地雷の恐怖から安全・安心の村へ
=カンボジアコミュニティ総合開発プロジェクト体験記=

11 村人達との楽しくユニークな会話

約二十数年間地雷に汚染され、荒れ果てた土地が、豊かな作物ができる安全な土地に生き返ります。
新たな所得を生む反面、利害関係が生じます。
私達は、この問題の発生を予見し、事前にコミューン、ビレッジ及びCMACとの間において現地覚書を締結しました。

土地境界の調整

お陰さまで土地問題に巻き込まれる事は無かったのですが、土地の境界を決めるための調整は大変でした。
学校の新たな敷地を造成する際、村長、グループリーダー等との調整、各人の言い分を聞き、最後に村長さんが裁定するのですが、土地台帳があるわけでもなく、ましてや地雷原、測量など誰もやっていません。

「あの曲がった木の枝、いや杭の左・・延々と続きます。皆が言い疲れたころ、村長さんが、この当たりだね!」、私が「ドーザ等機械による敷地造成作業が容易なように、境界はできる限り、真っ直ぐになりませんか?」と頼むと、「ではこの線で・・」皆も納得、早い話が”いい加減、いや柔軟性に富む”人々かもしれません。

道路構築の際も、「道路の位置はどこが良いですか?」と尋ねると「出田の好きなようにどうぞ」、「ここから真っ直ぐ約4km作りますが、家が邪魔になります?」、「心配いりません。
家は動かしますからOKです」、作業当日、家は6人の人々に担がれ移動して行きました。自衛隊時代、道路工事を行う際、様々な制約があり路線を決めるのに右往左往した事が嘘のような出来事でした。

カンボジアの人達は、伝統的に”天から降る雨水”が最も綺麗だと信じています。これを大きな瓶に溜め、飲料水として飲んだり、自然のため池の水を生活用水として使用しています。
これらの水は、決して安全とは言えず病気の原因となっています。

このため安全・安心な村作りの一環として井戸の掘削、自然湧水の溜め池を作りました。
井戸はせっかく作っても、親たちは”天からの水”が最も綺麗と思っているため、子供達に綺麗な井戸水を飲む習慣を身につけるために小学校内に井戸を掘る事としました。その際、小学校の井戸掘削において次のようなやり取りがありました。

井戸の湧水はまだか?

出田 「井戸の位置はどこが好いですか?」
校長 「生徒がトイレの水汲みに便利な所が好いですね」
出田 「では校舎の近くですね!」
村長 「校舎は道路からはなれているので住民が不便になります」
出田 「でも、やはり校舎に近い方がいいですね!」
校長 「校舎に近いと住民が来てうるさい」
出田 「トイレの位置を変えますか」

校長「校舎近くで井戸の下でないと衛生上良くない」 出田「風はどちらから来ますか」「じゃ~風上は駄目ですね」・・・この”井戸とトイレ”のやりとりが延々数時間続き井戸の話、は確かに”水かけ論”ですが、業を煮やした私は「いったいどこがいいのですか?
井戸業者が待っています!」、村長と校長が顔を見合わせ「これは重要な事だからMr. IDETAあなたが決めてください」、唖然!そして村長と校長が選んだ場所を2ヵ所掘削しましたが、水は出ません。

まさに”水の泡”3度目は、私が最初提案した場所を掘削、めでたく湧水、「時間と掘削費を返せ!」と思わず叫びたくなりました。
これらは、カンボジアの人々のおおらかな一面かもしれません。

 カンボジアには世界各国及び日本から多数の井戸が寄贈されています。
しかしながらその多くは、構築して数年後には壊れて使用不能になり、そのポンプは剥ぎ取られ無惨な姿となり、役に立ちません。私たちはその原因を調査し、多くはポンプの故障に寄ることが分かり、そのポンプは安く手に入るタイ、ベトナム、中国、カンボジア製であり、反面数十年間故障もせず動いているのは、高価なインド製ポンプでした。

多分多くの支援者は、お金だけ支援し、井戸業者に委託したり、また「質より数を」重んじた結果と思われます。
これでは、せっかくの人道支援も一過性のものとなり、真の復興には役立ちません。
当然私達はインド製のポンプを採用しました。
人道支援を行う際は、現地の状況を良く把握し、それに適合したやり方でなければ余り意味はありません。