イワン・チェンナムの中国便り
-中国兵法「三十六計」全36回(解説・第一計)-

翻訳編集 イワン・チェンナム

 全36回(解説・第一計))

1はじめに 
 北京に在住して1年半になったある日、中国人の友人に誘われて「首都図書館」に行ったとき、この「三十六計」のビジネス書に出会いました。友人曰く、「この三十六計は、中学高校でも授業で取り上げられている」とのことでありました。借りて読むうちに、この本の面白さに惹かれて、翻訳を思い立ちました。
《三十六計》のうち、最も有名な著作は、孫子の兵法の中で代表される三十六の戦いの極意書でありますが、もともと、三十六計とは、様々な歴史的な経緯の下に生み出されたものであり、中国古来の兵術思想であります。今回の、この「三十六計」は、孫子の兵法(三十六計逃げるが勝ち等)はもとよりのこと、それ以外の中国古来の出典も根拠として引用されています。また、応用事例については、現在のビジネス書としても参考になるように各種の企業の活動状況を三十六計の思考に照らして紹介されています。
 三十六計は、各計が個別に存在する場合もありますが、各事例にも見られるとおり、それぞれの計は同じ事例の中においても、時と場所と状況等により各計の策略が重ねて取り入れられていることが多くあります。また、戦いは、所詮、人と人が行うものであり、人の迷いや錯誤等の連鎖が結果を左右させており、一人の人間だけの判断だけでは、御しきれないことが多くあることを示しています。このため、リーダーたる指揮官は、自分の周りにいる多くのスタッフの意見を取り入れて難局を乗り越えており、指揮官と幕僚のあるべき姿が、映し出されております。
 中国においては、この三十六計以外にも数多くの戦略戦術書があり、また、儒教、法教、墨教、道教という四大思想を含めて、現在の中国社会においてもこれらの考え方が脈々と受け継がれており、ここに、中国人の“したたかさ”の根源があると思われます。
 文中の応用事例については、全て中国人及び米国人の著者がまとめたものであり、この中に数多くの日本企業等の日本に関する事例が紹介されていることも興味深いところです。
 またこの三十六計全体に流れている主な思想は以下のようなものであり、いたって常識的かつ現実的な“戦いの考え方”であります。(順不同)
  1 相手の弱みに付け込む       6 騙して惑わす
  2 自分が弱いときは無理をしない   7 より多くの事(情報)を知る
  3 相手の力を利用する        8 人の言う事はよく聞く
  4 他人と同じ事はしない       9 目的のためには手段を選ばず
  5 損害は少なくする         10 私利私欲だけでは身を滅ぼす
 これらの事は、平素の業務処理や生活の中においても参考となるものであります。
また、隣国の中国人が、若い頃からこのような考え方を学校や社会で学んで、中国13億の人口の中で、競争して生きていることも事実であります。
 現在の中国で感じる活気と熱気は、このようなところにも起因しているものと考えます。
 本文が、中国人を理解し、日本人を考え直す一助になれば幸いであります。

「翻訳文献」

 前言、出典、原文解釈、考証、応用事例 : 「三十六計 商学院」   孫岩 編纂
                          中国長安出版社 (中国語版)
                  

「参考文献」

 原文解釈、考証            : 「孫子兵法 三十六計」 孫武 等 著
                             北京出版社 (中国語版)

 考証 歴史確認            : 「中国上下五千年」    港和 編著
                             北京出版社 (中国語版)

 原文解釈、考証、応用事例       : 「兵法三十六計の戦略思考」
                         カイハン・クリッペンドルフ 著
                                  辻谷一美 訳   
                                 ダイヤモンド社

 考証、原文解釈            : 「中国の俗諺」     田中清一郎 著
                                     白水社
                       
翻訳、編集 : 翻訳文及び参考文は太字で、訳者の所見は細字にて表記
         

* 訳文中の中国人名及び地名等は、訳者の独断にて括弧書きにて日本語読みを加筆



 三十六計

前言
 これは古来からの兵術家の戦勝思想であり、現在では企業家の成功の鍵となっている。
 《三十六計》の思想は、多くの優れた軍人を育てるとともに、現代の優秀な企業家を育ててきている。この《三十六計》は明朝時代に文書化されたものであり、三十六計の各計の名の由来は、歴史故事、ことわざ、詩句、古代軍事用語等によっている。各計の解説は、全て《易経》中の陰陽の変化の理及び古代兵術思想の剛柔、奇正、攻防、彼己、虚実、主客等の対立相関関係にある相互の立場に転化させることにより、考え方を深められるようにしている。
 《三十六計》は、中国における最も代表的な謀略術であり、中国人の無形の“智慧の長城”である。《三十六計》は、中国人に愛好されているばかりでなく、国際的にも賞賛を得ている。
 ラムズフェルド アメリカ国防長官曰く、《三十六計》は中国の戦略的経典であり、百科事典のようなものであり、クラウゼウイッツの《戦争論》よりも更に詳細な戦略的な記述がなされている。それは具体的な戦略戦術分野に適用されており、重大な政治選択にも参考にされており、各界各層の指導者達がその中から、新たな秘策を見つけ出している。
また、スイスの著名な漢学者が次のように言っている。“西洋人もいろいろな計略を謀るために様々なことを考えるが、そのほとんどのものは、<三十六計>の範疇にある。”
 現在では、《三十六計》は既に軍事的な範疇を越えて、あらゆる分野において広く用いられており、とりわけ商業の分野においては、商売相手に勝つための貴重な教訓となって要る。商人は昔から商業の場を戦場と見なして、《三十六計》を崇拝し、古来からの軍事思想にある幾多の貴重な言葉を現代の企業管理や実践に取り入れてきている。
 マイクロソフト社長ビルゲイツは、アップル社に対して、出色の“囲魏救趙”(いぎきょうちょう)「一方を牽制して他方を救う」謀略を用いて、表面的には雪中に炭を送る救世主のふりをして、その実、マイクロソフト社は更に多くの事業戦略計画を展開させているのである。日本の松下電器や韓国のサムスン等の大会社も皆この“三十六計”の計略を参考にして、市場競争の中で不敗の地位を保っている。フォード自動車の“以逸待劳”(いいつたいろう)「我は休息し英気を養い、敵の疲れに乗じる」、日本の三菱商事の“趁火打劫”(ちんかだきょう)「人の災難に付け入る」、米国4大テレビ業界が用いている“暗渡陈仓”(あんとちんそう)「虚虚実実の駆け引き」などは、全て《三十六計》の真髄の表れである。

 既成の枠組みを越えた発想
 この「三十六計」は、我々の思考の幅を広げ、より創造的な戦略家となるためのツールを体系的な形で提示してくれている。洋の東西を問わず、歴史上の偉大な戦略家たちは、その創造性によって成功してきている。
 毛沢東のゲリラ戦術は、はるかに強大な敵の戦術とは全く異なっていたことから、敵は毛沢東の戦術に対処することができなかった。エルヴィン・ロンメル将軍は、敵の隙を突き、敵に自軍の行動を見誤らせ続ける人並み外れた能力によって「砂漠の狐」という異名をとった。ネーサン・ベットフォード・フォレスト将軍は、アメリカ南北戦争において、迅速な行動により南軍を指揮して、北軍に予測させないような戦術を選択し、自軍の何倍もあった敵を打破していった。偉大な軍事戦略家たちに共通する特徴は、「敵に見えていなかったものを見て、敵が選択しなかった行動を選択した」ということである。我々がとらわれている既成概念の枠を超えた思考を行っていたのである。

 
 規定概念の打破は、一朝一夕に叶うものではない。件の将軍たちも、戦闘場面で突然に秘策を生み出したわけではない。平時における研究と訓練と改善がなされてこそ、有事にその成果が実るのである。例えば、“迅速な行動”を例にとっても、平時には、簡単に行なえる作業であっても、敵を前にして、それも自軍の数倍の敵を前にして、迅速な行動をとることは、至難なことである。足が震えて前に進まず、手が震えて銃が持てなくなるのが、兵隊の実情である。規定概念の打破とは、このような実情を打破することなのであろう。
 軍隊における規定概念の打破は、とりわけ“言うは易く行ない難し”である。
 何故ならば、兵隊の究極の目的は、人を殺し、物を壊すことである。そのための訓練を毎日しているのである。平時においては認められない事を、有事には行なわなければならないのである。


目次   第一計     満天過海  (まんてんかかい) 
     第二計     囲魏救趙  (いぎきゅうちょう)
     第三計     借刀殺人  (しゃくとうさつじん)
     第四計     以逸待労  (いいつたいろう)
     第五計     趁火打劫  (ちんかだきょう)
     第六計     声東撃西  (せいとうげきせい)
     第七計     無中生有  (むちゅうしょうゆう)
     第八計     暗渡陳倉  (あんとちんそう)
     第九計     隔岸観火  (かくがんかんか)
     第十計     笑裏蔵刀  (しょうりぞうとう)
     第十一計    李代桃僵  (りだいとうきょう)
     第十二計    順手牽羊  (じゅんしゅけんよう)
     第十三計    打草驚蛇  (だそうきょうだ)
     第十四計    借屍還魂  (しゃくしかんこん)  
     第十五計    調虎離山  (ちょうこりざん)
     第十六計    欲擒故縦  (よくきんこしょう)
     第十七計    抛砖引玉  (ほうせいいんぎょく)
     第十八計    擒賊擒王  (きんぞくきんおう)
     第十九計    釜底抽薪  (ふていちゅうしん)
     第二十計    混水模魚  (こんすいぼぎょ)
     第二十一計   金蝉脱殻  (きんせんだっかく)
     第二十二計   関門捉賊  (かんもんそくぞく)
     第二十三計   遠交近攻  (えんこうきんこう)
     第二十四計   仮道伐虢  (かどうばっかく)
     第二十五計   偷梁換柱  (とうりょうかんちゅう)
     第二十六計   指桑罵槐  (しそうばかい)
     第二十七計   仮痴不癫  (かちふてん)
     第二十八計   上屋抽梯  (じょうおくちゅうてい)
     第二十九計   樹上開花  (じゅじょうかいか)
     第三十計    反客為主  (はんかくいしゅ)
     第三十一計   美人計   (びじんけい)
     第三十二計   空城計   (くうじょうけい)
     第三十三計   反問計   (はんかんけい)
     第三十四計   苦肉計   (くにくけい)
     第三十五計   連環計   (れんかんけい)
     第三十六計   走為上   (そういじょう)


 

 第一計 瞒天过海(まんてんかかい)“天を欺いて海を渡る”

 出典  《永乐大典,薛仁贵征辽事略》 海を渡って遠征に行くことを拒んだ宋太宗を、
                    薛仁贵が、太宗に気がつかれないようにして太宗を渡海させた。 

原文解釈 “備えあまねかざれば即ち意怠る。常に見れば即ち疑わず。陰は陽の内にあり、陽の対にはあらず。太陽は太陰なり。”
 完璧な準備ほど漏れがある。いつも見ていると疑わなくなる。月は太陽の内側にあるが太陽の向かいにはない。太陽は太陽、月は月。
 防備を厳重にしても、ちょっとした油断で容易に崩れる。いつも起こっていることに対して警戒を怠ってしまう。秘密は公の中、日常の中に隠れており、また期待したところから現れるとは限らない。

 人目につきやすいところにこそ秘密は隠されている。 いつも見慣れている状況の中にこそ、ごまかしや偽物が横行している。
 これを見抜く眼力は、経験と努力で養われる。
考証-1  陰謀を図るには、時期を失せず隠密に行わなければならない。夜中の盗み、辺鄙な場所での殺人、いかがわしい行い、謀反等がこれである。
 貞観17年、宋太宗は30万の兵をもって東方の平定に自ら出向いた。
 海上からの進攻を計画して海辺に立ったとき、海上の白波と立ち込める海を見て驚き、渡海を躊躇しだした。一同は呆気にとられて顔を見合わせた。
宰相から密命を受けた薛仁贵は、船上に土盛をして、そこに華麗な部屋を作り皆で宴会を始め、皇帝も参加させ、あたかも陸地にいるように勘違いさせているうちに渡海した。
考証-2  6世紀後半、隋王朝初代皇帝は将軍賀若弼(がじゃくひつ)に命じて揚子江対岸の陳の制圧を命じた。隋と陳両軍は、揚子江を挟んで対峙した。賀若弼は、時機を見計らって自軍に攻撃命令を発し、攻撃開始のドラを鳴らし攻撃陣形を取らせた。しかし、実際の攻撃は行わず、攻撃準備の態勢をとることまでで終わらせた。このような同じ行動を数日間続けさせたところ、陳の軍は、隋の軍の行動を軍事演習と思い込み、隋の軍の攻撃開始のドラの音にも慣れて単なる演習開始のドラであるように思い出した。このドラに反応する防衛体制がおざなりになっていった。賀若弼は、陳軍の警戒心が薄れた時機を見計らって、隠していた渡河船により奇襲攻撃を仕掛けて陳軍を攻略した。
 企業や企業用地等の買収は、株や土地の値上がりを誘発して経費が高騰したり、相手企業に防衛策を講じられて計画が頓挫することは、よくある話である。このため、企業の名前を伏せたり、長時間かけて、相手に気付かれないように計画を進めることが“瞒天过海”の策である。
応用事例-1      日航の“瞞天”広告
 多くの視聴者にとっては今も記憶にある日本テレビの連続ドラマ《スチュアーデス物語》は、日航の立派な策略的な高級公告であった。《スチュアーデス物語》の場面は、通常の場面を更に簡単にしたものばかりであり、終始一貫したものはなく、明らかに虚構的な愛情物語ばかりで終始している。視聴者も、虚構と分かりつつも日航の素晴らしい虚構に引き込まれていくのである。 非現実的な内容でありながら、日航の有するサービスや高級感をそれとなくアピールしている。日航の本音を出さずに、日航に対する視聴者の関心を高めるこの方法は、まさに、賢明な“瞞天”広告であった。
 日航の昨今の窮状からすると、このドラマそのものが“日航の瞞天(見せかけの日航)”そのものであったのであろうか。
応用事例-2  “以假乱真(偽物の中に本物を紛れ込ます、偽物を本物と言って騙す)”
 アメリカの衣服商トロピカル兄弟は、新たに服装店を開店した。二人は一生懸命に努力をした。毎日、兄は店の入り口に立って客を呼び込んでいた。しかし、この兄弟には、多少の難聴があり、いつも聞き間違いをしていた。
あるとき、兄がやっとのことで客を店に引き入れた。兄は何度もあれやこれやといろいろな衣服を勧めた結果、客もしぶしぶ問いかけた“この服はいくらだい?”難聴気味の兄は、耳に手を当てて“何と言いましたか?”
客は声高に再度“この服はいくらだい?” “あ! 値段ですか、チョット待ってください、親方に聞いてみますから。本当にすいません、私は耳が悪いものでして。” 兄は、振り向いて向こうにいる弟に大きな声で“おい!この全毛の服はいくらだい” 弟は立ち上がって、客をチョット見てから、又服を見て、答えた“一着72ドルだよ”“72ドル?” 兄は客に振り返って笑顔で“お客さん一着42ドルです。” お客はこれを聞くなり、すぐさま金を払って、この“安い”服を持ち去って行った。
 彼らは耳は悪く無く、耳の悪い振りをして商売をしていたのである。
 中国人は、物を買うときには必ず値切ることが常識である。この兄弟は客に値切る暇さえ与えなかった。 買い手の心理さえ分かれば対応は簡単である。しかし、このような商売の方法が、何時まで通用するかは疑問である。

(第一計 了)