イワン・チェンナムの中国便り
-中国兵法「三十六計」全36回(第二十三計)-

翻訳編集 イワン・チェンナム

 第二十三計 遠交近攻(えんこうきんこう)“遠く交わり近くを攻める”
      遠い関係にある相手と親交を結び、近くの敵を攻める

出典 《戦国策・秦策》 考証参照

原文解釈 “形禁じ勢いそむけば、利は近く取るに従い、害は遠隔をもってす。上火下沢水なり。”
 戦闘は、地理的条件によって影響を受けるので、これに背いてはならず、まずは、近くの敵から攻めることが理に叶っている。遠方の相手を先に敵にしてはならない。近くの火から遠方の水を利用して消すのが得策である。


考証  戦国時代(紀元前403年~同221年)、中国全土は、七つの王国が群雄割拠していた。その最大の国家が中国統一を果たした秦であった。
 当時は、秦も他国の制圧に腐心しており、その制圧作戦について参謀の意見が二つに分かれた。一つは、遠方の小国から制圧していき、順次近くの敵を制圧する意見であった。別の参謀は、まず遠方の小国とは同盟を結び、近くの大国から制圧していった方が、兵站も楽であり、遠方の国を味方につけて挟み撃ちの作戦がとれ、近隣の敵の戦力を分散することが出来る。また、先に、近隣の大国を制圧しておけば、事後の遠方の小国の制圧が容易であるとの意見であった。更に、遠方を攻めれば、近隣国が、遠方の国を支援して、秦に対抗する勢力を拡大させる恐れがある。 これらのことに鑑み、秦王は、後者の遠交近攻の策を採用した。これまでの戦いの常識からすれば、近くの敵とは親交を結び、遠方の敵から攻めるのが常道作戦であったが、秦は敢えて、遠交近攻の策により、中国全土を制圧した。言うまでもないことであるが、近攻により周辺を制圧した秦は、これまで遠交により同盟していた諸国も、その後、制圧したのである。


 作戦には、常に一長一短がある。その“長”と“短”を見抜く力が、指揮官の“眼力”である。しかし、どうしても“長”に注意が向いてしまうのも事実である。

応用事例-1          “明治政府の二股外交”
 明治維新の日本は、歴史的に見ても特殊な時期であった。当時の日本は、資本主義国家として、経済や主権国家としての遅れがあった。このため、明治政府は、“遠交近攻”の二股外交方針をとった。それは、不平等条約を改定して主権を回復させ民族の独立を勝ち取り、同時に領土の拡張と植民地政策の推進であった。1817年初頭、明治政府は欧米に使節団を派遣し、不平等条約の改定を目指した。しかし、当時の日本の国力は脆弱であったために、この日本の要求は欧米各国には受け入れられなかった。この状況から、日本政府は、日本の目的を達成させるためには、まず、国力を増強させて、これを欧米に示してからでないと、真の主権回復と民族の独立はなし得ないことを悟った。このため、“殖産興業”“富国強兵”“文明開化”の三大政策を推進した。日本は、まず、所謂“欧米化国家”の外交方針もって、努めて欧米列強の歓心を買うことに腐心した。
 1890年代当初、極東において国際関係の新たな変化が生じた。それは、帝政ロシヤがシベリヤ鉄道を建設したことをきっかけにして、英ロ間の緊張を激化させていた。日本は、この機に乗じて、不平等条約の改定工作を加速させていった。1889年に発足した日本の内閣は、条約改定と領土の拡張の二つの外交方針を決定した。ここにおいて、日本は、遂に念願の“日英同盟”の条約を締結した。この条約により、日本は、概ね不平等条約の束縛を解き、主権と税権を取り戻すことが出来た。これにより、日本の基本的な民族の独立を世界に示すこととなった。明治政府が建国して初めて、周辺国の侵略を開始した。1872年、琉球を1つの藩とした後、1879年には沖縄県とした。1871年、琉球の漁船が台湾の漁民とトラブルを起こしていたが、数年後の1874年になってから、日本はこのことを口実にして、台湾に出兵して武装侵略を開始した。1870年代からは、日本は朝鮮を占領した。不平等条約をもって、半植民地化を図った。これにより、日本は朝鮮を支配して、中国侵攻のための足掛かりとした。1894年、朝鮮において、東学党の乱が発生した。朝鮮政府は、清朝にこの乱の鎮圧のための出兵を求めた。同年6月、清兵は朝鮮に到達した。これにより、中日間の戦争を誘発させた。清の敗北により、日本は、朝鮮を完全に占領することとなり、中国に対して植民侵略を開始した。この様に見てみると、日本は、“遠交近攻”政策により、19世紀後半において、民族独立とアジア侵略を果たし、世界の歴史上にも特記すべき一頁を残した。

 中国人作家が、当時の日本外交を、このように読み取っていたことは、興味深いことである。

応用事例‐2          “ある化学工場の事例”
 中国のある化学工場は、新たな製品を製造販売することを計画していたが、近郊の工場も生産を行おうとしていた。この工場は、熟慮の結果、“遠交近攻”の策により、この製品の開発生産を遠方の工場の支援を受けて行うこととした。その近郊の工場に同様の製品開発の計画が漏れないように、厳重な秘密保持を命じた。この様な緻密な計画の下で行ったため、秘密は漏れることなく、近郊の競争相手となる工場にも悟られなかった。遠方の協定工場とは、様々な状況を考慮して慎重に事を進めた。その結果、予想通り、安価でその技術や資材を調達でき、優れた技術者までも派遣してくれた。これにより、近郊の現地の競争相手の工場に打ち勝つことが出来た。

 遠交近攻の策は、特に“相手”が“近くと遠く”に二人以上存在するため、努力も数倍要する。特に、情報の収集と秘密保全には、格段の努力と配慮が求められる。
 味方となる遠い相手にも、秘密にすべきことがあるのは当然である。

(第二十三計 了)