イワン・チェンナムの中国便り
-中国兵法「三十六計」全36回(第八計)-

翻訳編集 イワン・チェンナム

 第八計 暗渡陳倉 “密かに陳倉に渡る”

出典 《史記・高祖本記》楚と漢が戦っていた当時、漢の武将韓信は楚の都を討つために一計を案じた。昼間は堂々と桟道を通るところを敵に見せ、夜間は密かに陳倉から抜け道を通り、不意を突いて都を陥落させた。

原文解釈 “これに示すに動をもってし、その静にして主あるを利す。益は動きて従う”
 自軍の行動をわざと見せることで、敵軍にその行く手に防御を堅めさせ、密かに別方向から奇襲攻撃をかけて、勝利を収める。


考証  紀元前207年、秦王朝には反乱の機運が高まっていた。このとき、項羽は劉邦の関中の支配権を手に入れるべく争っていた。結果として、絶大な勢力の項羽軍に屈服して、劉邦は関中を項羽に明け渡して、項羽の軍門に下った。項羽は、劉邦を偏狭の地の領主として関中から遠ざけた。劉邦は、項羽の追撃と自らが項羽に反抗する意思の無いことを証明するために、偏狭の地に赴任する道すがら、自分の赴任地と関中を結ぶ桟道や橋を焼き払っていった。その後、劉邦は、自軍の戦力整備に取り掛かり、関中を再び奪取することにした。しかし、最大の障害は、関中への進路と周辺地で劉邦を監視牽制している項羽勢力の駆逐であった。まず、劉邦は、焼き払った桟道の修復にとりかかったが、これはあくまで、項羽を欺くおとりの行動であった。このため、限られた少人数でこの修復を行わせて、本格的な軍道の整備ではなく生活道路としての簡単な修復と見せかけた。このため、項羽は劉邦のこの行動を反抗の兆しとは思わず安心をしていた。しかし、この桟道の修復の監視を強めていた。劉邦のこの行動は的中し、項羽軍の注意をこれに集中させることに成功した。機を見計らって、劉邦は、項羽軍の前線拠点であった陳倉を別の進路により奇襲してこれを陥落させた。この戦いがきっかけとなり、劉邦は関中までの項羽陣地を攻略しながら、遂に、関中を陥落させて引き続き中国全土を統一し、漢帝国の初代皇帝となった。

 敵を騙すには、結果として自分が考えた作戦に敵が応じてくれなければならない。このため、敵を騙す行動には実際以上に多くの偽の行動を重ねて用いなければならず、正攻法以上に手間暇のかかる作戦であり、周到な準備が必要となる。敵にこの行動の意図を見破られてしまえば、今度は、敵が、“暗渡陳倉”の策を使って来るからである。
 秘密保全が大切なことは言うまでも無い。

応用事例-1        “米国四大テレビのいきさつ”
米国のタイド・デノン放送会社はテレビ放送の営業に挑戦することにした。
このためには、あらゆる権謀術策を用いて、既存の業界を翻弄してテレビ業界の巨頭となったのである。
 当時の米国は、強大なテレビ網が全国に張り巡らされ、人々は、このネットワークから様々な情報を得て生活の一部としていた。テレビは、個人個人を時間や空間において、一体化させる究極のものでもあった。人々の生活にとってテレビを見ることは生活そのもののように重要になっていた。このため、テレビネットワークはおのずと巨大企業の激烈な競争の舞台となっていた。幾多の荒波や曲折を越えて、現在のような三大放送会社に落ち着いたのである。世間も三大ネットワークとして認めていた。この三大会社とは、米国放送会社、全国放送会社、とコロンビア放送会社であった。彼等には、他の競争相手がテレビ業界に参入しようとした場合には、協力してこれを排除するという暗黙の了解があった。彼らは密接に連携しており、運命共同体のようであった。例えば、ホワイトハウスの取材については、まず三社が、それぞれホワイトハウスの取材に参加した後、協力して、交互に一社が基本版を作り、それを他の二社に提供する仕組みであった。このような密接強固な関係にある三大ネットワークの状況下では、誰も軽々にこれに参入することは困難なことであった。
 デノンはアトランタに、17チャンネル放送の小型多チャンネルテレビ局を持っていた。しかし、この局は、電波が微弱であったので、アトランタですらも聞きにくいときがあった。デノンは暫くして、放送領域でまだ三大会社が気がつかない領域があることに気がついた。まさに、それがケーブルテレビであった。彼は、現在の自分の力でもって三大会社に歯向かったところで、自らが傷つくだけであり、何回やっても成功のあては無いということを良く知っていた。そこで、彼は自ら“暗渡陳倉”によって、奇襲戦法により勝ちを得ることを考えた。このためには、相手に対しては、欺瞞と錯覚を与えなければならなかった。デノンは弱小ではあったが、先見の明があった。あえて、三大ネットワークが独占している事業には踏み込まず、彼らにデノンの存在を気付かせないようにした。密かに、力と財力を蓄えた。それは、大型テレビ局を維持するほどの膨大なものであった。彼は十分な確信をもって、目標に向かって邁進した。彼は、自分を隠し通すための“外套”を見つけた。それが、アトランタテレビ局であった。公開している経営方針は、ニュースの製作ではなく、単なる娯楽番組の放送であった。この意味は、アトランタテレビ局の地位を低めて、経済的な力も弱く、誰にも歯向かう意思のないことを広めて油断させることにあった。
 どの大手放送会社において権威付けられる象徴的事業は、ニュース製作である。それに多くの予算を使い、ニュースが大手会社の権威付けになっており、広告収益とも密接に関係している。また、ニュースも番組の視聴率を表している。米国では、地域ごとの小さなテレビ局が多く、これらの局も、自己保身のために同様の方策を採っている。三大テレビに至っては、まさに、頑なにニュース製作を握ることがテレビの権威だと思い込み、全てのものに優先させていた。小さな娯楽番組をこつこつとやっていくことは、大きな仕事にはならないのである。このため、デノンのアトランタテレビ局の行動は、別に誰の注目を引くものではなかった。ましてや、三大ネットワークは忙しかったので、デノンの件にまで注意をすることはなかった。
 1973年、アトランタ市はメジャー野球大会を開催した。デノンは高額でこの放映権を獲得した。野球は多くのファンがいるため、この番組は非常に歓迎された。アトランタ市民は、こぞって17チャンネルテレビに合わせた。現地の広告代理店も、現地のテレビ局を軽視すべきでないことを初めて認めた。デノンは、放送版権の付加価値は50万ドルにまで高騰した。衛星放送チューナを借り入れて、17チャンネルテレビの放送は全米に流れた。これにより100万ドルの賃貸料となった。この二つを合わせると」、デノンの負債は既に耐え難いものになっていた。しかし、デノンは、このことに意を介せず、この野球試合を好機として、ケーブルシステムのアトランタインナーネットを設立して、この空白地帯の開発と占有を図った。資金を集めるために、ケーブル経営者の懐に手を伸ばした。なぜならば、無線テレビはユーザーに対して電波で放送を提供するが、有線テレビはケーブルを使って行うからである。
 デノンが多くのケーブル経営者と会ってみたとき、ケーブルを使用してくれることを非常に喜んでいることを知った。この時期はまだ、ケーブルの使用は盛んではなく、ケーブルには余裕が十分にあったのである。野球放送を行い、他の娯楽番組や映画をケーブルで提供することは願ってもないことであり、彼らも喜んでケーブルテレビの放送の資金を提供した。
 デノンにとっては、まさに好機到来であり、野球試合放送を通じて、他の娯楽番組をユーザーに提供し、市場とすることができた。このようにして、“全国的”なケーブルサービスが出来上がった。デノンは笑いが止まらなかった。しばらくして、デノンは、ケーブルテレビを足がかりにして、遂に、放送テレビ業界に踏み込み、“三大ネットワーク”を“四大ネットワーク”にした。


 巨大化した組織が新興勢力に破れるときの典型的な例である。権威主義と思い込みが、組織を内部から破壊していく。敵は内にもあり!

応用事例-2           “日本のチリ紙配り”
 日本の東京の街頭で、毎朝、熱心に行きかう人々に香りの良い小型のチリ紙を配っている女性の姿を見かけます。中国から日本に初めて来た時には、彼女達の笑顔と礼儀正しい態度に戸惑いましたが、簡単に携行できてすばやく顔をふくことができるので、何と素晴らしいサービスなのかと思いました。これを貰った人達は、その紙の包みの上に書かれている名前の会社とは関係がありませんが、事後、友達や知人と会ったときには、このサービスのことを話します。もともと、日本の会社が、このような広告活動をしている目的は、会社の知名度を上げるためですが、それを、理由なくチリ紙を配るという表向きの行動“明修桟道”をとることにより、知名度を上げるという本来の目的“暗渡陳倉”を達成しているのです。

 “暗渡陳倉”は、日本の“急がば回れ”、“損して得をとる”、“本音と建前”などにも通ずる事柄である。この方法は、現在の中国では、まだ通じないこともある。中国で、今このようなチリ紙を配る宣伝をやっても、ただ紙の無駄になる。配るのではなく、もって行かれてしまうだけである。
 同じ行動をとるにしても、時と場所と状況や相手を判断してやらなければ無益になる。
 (2011年6月、北京市内でも日本のようなチリ紙配りが始まっていた。社会の変化は早いものである。ドッグイヤーのように・・)

(第八計 了)