地雷の恐怖から安全・安心の村へ
=カンボジアコミュニティ総合開発プロジェクト体験記=

2 地雷除去は中間目標

「貴方は、地雷のプロだから、カンボジアへ行ってください」と株式会社小松製作所(コマツ)に入社した日の朝、当時特定非営利活動法人日本地雷処理を支援する会(JMAS)土井理事長から唐突に言われ、そのままコマツが実施している地雷除去機のカンボジアにおける実用試験へ参加することとなりました。

1992年、日本が始めて国際平和協力活動としてカンボジアPKOに参加した時、当時防衛省陸上幕僚監部施設課に勤務し、派遣準備から撤収までの約2年間、派遣業務に携わった私には、カンボジアと言う国に何か因縁を感じました。

それから半年後、カンボジア王国バッタンバン州(首都プノンペンから北西約350km)の広大な地雷原の中で地雷除去試験を行っている時、「地雷処理だけでは、村民の農耕のきっかけにはならず、村の復興には繋がりませんね。

リモコン操縦による地雷除去機

それは中間目標ですよ。
地雷処理と同時に道路、ため池、井戸、そして小学校を整備し、内戦によって地雷で汚染された村人達の生活の”安全と安心”を確保”する事が始めて村の復興に繋がります。

日本のNGO無償資金協力は、地雷や不発弾処理の単独事業しか認められず、地雷処理だけで村の自立に本当に役立つのか、少し実態とはかけ離れている感じがします。
このコマツさんの機械(コマツが開発した対人地雷除去機DM-85)は、地雷除去機と言うよりは、”国土復興機械”と呼んだほうが良いですよ!コマツさんは、建機メーカーだから、地雷除去機とドーザ等建設機械と組み合わせた村の地域復興ができますね!」

2006年10月カンボジア王国バッタンバン州で実施された対人地雷除去機の実用試験の最中、広大な地雷原の中での”気儘な会話”からコミュニティ総合開発プロジェクトは、開始されることになりました。

3  新たなる挑戦

対人地雷除去機の実用試験も順調に進み、日本へ帰国した頃、一通のメールを受け取りました。
それはバッタンバンの地雷原で復興支援について語りあった小松製作所建機マーケティング本部海外営業本部長からであり、「貴方の考えを社長に出しましたよ!」

本人は何を言ったか余り覚えていません。
暫くして会社内でコミュニティ総合開発が話題となり、計画の具体化を進める事になりました。
しかし対人地雷除去機を本格的に運用し、数十ヘクタールの地雷を除去し安全な土地に変えるとともに、これに隣接する道路、側溝、溜め池を建設し、小学校を作る一大プロジェクトは、JMASにおいても人力による地雷・不発弾処理の経験はありますが、コミュニティ総合開発については、経験者は皆無であり、国際的なNGO等の活動においても、参考にできる物は全くありませんでした。

暗中模索の日々が続く中、コマツは社会貢献活動として本PJを行うことを決め、会社内に各部署から選ばれた数十名の専門家達で構成される地雷除去プロジェクトチームが立ち上がりました。
こうなると今更引くに引けなくなり、実行するしかありません。

しかしながら常勤スタッフは、地雷除去プロジェクトグループの副室長と私のみであり、それからは試行錯誤の連続でした。
本PJの主役は、カンボジアの地雷原の中で生活する農民であり、共演者がカンボジア地雷処理センター(CMAC)そしてJMASであります。
支援を受ける人々が、「一体どのような支援を必要とし、何をどこまで支援すべきなのか」その基本的事項を決める事が極めて重要でした。

このため、数度の現地調査を行い、支援を必要とする村々の村長さん達から村の実情と支援が必要な事項について、直接聞き取り調査を行いました。
この時聞き取り調査した村長さん達からは、学校、道路、溜め池等インフラ整備の事が殆どであり、誰一人として地雷処理の話題に触れた村長さんはいませんでした。

私達は、地雷処理が優先順位の第一との固定観念があり、余り気にならなかったのですが、ここに支援を受ける側の人々の本音があったのでした。
計画は、現地の要望を第一義に、経費、期間、PJ組織等を考慮した実行の可能性のバランスをとって初めて現実的な形になります。これから開始までの1年間、理想と現実のギャップに悩まし続けられました。