのに、なぜ一つの歯車を弱くするのだろうか。
 中国に対して有利な態勢での海空優勢を獲得するための「南西諸島の一夜城化」を捨ててもいいのだろうか。海空戦力は決定戦力ではあるが、その作戦において支援基盤が必要である。この支援とは、兵站等だけではなく、対艦・防空ミサイルの射程圏で守られ、飛行場を守り、島嶼を使って有利に作戦できる基盤を付与するという事である。状況によって海空戦力は南西諸島を離れ、態勢を整理しなければならないこともあるだろう。また、四六時中、海空優勢を取れる訳ではない。このような場合でも相手の自由な行動を封じ込め有利な戦場を確保し、国民を守り続けるのが陸自と一部海・空自の役割である。元々薄い壁なのだから、一枚でも弱い壁があるとそこから崩れていくだろう。この際、F35Bのような短距離離発着機は島嶼作戦の有効な装備となるだろう。

 昨年の統合演習に関する中国の報道でも、見方は異なるが日本は島嶼を活用した4層の封鎖態勢を構築しているとコメントしているものがあった。多層であれば効果があると言うことだろう。

 第2は、矮小化された原点である尖閣防衛についてである。

中国にとって尖閣は、中国が主張する排他的経済水域(EEZ)を大陸棚まで広げて東シナ海の聖域化を進め、西太平洋へ艦隊・航空機が進出するための起点となる。また、尖閣諸島に対艦・防空ミサイルを配置すれば、宮古・石垣島や台湾北部も含めてその影響下に置く事ができる。

このような価値を持つ尖閣諸島に中国が軍事行動を起こすならば、米軍の接近を阻止することが絶対条件である。このため、政治的に日本を孤立化させながら、尖閣から拡大するか、尖閣と同時に生起するかは予測できないが、南西諸島全般を作戦範囲と考えるだろう。空間的にどこまで広げるか、どこに手を出すかは、当時の情勢と作戦目的から侵攻側が決めることだ。守る側は幅広く考えていないと奇襲を受けることになる。戦史を読むと現代においても戦場や決戦の時期等をあらかじめ特定することは困難である。

中国放送CCTVでは、日本が尖閣に侵攻する(?)時は、南西諸島に対艦・防空ミサイルを配置し、支援基盤を作ってから作戦をやるだろうと言っている。昨年の統合演習後の中国のコメントでも「宮古島、沖縄に配置した対艦ミサイル部隊により尖閣諸島をカバーする攻撃網を組織し、かつ、宮古海峡の完全な封鎖を実行した。」と述べている。中国は尖閣と先島諸島、沖縄の連動を見ているのだ。

 島嶼に関する関心はこれに限らない。例えば奄美大島や沖永良部島等の薩南諸島の一角が一時的にせよ中国に攻撃され、あるいは軍事的に無力化されたならば、日本の南西諸島全域に対する兵站等の輸送や軍事力の展開は遮断されるばかりか、集結して戦う米空母等の横合いを突かれ、日米の海空作戦は困難となろう。そんなギャンブルみたいなことをするのかと疑問視する方もおられようが、敵の後ろに回り迂回攻撃することで、戦場を変え戦いを有利にすることは戦いでよくあることだ。
 かって元寇の時、2度目の弘安の役において、元軍の別働隊は、鎌倉からの連絡道であり兵站線だった山陽道を封鎖するために、山口の日本海側に上陸し攻撃をした。結果は全滅したが、主力を生かすための軍事行動であった。その狙い目の一つが、薩南諸島である。津軽・宗谷海峡も同じような効果を持っている。
 
 結局、尖閣の紛争において尖閣しか見ていないのが日本で、中国は大局的に台湾から日本列島まで、そして米国を見ながら2020年へと向かっている。
 中国は、9つの戦略的出口として、津軽・宗谷海峡を含む5つの出口を日本周辺に設定し、太平洋のみならず、インド洋、北極海も視野に収めながら行動を活発化させている。昨年H6爆撃機が宮古海峡から太平洋に進出したが、怖いのはこれが装備する約1500kmを飛ぶ対艦巡航ミサイルだ。北斗という中国版GPSが2020年には地球を覆い、これにより、対艦弾道ミサイルといわれるDF21Dとともに、命中精度は飛躍的に向上するだろう。太平洋に中国の航空機、軍艦・潜水艦等を進出させては、日米一体となった作戦は極めて困難になる。2020年までには宇宙軍まで創設するようだ。

 ちなみに、中国が手を付けようとしている日本周辺の島は、佐渡が島、五島列島、奄美大島、沖永良部島、沖縄、宮古島、西表島及び鹿児島空港近接地などである。対馬も別な意味で危ない。五島列島には昨年中国の大型の漁船が百隻長期にわたって停泊した。五島は佐世保の出入り口にあり、中国に支配されると佐世保の軍港は使えなくなるだろう。中国にとって日本が尖閣だけに集中することは、まさに願ってもないことだ。そして、戦力を「合理化・効率化」の名のもとに節約することを願っているだろう。

 このような狭い視点に陥らないためには、中国が言う第1列島線の意味をしっかり理解する必要がある。
 中国にとって第1列島線、すなわち日本列島、南西諸島等は「守る城」であると同時に「攻める城」でもある。一昨年の中国訪問以来、事あるごとに報告してきたが、中国の依って立つ経済の核心地域は、北京・天津地域、揚子江下流地域、広州・珠海地域であり、これと隣接して中国の海洋覇権の源である北海・東海・南海艦隊の根拠地が所在している。これに関連して済南、南京、広州軍区を戦うことを前提とした「戦区」に改編し、統合作戦司令部を創設するという。このため、これらに直面する黄海、東シナ海、南シナ海は中国の軍事的・経済的覇権確立のため聖域でなければならない。核心的利益と呼ばれる所以である。さらに、SSBNを配置して米国に対する核抑止力を高めようとしている南シナ海の聖域化は絶対に譲らないだろう。このように見ると、尖閣だけに焦点を当てているのは的外れであることに気付くだろう。
南西諸島は、中国本土から円弧状に約1000km離れた、航空優勢を獲得するための絶妙の距離にあり、これら重要地域の2つを守る出城である。

 さらに、中国は、台湾有事の際には米軍の接近阻止のために、西太平洋にかけて約800km進出すると明言している。この距離を南西諸島に置き換えれば、南西諸島全域は中国の作戦地域となる。西太平洋に海上優勢を獲得するためには、航空優勢が必要であり、そのためには南西諸島の「不沈空母」は必要不可欠である。南西諸島には約800の島があり、約80の有人島がある。この内17の島に空港があり、人口の94%が住んでいる。「永遠の0」に出てくるが、ガダルカナル島は日本が空港を建設した後、空港を取るために米軍は侵攻してきた。島嶼の争奪は実にこの17の空港の争奪である。そして対艦・防空ミサイルを配置する。米軍の接近阻止のためには、例え尖閣事態であっても南西諸島全域が中国の作戦地域に入ることを覚悟しなければならない。

 このように論を進めてくると、米国は中国の軍事的拡大を許さず、中国の軍事的冒険には必ず即応して打撃を与えるだろうと反論があるだろうが、将来を見たときにその答えはイエスでありノーでもある。新大綱では触れられていないが、米国の軍事力は相対的に低下し、アジア・太平洋におけるプレゼンスは低下する趨勢にあると言わざるを得ない。その中で中国の核戦力は、地上発射型は移動型になり残存性は向上し、さらに南シナ海におけるSSBNの配置により、第2撃能力は格段に強化されるだろう。その結果、米国の日本に対する拡大抑止力は低下し、中国による奇襲的な「局地戦」の危険性は高まってくるだろう。すなわち、「日本に対する武力攻撃事態や偶発的な紛争の可能性はより高まる」と見るべきだ。中国の言う局地戦とは、朝鮮戦争や湾岸戦争レベルのことである。
 一番問題なのは米国の意思であるが、残念ながら米国は「もはや世界の警察官ではない」と言い、中国が主張した「米中両国の対等な大国関係」を認め、第3者的に日中韓の問題は話し合いで解決すべきと言っている。また、米国民の世論調査では、アジアで最も重要なパートナーはどこかとの問いに、初めて中国が日本を上回ったそうだ。昨年末、ハワイの米太平洋軍等を訪問したが、驚いたことに太平洋軍司令官は、「中国とは話せばわかる」として、日本有事等のための統合作戦司令部を解散してしまったということであった。
 我が国は、日米安保体制を核抑止を含めて、より実効的に強化することはもちろんだが、同時に「自分の国は自分で守る」を基本として「主体性を持った強靭な防衛力の構築」を目指すべきだ。米軍の戦闘加入は信じても、政治的な判断の揺らぎや、戦力投入の遅れがあるかもしれないことは、十分に考慮しておくべきだろう。敵基地攻撃能力としてのロケット技術も自国で保有すべきであろう。 

結論は、例え尖閣事態でも、今持てる自衛隊の全戦力を南西諸島はもちろん国内にも展開しなければ抑止も対処もできないということになろう。
言い換えると「中国艦艇・航空機を太平洋へ一歩たりとも進出させず、反撃の拠点である南西諸島の全域を活用し守り、かつ戦うこと」がすべての出発点であろう。自由に動く相手の艦艇・航空機の自由を奪い、あるいは拘束することにより海空自野打撃はより確実なものとなろう。
自衛隊と国民の被害を最小化させるためには、「牛刀をもって鶏頭を断つ」ことが基本戦略である。当初から最大の抑止に向かって迅速に態勢を作ることに躊躇があってはならない。日本の「全力を出す構え」と「国民の決意」を見せることが必須である。出し惜しみをして逐次投入する誤りは第2次世界大戦で反省したはずだ。

 その時に果たして現在の自衛隊の力で十分だろうか。
例えば、海自の艦船の数は増えても人員が増えず、老朽艦の延命を含んでいる。一方、第2次世界大戦時、米海軍は指揮官・幕僚を約2か月で総入れ替えして戦闘力を維持した。空自も東日本大震災で松島に所属していたF-2戦闘機が対艦・対地攻撃の切り札であるにもかかわらず、半数しか回復できなかった。陸自も東日本大震災の時には実動部隊のほぼ全力を投入したが、「3つの県の沿岸」に配置して、2か月間予備なしの状態であった。戦争なら予備がなければ1週間で壊滅だ。予備が必要なのは海・空も同じである。付け加えるならば、日米約10万人が戦ったサイパン島の約1.3倍の大きさが宮古島であり、約1.8倍の大きさが石垣島である。必ずしも人数だけで評価はできないが、圧倒的に自衛隊の人数も、装備も、予算も足りない。陸海空のいずれも継戦能力を含め、節約するどころか、絶対的に不足している。④ではより一層の効率化、合理化を徹底すると言っているが、結局予算を無理やり削減し動けない自衛隊を作っている。少なくとも現状の2倍の戦力がないと日本の防衛は出来ないだろう。
 自民党は、新防衛大綱の提言で、防衛予算、装備、人員を諸外国並みに増加すると言っていたが結果はそうはなっていない。その最低の数字であるGDP比1.2%をたとえ10年間の期間限定でも増加すれば、本当の防衛力は備わったであろう。そのツケは国民の命と引き換えである。

 国家財政は大切だ。しかし、たとえ財政は破綻しても日本人はまた復活できるだろう。国が滅んだり、チベットやウイグルのようになったら何の希望があろうか。防災では疑念を抱かないのに、なぜ、防衛では真剣にならないのだろうか。2代にわたって「戦争に備えよ」「中華の夢は強軍であり、海洋権益の確保は中国の発展である」という指導者がいるのに、これを脅威と感じないのだろうか。
 防衛力を節約し、効率化するのは、中国が軍事的覇権の意思を捨て、台湾のような民主国家になるか、中国政権が崩壊した時である。ここ10年が勝負所だ。

第3は、侵略国の侵攻様相は、対象国の特色を参考として、かつ、幅を持ち決めつけないことが重要である。ノルマンディー作戦のような着上陸侵攻は今の米国ですら不可能だ。

中国をその一例と考えるならば、確かに特殊部隊、空挺・海軍歩兵等の精強な部隊で奇襲的に侵攻することもあるだろう。一方で中国の局地戦の考え方を分析していくと、「不正規軍を含む陸海空の人海戦術的なもの」も見えてくる。  中国の国防白書でも触れられているが、古い航空機・艦船も使うと書いてある。勝つというよりも、新鋭艦・航空機を決戦まで温存し、相手に弾を使わせる戦法だ。さらに装甲車も運べる多数の民間船で港に押しかける海上民兵と一体となると、奇襲的に島嶼の港湾周辺や空港が占領される危険性は大きい。海岸ではない。「正規軍の先導」をするのが彼らの任務である。漁船は北斗のGPSを装備し、中国本土からは丸一日で正確に、かつ、分散して危険を回避しながら、幾つもの島嶼へ到着できる。約200隻から250隻で1個師団を運ぶといっていることから、海上・航空劣勢であろうと相当な戦力での侵攻が可能である。
さらに、中国の国防動員法に基づき中国人旅行者や留学生等が軍務に服し、ミサイル・サイバー攻撃と一体化すると、狙われた島嶼は、あっという間に騒乱状態となり、港湾・空港は取られるだろう。そうすれば、防空ミサイルとともに軽・重戦力を揚陸するのは簡単だ。その後、対艦ミサイルを持ち込むだろう。日本本土においてもサイバー攻撃と連動したゲリラ・特殊部隊が騒乱状態を起こし、南西諸島への戦力集中を妨害するだろう。

防空識別圏問題が発生した時に、中国が「中国人の登録を強化しろ」と指示したことにお気づきになったであろうか。その裏に「国防動員法の発令」の意図がある。荒唐無稽ではない。

これを踏まえ、大綱に戻ると、

(A)わが国防衛の基本は、「多層防御による抑止」であるべきだ。その内容は、「安全保障環境に即した部隊配置と海空と一体となった部隊の機動展開を含む対処態勢の構築を迅速に行うことにより、我が国の防衛意思と高い能力を示し、事態の深刻化を防止する。各種事態が発生した場合には、事態に応じ、「海上優勢及び航空優勢を強化し、陸海空の統合された戦力を最大限発揮して実効的に抑止・対処し、被害を極限する。」である。

(B)これを受け防衛力整備は、「各種事態における実効的な抑止及び対処を実現するため海上優勢及び航空優勢の確実な強化に努めるとともに、陸上戦力の即応力・打撃力の強化及び迅速な機動展開力の強化に向けた防衛力整備を確実に実行する。この際、幅広い後方支援基盤の確立に配慮するとともに、防災と一体となった国民保護に留意する。」である。

(C)また、島嶼部に対する攻撃の対応では、「常続監視体制の整備、航空優勢の獲得・強化、海上優勢の獲得・強化」と、陸自に関しては、「陸自の即応力・打撃力の強化、迅速な展開力の強化」とし、細目の並びも「南西諸島への警備部隊等の新編等、海上・航空輸送力の強化、対艦・防空ミサイルの強化・射程延伸、作戦基本部隊の即応への転換、水陸両用機能の強化」とすべきである。

(2)③にあるシナリオ検討はケーススタディであって、重要なのは最大脅威に対して最大の防衛力を出し切る「統合防衛戦略」こそ基本とすべきである。これに基づいて財政等を勘案し安全保障環境を見ながらバランスよく防衛力整備を進めていくことだ。なお、新大綱では、ゲリラ・特殊部隊の攻撃を「弾道ミサイルの攻撃に併せ」と必ず一体化させて表現しているが、ゲリラ・特殊部隊の攻撃は単独でも広範囲に行われることが常態であり、これは単独項目にすべきである。

3 結言

 率直に申し述べたが、真剣に議論され、従来にない素晴らしい防衛計画の大綱となっていることは間違いないだろう。しかし、日本の防衛という逃げてはならない基本理念は、しっかりと最初から最後まで貫かれるべきだと思う。この10年の日本の本気度が試されている。弱みを見抜かれると、軍事的侵攻を誘発することになる。
 また、中国を見くびってはならない。かって、海洋国家であったカルタゴは、陸軍国家であったローマに滅ぼされた。ローマは海の戦いを陸の戦いに変えるという非対称の戦いを貫き、犠牲を厭わず覇権を握るという強烈な意志力で勝利した。中国は中国のやり方があるだろう。過去を見て安穏としていると、そこから悲劇は生まれる。今が日本の正念場だ。
                                                 (了)