地雷の恐怖から安全・安心の村へ
=カンボジアコミュニティ総合開発プロジェクト体験記=

13 支援はどこまでやるのか

道路、側溝等のインフラ整備において問題になりましたのは、「どこまで支援するのか?」、と言う事です。
工事期間、経費、私達の土木作業能力、CMAC、村民達への技術の伝承等様々な環境条件、そして最大の目的である”村民の自立支援”を追求することです。

土留め擁壁を丸太で構築

道路等は月日が経つと壊れます。
壊れた時、村人達が自らの手で補修できる事が重要であり、補修するための機械、技術、経費も無く、また資材も買えない村民達が、身近にある資材で補修できる事が大切です。
このため、私たちは日本の伝統的な水防工法による土留め、排水、溜め枡等を作り、道路については、砂利が高価で入手困難なため、カンボジア特有のラテライト(鉄分の多い赤土)を材料とした応急的道路整備を行いました。

約3mの側溝掘削で排出したラテライトを路盤材として使用する事にしました。
土嚢作り、蛇かご編み、丸太による溜めます構築、ヒューム管埋設どれ一つをとってもCMACの隊員及び村人達は初めての経験、始めは半信半疑で参加していた人達も、形ができ、水が流れ出すと積極的に働き出しました。

スコールで壊れた時は、村人が丸太を伐採し、ラテライトを運び、道路を補修する。多くの方から「何故コンクリートやアスファルトにしないのか!」との叱責を受けましたが、施工期間、経費の問題もありますが、それ以上に壊れた時、”村人自らが補修する事”が自立支援に繋がるとものと考えました。

村長さん達には、毎日「道路等は必ず壊れます。
壊れた時は自分達で補修して下ださいよ」と言い続けました。
それから10ヶ月が過ぎた頃、PJ開始時「何も手伝わない」と言っていた村人達約50名が各自、鍬、鋤、トラクター持参で支援に来た時は、”自分達の道路は、自分達の手で守る”事の重要性に気がついてくれたものと涙が出るほど嬉しい思いをしました。

政府が道路、ダム、発電所建設等の大規模に実施するODA支援とは異なり、私達NPOレベルの海外における人道復興支援活動で最も大切な事は「どこまで支援するのか?」と言う事です。

毎日の作業指導

支援を受ける側とすれば、当然、道路等 は完成された姿を望みますが、村人達の自立支援という立場からは、将来の維持補修等に関心を持ち、継続的に自らできる事を考慮すれば、彼等のためにはなりません。

また彼らに”支援慣れ”という悪い慣習を作ってはなりません。このPJ期間、”何を、どこまで、どの程度”支援するのか悩み続けました。
PJが終了して1年後、現地サンハー村を訪ねると、村長さんが待っていましたとばかり「Mr. IDETA!学校は良かったが、道路が壊れた、修理してくれ!」と私の腕を強く掴んで離しません。

私も人の子、情けもあります。早速現場を確認後、「建機は近くにあるし、補修作業は、1日でできるのでやってやろうか?」と思う反面、村人自らが補修する事が大切である事をPJ期間中、彼らに言い続け、補修要領も教えてきました。
これは、これを実行する絶好の機会と思い、心は痛みましたが村長の願いを断り、村をあとにしました。それから2ヵ月後、村人達が自ら道路を立派に補修した話と写真が現地から届きました。

あの時、支援しなくて良かった。本当の思いやりとは、我慢する事なのかも知れません。

14 貧乏の輪廻

2007年事前偵察に村を訪ねた際、森の中に”藁葺き屋根の小屋”があり、中で子供達が元気に勉強していました。
壁は無く、スコールが降ると児童達は皆ずぶ濡れ状態、それでも笑顔で皆勉強をしています。

近づこうと歩き出すと案内のCMAC隊員が、「そこは地雷原で危険です!」と注意喚起、その時は半信半疑で聞いていましたが、実際新校舎建設のための地雷除去を開始する否や地雷、不発弾が 続々発見されました。

地雷原の中の危険な小学校

この藁葺き小屋は、村の人々が自ら建てた小学校であり、建物の周囲のみ地雷を除去したらしいとの事でした。
まさに”地雷原の中の小学校”に驚くとともに、1日も早く安全で安心して学べる学校を作らなければとの思いに駆られました。

カンボジアにおいては、戦後国際NGOや各種の支援団体から多くの学校が寄贈され、中には学校の数だけは十分というコミューン等もあります。
しかし,その実態は、校舎のみを建設して支援を終了しており、支援を受けたコミューン等は、依然として学校に通えない児童の存在、学校の維持管理、先生の確保等様々な問題を抱えており、いわゆる”箱物”に代表されるような、一時的な支援では村の教育、復興に繋がりません。

丘の上に建つ新しい小学校  “安全・安心”の新小学校

子供達が勉強できない理由には、次のような理由があります。
第1に行くべき学校が無い。
第2に学校があっても道路が整備されておらず、地雷の存在、雨季における冠水による道路遮断等で通学できない。
第3に、家庭が貧乏で、早朝から家の手伝いの労働力として働いており学校に行けない。 第4に、子供達を教える良い先生がいない。町から遠く離れた村に来てくれる優秀な先生は、誰もいません。先生の給料は安く(約50~70ドル/月)、また自宅から遠く通えないからです。
この4つの問題を解決しなければ、学校のみを作っても子供達の教育、村の復興・発展には繋がりません。

このため、私達のPJでは、建設した学校には町から来る先生達が宿泊できる職員室を設け、通学路となる道路を整備、地雷処理、溜め池構築による耕作地等生活基盤を付与し、更に学校外柵沿いに、約100本のマンゴーを植樹し、数年後成熟したマンゴーを販売した収益により、学校の維持管理、先生の雇用費等継続的な収入を得る事ができるようにしました。

一方、子供の親達は、貧乏だから学校に行けない。学校に行けないから知識・技術が学べない。
知識・技術が無いと良い所に就職できない。
就職できないと収入が低く貧乏になる。といういわゆる”貧乏の輪廻”から子供達を救い出したい気持ちで一杯です。
約2ヘクタールの小学校の敷地造成が終了する頃、校長先生に、「子供達の安全確保のために学校周辺に柵を作りたいので、杭が200本程度必要です。

親達が協力して外柵作り

協力して下さい」とお願いすると、今まで協力はしませんと言っていた村人達が、1夜にして約200本の丸太を山から伐採、杭を作り学校外柵を構築してくれました。
作業終了後、親御さん達との楽しい昼食時、「地雷を処理し、こんな立派な学校、道路を作ってもらい私達は幸せです。

お金の無い私達親ができる協力です」と笑顔で話してくれました。
世界中、子供を思う親の気持ちは同じです。最近、口は出すが協力はしない親達が多くなった日本では、味わえない”教育の原点”のような清清しい気持ちになりました。