新たな海の防人、“多目的戦闘艦”「いずも」の就役
   ~DDH「しらね」35年の任務から引退~

海自OB 山田 道雄
「いずも」の就役

 平成27年3月35日、春の冷気で澄み渡り富士山が遠望できるこの日、海自最大の護衛艦「いずも」(19500トン)が、横浜市磯子区のジャパンマリンユナイテッド(JMU)磯子工場において華々しく就役し、艦尾に真新しい自衛艦旗を掲げた。
 式典は定刻を15分遅れ、中谷防衛大臣の臨場、栄誉礼で開始された。三島JMU社長と中谷防衛大臣の間で引渡書と受領書が交され、正式に「いずも」は防衛省所管となり、マストに翻っていたJMU社旗が降下される。いつもながら、この間わずか数分のあっけない引渡式は終わった。

引渡書の提出

JMU社旗の降下

 引き続いて、井上横須賀地方総監執行による海自の儀式「自衛艦旗授与式」となる。横須賀音楽隊による山田耕筰作曲「海のさきもり」の荘重なメロディが奏される中、艦長予定の吉野ぎ装員長が防衛大臣の前に進み出て、三角に畳んだ真新しい自衛艦旗を拝受、左手で頭上に捧持したまま乗組員の整列する隊列に復帰し、最右翼に並ぶ副長に手渡しする。
 続いて司会の「乗組員乗艦」で「軍艦行進曲」が演奏開始となるや、間髪を入れず副長の「前へ、進め」の号令により行進を開始する。このタイミングが大変難しく、立付(リハーサル)では何度も練習する場面だ。
海上自衛隊の儀礼曲「軍艦行進曲」の用途として、「自衛艦命名式における進水の場合」と「自衛艦旗授与式における乗組員乗艦の場合」が例示されているが、実にいずれの場面にもぴったりの曲だ。本艦の場合、乗員の整列場所から車両ランプ入口の舷門までそれほど距離はないが、乗員数が多いだけに3列縦隊の幹部・海曹・海士の行進は延々と続き迫力十分である。このシーンで一番見栄えのするのは、「おおすみ」型輸送艦の場合だが、岩壁から上甲板まで延々と隊列が続き一幅の絵のように大変美しい。

 すべての乗組員が乗艦した後、艦長が舷門で副長、当直士官の出迎え、と列員と号笛(サイドパイプ)の礼式を受け、初めて乗艦する。通常1等海佐たる艦長がその乗艦を出入する場合は号笛のみの礼式であるが、この場合着任する場合とみなされ4名のと列員による礼式が適用される。そして艦長が桟橋(車両ランプ)の先端に第1歩を踏み入れた瞬間、メインマストには指揮官旗である「長旗」が翻る。この後防衛大臣、武居海幕長等が乗艦するが、この際防衛大臣に対する礼式として艦長が出迎え、舷門と列員は8名に増員される。
 後甲板に防衛大臣等、乗組員、儀じょう隊が整列し、「10秒前」、「時間」の合図とともに音楽隊の「君が代」が演奏され、艦尾旗竿に真新しい自衛艦旗が掲揚された。これで初めて本艦は国際法上の「軍艦」として認められることになる。因みに国連海洋法では軍艦の要件の1つとして、「当該国の国籍を有するそのような船舶であることを示す外部標識を掲げること」と規定している。この外部標識が軍艦旗であり、自衛艦の場合は自衛艦旗である。因みに自衛艦旗は旧海軍の軍艦旗と同じデザインを採用している。

 昭和29年の自衛隊発足時、新たに自衛艦旗が制定されることになり、海上警備隊部内で意見を聴取したところ、旧軍艦旗と同じものの採用とするものが大多数であった。しかし、中央においては当時の四囲の情勢から極めて強い反対も予想されるので旧軍艦旗の採用は慎しみ、いたずらに国民感情を刺激することは避けるべきだという空気があった。そこで当時の担当部局は新しい旗章を研究したが、成案が得られないので高名な画伯に図案を依頼することになった。その画伯の回答は、「旧海軍の軍艦旗は黄金分割によるその形状、日章の大きさ、位置、光線の配合等実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考えようもありません」ということであった。紆余曲折を経て、最終的には閣議で旧軍艦旗の採用が正式決定された。その際、当時の吉田首相は、「世界中でこの旗を知らない国はない。どこの海に在っても日本の艦であることが一目瞭然で誠に結構だ。旧海軍のよい伝統を受け継いで、海国日本の護りをしっかりやってもらいたい」と述べたという。
 閑話休題。

「いずも」艦尾旗竿に翻る自衛艦旗

 続いて防衛大臣訓示があり、「船体を大型化し大規模災害対処や輸送・医療など各種機能を充実させた本艦に新たな脅威や事態に対する対応能力を備えた統合機動防衛力中枢として期待し、吉野艦長以下が初代乗組員として良き伝統を築き訓練に精励して速やかに即応態勢を完成するよう希望する」旨が述べられた。
 続いて大臣一行は艦内に入り、艦長による現状報告ののち防衛大臣の艦内視察、退艦、栄誉礼をもって自衛艦旗授与式は終了した。因みに、この自衛艦旗授与式に相当する儀式は帝国海軍時代にはなかったようで、海上自衛隊独自のもの。従って、「自衛艦旗授与式における自衛艦旗授与の場合」に演奏することが規定されている海自儀礼曲「海のさきもり」も、海自の前身である海上警備隊発足後一般公募された歌詞に山田耕筰が作曲したものだ。名曲ながら海自内ではあまり馴染みがなく、この儀式の他自衛艦旗返納式ぐらいしか聞かない。
(呉教育隊のみは10数年前から入隊式の宣誓時演奏されている)

 場所を体育館に移して行われた祝賀会では、三島社長、中谷大臣が挨拶し、香田JMU顧問の乾杯の音頭で祝宴が開始された。元自衛艦隊司令官の香田顧問は乾杯に際し、「いずも」の進水以降安保関係の各種国際シンポジュウムに参加すると必ず同艦の建造が話題となり、すでに十分な抑止効果を発揮しているとの所感を述べた。

盛況の祝賀会

花束贈呈

 祝賀会が終わり、14時から岩壁において出港見送り行事が実施された。艦長及び海曹・海士各代表に花束が贈呈され、吉野艦長の力強い出港挨拶の後車両ランプが艦内に収容され、「出港用意」が令せられる。「軍艦行進曲」が奏される中、2万トンの巨体は3隻の曳船で引き出され、静かに岸壁を離れる。しばらくして曲は「蛍の光」に変わり、陸上及び艦双方で「帽振れ」が令せられる。

艦長の出港報告

車両ランプの揚収

 岸壁では建造に携わった工事関係者が嫁に出す娘の親のようにやや不安が入り混じった万感の思いで、いつまでも「いずも」を見送っていた。本艦は武器システムにはさほど大物がなかったものの、船体の巨大化に伴う物量の増大は「むらさめ」級DDの約5倍、「ひゅうが」級DDHの約1.5倍に及んだ。それにもかかわらず、進水から引き渡しまでの期間は通常の護衛艦とほぼ同じという制約の中、各種トラブルへの対応をはじめ主要工程の調整、社内・協力・下請け会社の労働力・技術力の維持確保には並々ならぬ苦労があったという。

「いずも」は巨艦なるが故か、沖合500メーター付近からなかなか出て行かない。アナウンスにより「見送り終了」が告げられ、当日のすべての行事が滞りなく終了した。しかし、老OBとしては、初出港は未練残さずさっと出て行ってもらいたいものだ。離岸時両煙突から大量の白煙が出たので「機関故障?」と囁く者もいた。また、授与式の際防衛大臣旗と共にメインマストに揚がっていたこの種行事では見たことのない海将旗についても、その真意が気になるところである。
 それはともかく、「いずも」は無事横須賀に回航され、翌日は横須賀基地の逸見岩壁で盛大な入港歓迎行事が行われ、艦内が公開されて市民に初めてその巨大さを実感させた。

横須賀地方総監部の逸見岩壁に横付けした「いずも」

飛行甲板を歩く市民(艦首遠景は市内のホテル)

        横須賀における「いずも」の夜景            撮影:鈴木 英介

「しらね」の引退、除籍

 「いずも」に自衛艦旗が授与されたのと同じ頃、京都府舞鶴市の海自基地において、護衛艦「しらね」(5200トン)の自衛艦旗が静かに降ろされ、同艦は35年間にわたる海上防衛の任務から退役した。報道によると、当日は日本海特有のあいにくの曇天だったが、護衛艦「ひゅうが」の転籍披露行事と合わせて行われたため、約400人の部内外の参加者で盛大だったようだ。
 35年前、当時海自最大の護衛艦、初のNTDS艦として就役した「しらね」の生涯は、まさに海自の近代化の象徴であった。特に、「こんごう」はじめイージス艦の戦力化が達成されるまでの前半生は、艦艇部隊近代化の牽引役として人材育成や日米共同訓練の分野で大いに成果を上げた。また、その巨艦ながらスマートな姿は、当時の若い隊員たちの憧れの的であり、防衛庁(省)のメインイベントの観艦式においては、常に観閲官(総理大臣)の乗艦する「お召艦」として優雅な姿を多くの国民の前に披露し、名実とも海自の「顔」として活躍した。

 この約1か月前、舞鶴市内のホテルで「護衛艦しらね除籍記念懇親会」が行われた。筆者はぎ装員・初代乗組員の一人として参加したが、その際舞鶴基地北吸岩壁に横たわる最期の「しらね」に対面した。5インチ砲2門の砲身を外された無残な姿にはショックを受けたが、CIC内部は個々の機器は変わっているものの就役当時の懐かしい雰囲気があり、ほっとした。
 記念懇親会と2次会は終始華やかな雰囲気で行われ、部内外多くの人が「しらね」の退役を惜しんだ。翌日最後の入渠のため対岸の造船所に回航されたところを、筆者にとって「しらね」自衛艦旗の見納めと思い、思わずシャッターを切った。艦尾からの撮影となったのが幸いである。

華やかな雰囲気の懇親会(和太鼓の演奏)

甲斐しらね艦長を囲んで記念撮影

見納めの自衛艦旗(除籍1か月前、JMU舞鶴工場)

 「しらね」は晩年の平成19(2007)年12月に火災事故を起こしてCIC内の機器を全焼、その被害復旧過程で一時退役も検討されたという。しかし、「はるな」のシステムを移植して復活を果たし、平成21年舞鶴に転籍。艦艇基地として唯一日本海に面する舞鶴では、「舞鶴しらね会」はじめ多くの市民から愛されて、無事退役の日を迎えたことと思われる。記念懇親会の約140名、除籍当日の約400名という参加人数がそれを物語っている。
 当日「しらね」の自衛艦旗返納式に参加したOBからの報告によれば、自衛艦旗を降下し最後の乗員約100名が退艦した後、自衛艦旗は午前10時35分、甲斐義博艦長から堂下舞鶴地方総監に無事返納されたという。

         最期の乗組員の手によって降ろされる自衛艦旗      撮影:衣笠 昌和


副長から手渡された自衛艦旗を捧持する甲斐艦長

「海のさきもり」が奏され艦長が堂下総監に自衛艦旗を返納
    (奥は「ひゅうが」)            撮影:衣笠 昌和

 自衛艦旗返納式は授与式の概ね逆順で行われるが、海自の部内行事でもありメディアも含め一般に公開されない。(そもそも防衛省の規則類にこの儀式の規定はない)筆者の知る限り、自衛艦旗返納式が初めて公開されたのは、平成13年6月、呉基地における潜水艦「なだしお」の除籍の際。この時は、13年前の「なだしお事件」の当事者でもあり、新聞、TVではかなり大きく報道された。
 因みに、今回はDDH「ひゅうが」の転籍披露行事と合わせて行われたため、専ら「『しらね』から『ひゅうが』へ」という報道ぶりであり、「しらね」の代替として「いずも」の就役という報道はなかった。

22DDH「いずも」の位置づけ:護衛艦?

 防衛白書によれば22DDH「いずも」は、「平成26年度に除籍が見込まれているDDHしらねを代替更新するため」平成22年度予算で建造が決定された。22DDHは従来のDDHの能力に加え、「大型化した船体を活用し、車両や物資などの輸送機能、傷病者に対する医療機能など国際平和協力活動、大規模災害対処、在外邦人輸送などに対応するための各種機能を充実させている。これらのことから、22DDHは多目的に活用することのできる護衛艦として、国民の安全確保や国際貢献などを行う際の中枢艦としての活動が期待される」(22防衛白書)
 要するに、この説明ぶりでは、22DDHは護衛艦よりはむしろ多目的艦としての運用を重視し、結果として大型艦となったと理解される。
 平成22年という年は政権交代直後でもあり、16大綱の見直しが行われ、22大綱として制定されるまでの間、17中期防・23中期防いずれの計画にも含まれず、22年度単年度計画として防衛力整備等が実施された狭間の年である。従って、16大綱の考え方を踏襲し、基盤的防衛力構想を捨てたとはいえ、新規概念の装備品の要求よりもむしろ老朽更新が重視されたと思われる。
 そのような情勢にあって、「しらね」型DDHの老朽更新として約4倍の排水量の大型DDHを予算化した海幕・防衛省の関係者の努力は評価されるべきであろう。従来、海自の護衛隊群の実施するお家芸の対潜戦においても、中核となる艦載ヘリの運用(発着艦)がDD(たまにDDH)では気象海象状況により制約を受けることが多く、少なくとも群内の艦載ヘリ8機を1艦で集中運用できる大型DDHを保有することは艦艇部隊の悲願だったからだ。
 予算上の制約から搭載武器を自己防御用に限定したのはやむを得ないが、巨大な船体のキャパシティがあるので対空ミサイル等の後日装備の可能性が高い。とは言え、結果的に護衛を必要とする護衛艦となった。「護衛艦」としたばかりに、部内の各分野で諸々の障害が生じていることは容易に想像できる。むしろ、これを奇貨として、船舶の種別を「護衛艦」ではなく例えば「多目的(戦闘)艦」に変更する知恵を出せばよかった。
 これは省内の訓令等を改正することで対応できるはずであり、このことにより艦の設計・建造や、人事・造修・補給等後方支援の分野に「新艦種」という意識を持たせることが出来る。また、結果として国民や海外からも素直に多目的艦として理解され、余計な「空母」論等の論議の生起をある程度抑制できたであろう。22年度要求時に並行して22大綱・23中期防が検討されたので、2番艦の24DDHも含め種別変更の議論はできたと思う。大綱別表でいう護衛隊(群)の編成にDDHの任務を遂行する多目的(戦闘)艦や弾道ミサイル防御を任務とするイージス艦が含まれることは不自然ではない。
 因みに、現行の「海上自衛隊の使用する船舶の区分等及び名称等を付与する標準を定める訓令」では、大分類「警備艦」の中で中分類「機動艦艇」の種別は護衛艦、潜水艦の2種類のみ。一方、中分類「機雷艦艇」の種別は掃海艦、掃海艇、掃海菅制艇、掃海母艦の4種類がある。「機動艦艇」の種別に「多目的(戦闘)艦」を追加しても全く不自然ではない。

国内外の論評と課題

「いずも」の就役について、中国人民網日本語版は同艦を実体は「空母」とした上で、「①強い攻撃能力と遠洋作戦能力を備えるうえ、少しの改造でF-35B戦闘機の発着艦が可能で名実ともに空母となり、強い攻撃性を備える」「②専守防衛型部隊から海上攻撃型部隊へと発展し、日本の世界的な軍事干渉能力を高め、軍事的冒険を行う可能性を高める」と評価し、「③かつて中国侵略の象徴的な軍艦「出雲」と同名の船をこの時期に就役させたことは明らかに中国を対象としており、中国の軍事作戦に影響を与える」という論評ぶりである。
 韓国のメディアは、「自衛隊を軍と呼んだ安倍首相と『準空母いずも』の就役は決して無関係ではない」とし、「中国に備えるという名分だが、日本海での韓国軍との格差はこれで拡大する」という報道ぶり。
 米国のメディアは客観的な事実のみを報道しているが、ネットユーザーでは対中抑止力として「いずも」の就役は同盟国として歓迎する意見が多く、単純な空母建造論よりもソニーやホンダのような日本独自の高品質のものが作られたという警戒感もある。
 一方国内のメディアやネットユーザーでは、実体は準空母ながら空母のような攻撃的運用は行わずあくまで対潜戦のような護衛艦としての運用という説明を是とし、軍拡路線を続ける中国を刺激する可能性はむしろ低いとする論調が多い。中には本艦をあくまで護衛艦と位置付けたのは、「はるか先を行っている海自の兵力整備の深慮遠謀」という見方もある。確かにこれまでの内外の反響を見る限り、「あくまで護衛艦でありそれ以下でも以上でもなく、空母的な運用は考えておりません」と防衛省・海幕の決まりきった国会答弁のような対応で成功しているといえる。この意味で「いずも」はすでに一定の抑止効果を発揮している。
 かつて海幕が8900トンの輸送艦(LST)を計画した時、当時の防衛庁プロパーの防衛局長が何の軍事的根拠もなく、「5000トン以上の艦艇はまかりならない」といって、中期計画で4500トンのLSTにせざるを得ないことがあった。しかし、このトン数では90式戦車を搭載するエアークッション艇(LCAC)を収容することが出来ず、LSTとしての任務遂行不可能となり、予算説明上舌を噛む結果となる。結局、大蔵省から来た新防衛局長の下で8900トンLSTは年度予算で復活する。
 この時ですら、防衛庁内局は輸送ヘリの運用効率上船体を全通甲板とすることにより空母建造と批判されることを極度に恐れ、海幕は何故全通甲板とするかという運用上・技術上の単純明快な説明を何度も求められたことがある。それでもジェーン年鑑には、「日本は遂に空母建造の第1歩を踏み出した」と書かれるほど、当時の内外の情勢は自衛隊にとり逆風であった。この時のトラウマもあり、中期計画段階では余計な空母建造論議を避けるため、16DDH「ひゅうが」(13950トン)には敢えて全通甲板採用の完成予想図を使用しなかった。
 これらの経緯を考慮すれば、政権交代直後の混乱期で「事業仕分け」という予算精査の情勢下、概算要求、政府予算案審議時に当時の鳩山総理の「友愛ボート構想」の順風が吹いていたとは言え、22DDH(19500トン)を事業化したことは、防衛省・海幕関係者の殊勲甲である。あえて「護衛艦」で説明を通したのは正しく先を見越した深慮遠謀であったかも知れない。
 しかし、予算と実行のかい離で苦労するのは常に現場の部隊、隊員である。今後の運用や人事・後方支援体制・基盤の構築において、新種別とせず「護衛艦」としたことの大きなツケが回ってくることは容易に想像できる。自衛艦の種別変更のみならずあらゆる知恵を出してこの弊害が早急に改善されることが望まれる。(了)

参考資料:鈴木総兵衛・財団法人水交会「聞書・海上自衛隊史話」
     谷村政次郎資料「海の軍歌と禮式曲-帝國海軍の音樂遺産と海上自衛隊-」