発生から1ヵ月~熊本地震被災体験記
 陸自OBからの現地レポート(その3)

28.5.25
陸自OB 中垣秀夫

 新年度早々の4月、熊本地方は震度7の地震に2回、立て続けに襲われた。これほどの大地震が連続して起こるというのは気象庁や地震学者も含め人類にとって初めての体験である。これを現地において身をもって体験したので、今後の参考に資するため必要事項をまとめておくこととした。



 一方、自衛隊の動きは迅速であった。1回目の地震発生後、直ちに災害即応部隊(ファースト・フォース)を偵察要員として益城町に派遣するとともに、非常呼集を掛け災害派遣準備に着手している。1時間後には知事から災害派遣要請があり、要請と同時災害派遣している。ちなみに、自衛隊自身も被災しており、健軍駐屯地の食堂と業務隊隊舎が使用不能であり、北熊本駐屯地も講堂のトイレが使用不能である。なお、当然であるが、4月24日に予定されていた第8師団の記念式典は中止になった。自衛隊は安倍首相の指示により3万人を投入したが、上富良野の災害派遣車両を見かけた。自衛隊は全国から支援に来ており、たとえば入浴支援部隊は沖縄を除く全国から動員されている。
 ところで熊本地震の発生時、自衛隊の大型輸送ヘリコプターCH47チヌークは全70機のうち約8割が飛行できない状態であった。実は地震発生の1週間前、CH47の定期点検で翼を回転させる部分近くに異常が見つかり、飛行を続けると事故につながる恐れのあることが判明した。このため自衛隊は全機の運用を中止して一斉点検を実施中であった。熊本地震後、自衛隊はCH47の出動を決めたが、まだ多くの機体が点検中か点検前であり、救助・救援活動に従事できたのは、点検済みの10機だけであった。このため、防衛省は被災地への物資輸送が滞ると判断し、米軍に支援を要請し、その結果、海兵隊のオスプレイが投入されたのである。マスコミが騒いだ「オスプレイに対する国民の反感をそらすため」というのは、事実を知る者にとってはナンセンスな言い掛りである。
 熊本偕行会はS理事長のご配慮により、「偕行社から50万円送付する」旨の連絡を受け、U会長が立て替えて、I事務局長とともに総監部を訪問し、「派遣隊員への慰問に役立てて下さい」と手渡した。ただし、総監部は義援金や寄付金は受け取れないとして防衛弘済会を窓口として物品購入することとした。何故、このような手間の掛かる措置をしたかと言うと、自衛隊としては部隊の領収書が出せないので防衛弘済会から領収書を発行してもらうため取った措置である。私はこれらの対応について、その日の夕方、I事務局長から電話連絡を受けて承知した。直ちに総監部に偕行社の趣旨と偕行社による東日本災害派遣隊員激励品の送付例を説明し、「領収書は不要なのでとにかく急いで措置してくれ」と話した。そういう意味では、今後、類似の事案があった場合、「領収書は不要」と付け加えることが親切かも知れない。
 一方、熊本県隊友会は、会員の多くが被災しているにもかかわらず、速やかに有志によるボランティア活動を開始した。ちなみに、熊本県隊友会は防災に力を注いでおり、防災に特化した専属の副会長を置いて活動している。実は、2月の定例県議会冒頭の行政方針演説の中で、蒲島知事は「半世紀ぶりに阿蘇草千里の野焼きを再開する。これは熊本県隊友会をはじめとする多くのボランティアの皆さんのお陰である」と隊友会という固有名詞を挙げて演説している。ところで、隊友会本部からも「隊員の激励のため150万円送りたい」旨を直接、総監部に連絡したそうである。当然、総監部は「現金は受け取れない」として、丁寧に断ったそうである。このような場合、地元の隊友会に「領収書は不要」として現金を送付し、現地で物品目録に替えて部隊に持って行けば支援が可能ではなかったかと思う。せっかくの厚意が生かされなかったのは残念である。

Ⅲ 地震発生から1ヵ月後の状況
 1カ月間で、地震の強さを示すマグニチュード3.5以上の地震が238回発生し、中越地震の227回、阪神大震災の101回を越えた。身体に感じる地震の回数は1,420回を越え、このうち震度7が2回、震度6が5回、震度5が11回、震度4が88回と強い地震が多発している。しかしながら、気象庁や地震学者は「まだ地震のエネルギーが完全に放出されておらず、震度6クラスの大きな余震又は別の地震が発生する可能性がある」と発表している。しかも、その時期について、最初の2週間くらいは「1週間以内に」と言っていたが、1カ月を過ぎると「2カ月以内に」と修正した。被災者にとっては、“蛇の生殺し”みたいなもので、たまったものではない。このような中、「5月17日に震度6か7の大地震が来る」との“まことしやかな流言飛語”が市民の間で囁かれた。中には「動物園のライオンが逃げた」というデマもあった。ちなみに、余震は5月なってからも続いており、12日夕と13日の未明に震度4を観測している。このような状態なので、ライフラインが復旧して自宅に帰った人達も、寝る時は枕元にヘルメットと懐中電灯を置いて外出着のままとか、入浴も「カラスの行水」で直ぐ上がるとか、気の休まる暇がない状態が続いている。
 一方、余震が続く中、避難者の86%が「今後も熊本に住みたい」と希望しており、理由としては「愛着があるから」と答えている。これは復興への大きな希望である。ちなみに、東日本災害では自治体によっては「6割がもう済みたくない」と回答し、復興への気運をそぐ足枷となった。1カ月を過ぎても、避難所で過ごす人が1万3千人おり、自宅の庭や近所の公園等で車中泊している人数は把握できていないが、恐らく3万人を超えるのではないかと想定している。ちなみに、公園での車中泊は水道とトイレの心配がないものの、痴漢や窃盗の防犯上の問題点がある。いずれにせよ、現時点では、不安の第一は頻発する余震である。次に、住宅特にローン、続いて将来のこと特に仕事・就職であり、これは行政に負うところが大であり、国と地方自治体が連携して対処して欲しい。一方、被災地では地震直後から窃盗・空き巣が横行している。益城町、南阿蘇村、西原村ではまだ停電中のところが多く、夜は真っ暗闇になる。そこで泥棒が暗躍しているのである。警察は、全国からの支援を得て防犯に尽力し、今までに59件、現行犯逮捕したが、空き巣は現在も続いている。このような場合、罰則を3倍にするとか、早急に立法措置が望まれる。
 地震による直接被害も大きいが、県内の宿泊施設での予約キャンセルが相次いでおり、1カ月間で33万泊がキャンセルとなり、この観光被害だけで140億円になる。交通への影響も大きく、幹線道路で155カ所が全面通行止めとなり、うち3割に当たる50カ所が緊急道に指定されている区間だった。橋の損壊や段差、落石や土砂崩れ及び路面の亀裂や陥没は数知れず、私の近所でも直径1メートル、深さ20センチほどの2カ所の道路陥没があった。また、東バイパスや浜線バイパスのような4車線の幹線道路でさえ、路面が波打っている。南阿蘇村周辺では阿蘇大橋の崩落がテレビで繰り返し放映されたが、この他にも、県道熊本高森線などで俵山トンネルの崩落及び6本の橋梁のうち5本が崩落しており、南阿蘇村と熊本市を結ぶ道路が全て寸断されている。交通網の破損は、支援物資の輸送やコンビニ・スーパーなどへの配送にも影響が出た。
 企業への影響も大きく、上場企業だけでも133社が被災したが、そのうち86社が操業再開の見通しが立っていない。ホンダの熊本製作所は生産ラインが全面停止し、トヨタは熊本の部品メーカーが被災して操業停止したため、国内の車両組み立て工場15カ所が次々に生産停止に追い込まれた。このうちドアを生産しているアイシン九州は8月下旬の操業再開を発表した。いずれにしても、新卒者の雇用に悪影響を及ぼすとみている。中小・零細企業は把握できていないが、恐らく廃業するところが出てくると思われ、たとえば身近な飲み屋でも「500軒ほどが廃業するのではないか」と街の噂である。S理事長、R専務理事、I事務局長を案内した店も、今月いっぱいで廃業すると聞いている。
 県内の大中のホールは前述のグランメッセと市民会館を含め県立劇場や公民館のホールなど、全ての施設に被害があり、このままでは7月の参議院選挙の立会演説会や総決起集会に支障が出ると思われる。ちなみに、妻が健康太極拳に通っている中央公民館は被害が甚大であり、修復の見通しが立たないとの由で、公民館の各種講座は全て閉鎖されたままである。また熊本で最も格式の高いホテルキャッスルも被害甚大で宿泊できない状態だったが、建物本体は復旧可能との由で、近々営業を開始すると発表した。ホテルキャッスルは昭和30年代に昭和天皇をお迎えするために建てられた由緒あるホテルであり、平成11年の国体の折にも両陛下が泊まられている。
 いずれにしても、文中で紹介したように、色んな方々が全国から応援に駆け付けてくれており、自衛隊、警察、消防、電気・ガス・水道の技術者、医療・福祉・介護の専門家、物流関係者、ゴミ収集関係者、そして今も活躍している多くのボランティアに感謝する。更には熊本に心を寄せて激励下さった方や義援金を下さった多くの方々にも感謝する。
(了)