イワン・チェンナムの中国便り
-中国兵法「三十六計」全36回(第十四計)-

翻訳編集 イワン・チェンナム

 第十四計 借屍還魂(しゃくしかんこん)“屍を借りて魂を還す”

出典 元代岳伯川雑劇 《呂洞賓渡鉄拐李岳》の中の道教神仙故事の一文


原文解釈 “用うる者は借るべからず。用うる能わざる者は、借るを求む。用うる能わざる者を借りてこれを用うるは、我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我に求む。”
他人の力に頼らず、才能が有るものは、こちらの意のままに扱うことは出来ない。逆に、他人の力に頼り、才能のない者は、向こうから助けを求めてくる。才能のない者を利用する時には、当方から頼むのではなく、相手が、頼みに来るように仕向けて、恩を売って思いのままに利用すればよい。
 古いものや、世間から見捨てられたものの価値を再び探し出して、復活させて再利用する。 過去の経験や体験に戻ることも大切な方策である。
 最近“イノベーション”と言う言葉が盛んに使われているが、この意味は“新しく導入されるもの、又は、今とは異なる形で導入されるもの”(ウエブスター辞典)である。我々は、“新しい”と“今とは異なる”と言うことを混同して、“今と異なるためには、新しいもので無ければならない”と思い込んでしまいがちである。しかし、企業が発展するために必要なことは、新しさや斬新さだけではなく、最も大切なことは、他社との差別化である。古いものの中にも、また売れるものがあるならば、そしてそれが他社との差別化になるのであれば、これが企業発展のキーワードになる。古さを見直す勇気が必要である。(カイハン著:戦略思考)


 壁を塗ることは、壁を新しくするのではなく、昔の姿に戻すことである。
新しくすることも素晴らしく、昔の姿に戻すこともまた素晴らしい。
 要は、行なっている人が、この事を自覚することが大切である。

考証  紀元前209年、項梁と項羽は呉を手中にした後、祖国の楚を秦から取り戻すことにも成功したが、項梁自らが楚王になることは、血筋の関係で困難であった。そこで、苦労の末、楚王の直系の血筋を持つ羊飼いを見つけ出し、傀儡政権を作ってこれを支配した。

応用事例        “フィリップスの隆盛”
 フィリップスはオランダの電機メーカー会社である。この会社は、フィリップスのハードラーとアントン兄弟によって、1891年に設立された。当初は、電球を作る小さな会社で、社員は20名足らずであった。90年後の今日では、オランダの電子及び電気工業を独占的にするばかりでなく、世界の電子及び電気業界の大手メーカーの一つとなっている。世界55の国や地域に会社を設立しており、そのうちの50カ国に200以上の工場を有し、34万人以上の従業員を抱えている。最近の売り上げは、欧州メーカーのトップにあり、200億ドル程になっている。フィリップスは過去において、三度の経営危機に見舞われている。創建当時は、社長である兄のハードラーは、元は一介の電気技術者であったため、会社経営については全くの“素人”であり、製品の販売はうまく行かず、工場は毎年欠損を出し、負債が膨らんでいった。
 1695年には、倒産の危機を迎えた際に、ハードラーは弟のアントンに社長の地位を譲った。アントンは頭脳明晰な人物で、経済を見通すセンスを持っていた。彼は、自ら製品販売の先頭に立ち、工場の生産と技術管理は兄のハードラーに任せた。彼は、販売に専念し、ある日、ドイツで電灯の普及が開始されたという新聞記事を見て、早速その詳細を調べさせて、直ちにドイツに自ら乗り込み、自社製品を売り込んだ。何度もの交渉の末、遂には5万個の電球の受注に漕ぎつけた。彼は、直ぐに兄のハードラーに電報を打って生産の準備をさせた。ハードラーは、この電報を受けたときは、その量の多さに驚いて、これを疑い、“5万個というのは多過ぎないか?”という返信をしたほどであった。なぜなら、当時のフリップスの電球生産量は年産5000個ほどであったからである。このようにして、ドイツ市場を開拓した後、彼はその他の国に対する版図の拡大に努めた。ここにおいて、フィリップス会社は大きな飛躍を遂げることが出来た。1912年、フィリップス電器会社と社名を変えて、電球ばかりでなくその他の電気製品や設備を手掛けていった。
 第一次世界大戦が勃発後、世界的な経済危機はフィリップスも例外ではなく、その影響を受け、業績は青息吐息の状況であった。兄弟は奮戦健闘して、何とか頑張っていた。フリップス電器会社が回復の兆しを見せ始めたその時に、第二次世界大戦の戦火がオランダにも及び、1940年5月、オランダはドイツイに占領された。凄まじい爆撃により、フリップスの工場も悉く破壊されてしまった。最高責任者になったばかりのプリス・フィリップは投獄されてしまった。戦後、プリスは釈放され、家族や一部の従業員をもって、フィリップスグループを再興させ、遂にはオランダの三大企業の一つに返り咲いた。
 もし、ドイツからの5万個の電球の引き合いに躊躇して、その対応をしなければ現在のフィリップスは無かったのである。倒産の憂き目から脱出できたのは、まさに、危機的状態での奮闘が功を奏した。

 フィリップスは、ドイツに助けられ、そしてまた、ドイツに滅ぼされた。
この両方の経験があったからこそ、また自身の力で再興出来たのであろう。

応用事例-2        “サウスウエスト航空の反撃”
 航空業界が発展するにつれて、出発地と目的地を直接結ぶ「ポイントトゥポイント」型から、ハブ空港を利用して、同じ目的地に行く乗客をハブ空港を利用して、出発地の異なる乗客を同じ便に乗せて運航する「ハブアンドスポーク」型の効率的な運航方法に切り替えていった。しかし、1971年に設立されたサウスウエスト航空会社は、従来の「ポイントトゥポイント」型の運航モデルを採用することを決断して、業界を震撼させた。
 この古いビジネスモデルを採用した決断は、他の航空会社との差別化を図るための方策の一つであった。当時、既にハブ空港に対応する運航計画を採用し、多額の資本を投資していた他の航空会社にとっては、採用の出来ない方策であった。これにより、サウスウエスト航空は、この差別化による利益を長期間にわたり享受することが出来た。

 他人と異なることを行うには、勇気と決断と自信がなければならない。
理屈では分かっていても、なかなか出来ないことである
 コロンブスの偉さもここにある。

(第十四計 了)