イワン・チェンナムの中国便り
-中国兵法「三十六計」全36回(第二十九計)-

翻訳編集 イワン・チェンナム

 第二十九計  樹上開花(じゅじょうかいか)“樹に花を咲かせる”

出典 《碧厳録》  “樹上開花”は本来の言葉“鉄上開花”が変化したものである。
目的のためには手段を選ばず、利用できるものは何でも利用し、目的を達成する。花は、枝にだけ咲くものではない、時には幹にも咲かすことが可能である。


原文解釈 “局を借りて勢を布けば、力小なれども勢大なり。雁、陸を進む姿、その羽をもって儀となすべし”
 様々な戦局において、手段を選ばず優勢を示せば、たとえ弱小な兵力でも強大に見せるかけることがでる。これにより、我に有利な新たな戦局が展開できる。空に飛び立つ雁を見るが良い。羽を目いっぱいに広げて、意気盛んなように見せているではないか。

考証  戦国時代(紀元前403年~同221年)、斉は、他の五カ国の連合軍と対峙し、斉の国は、70の都市を失い、たった二つの都市を確保するという危機的な状況になっていた。このうちの一つの都市の防衛に当たっていたのが田単であった。この都市は既に連合軍に包囲され、討死にか降服の選択肢しかない状態となった。田単は、最後の決戦を覚悟したが、あくまで討死にではなく戦勝を期する戦いを考えていた。このため、現状で考えられるだけの兵力の増強策を考えた結果、三つの策を命じた。
 1 老人、子供、女子を防備に当たらせた。2 都市内にいた1000頭あまりの牛に派手な衣装を着せ角と尻尾に松明を縛りつけさせた。 3 金持ちを集めて、敵陣に金品を献上させ、斉の金持ち達が既に斉を見限ったように見せかけた。 この策により、連合軍は、斉の内部崩壊が近いことを読み取り、その夜は、安心していた。
 まさに、その夜、田単は、満を持して、牛の角と尻尾の松明に火をつけて、敵陣めがけて追い立てた。寝込みを襲われた敵兵は、今まで見たことも無いような獣の襲撃を受けたと思い込み、恐怖で混乱して逃走した。この機に乗じて、田単は総攻撃を仕掛けて一気に敵を制圧した。
 この勝利をきっかけとして、斉は失った70余りの都市を次々と奪い返して、往時の勢いを取り戻した。

 当時の戦いにおいては、婦女子や子供や老人を戦闘に参加させることは、常識では考えられなかった。彼らは、後方支援は出来ても、戦闘に参加することは常識外であった。ましてや、牛を戦いの先頭に立たせることなど予想外のことであった。 目的のために手段を選ばぬこととは、自分の狭い常識から抜け出すことである。所詮、常識は自分が決めることであり、戦いに勝つためには、非常識が常識となる。

応用事例-1     “クライスラーとフォードが連携してGMに対抗”
 1980年当初、米国自動車会社のビッグスリーは、日欧の輸出構成に対抗すべく、車両の品質改善に全力を注いでいた。特に、クライスラーとフォードはGMには遠く及ばぬ売上げであったが、GMに先駆けて品質改善に成功していた。それは、GMがとっていた企業グループ化ではなく、両者が採用したのは共同して、GMのようにグループ化して、特定の会社との取引に限定されない、協力会社との連携を拡大強化することであった。これにより、不具合の出た協力会社の部品は使用せずに、直ちに別の新たな会社との契約により、より品質の良い部品の取得が可能であった。また、各部品会社にも緊張感が生まれて、品質の向上がなされていった。一方、GMはグループ会社からの調達が原則であったため、部品に不具合があった場合には、まずそのグループ会社に原因と対策を検討させたため、対応が遅れる結果となった。柔軟な部品調達を可能としたクライスラーとフォード連合は、コストとサービスの面からGMにも日欧にも対抗できる態勢を確立することが出来た。 この両社は、協力して、新たなネットワークを構築して、既存の常識(子会社化やグループ化)を打ち破り、最大の敵に伍しうる力を獲得したのである。

 現在のGMの衰退は、すでにこの当時から囁かれていた。体制は態勢の改善で向上する。

応用事例-2        “レーガン大統領訪中を利用した長城飯店”
 1984年、レーガン大統領の訪中が中国国内に報道された。長城飯店の事務方や営業部門は、これは得がたいチャンスだと思った。この“長城飯店”が予約を確保できれば、このホテルの名声は高まるばかりであり、飯店の将来も安泰である。このために、従業員は一丸となって、この営業活動に取り組んだ。当時は、まだこのホテルは全てが完成していなかったため、サービス施設も完全ではなかったが、従業員は、困難を克服するために、日夜、様々な準備と対応に追われていた。彼らは労を厭わず在中国米国大使館の館員をホテルに案内して施設やサービスについて紹介をした。また、数百名の外国記者を招待して、彼らに提供する資材や通訳設備やあらゆる要求に応じられることを説明した。ある従業員は、当時を振り返って“あのときは本当に毎日深夜まで仕事をして、疲れて車や駅で寝たこともあった。”と述懐した。苦労の甲斐があり、遂に、レーガン大統領の答礼晩餐会をこの“長城”ホテルで実施することが決定された。1984年4月28日、世界各国から500名以上の記者を集めて、世界各国にこの模様が発信された。これにより、長城飯店の名も全世界に知られることとなった。
この成果を挙げ得た努力は、次のことがあったからである。
1 “権威効果”をうまく利用した。
 1984年当時は、開店直後であったため、まだ店の知名度も低かったので、このホテルの営業目標を外国客の招聘に向けた。このため最新の設備とサービスにより外貨を稼ぐことが出来たのである。その、最大の効果は、レーガン大統領の訪中を利用して“長城飯店”の名を一気に高められたことであった。
2 従来の方式に拘らず、刷新的な高級志向に努めた。
 常に刷新を図って行くことが、組織の活力を維持発揮していく源となり、企業競争に勝ち抜くことが出来た。
3 メデアを活用して、名声を高めた。
 操業したばかりにホテルの知名度は低く、ただ一般的な広告に頼っていても効果は上がらなかった。そこで、うまく、レーガン大統領の一行をホテルに“拉致”して、マスコミを利用して名声を高めたのである。500名にも及ぶ内外記者たちは、レーガン大統領がホテルに滞在していた間は、常にこのホテルの名を世界に発信し続けてくれたのであった。

 かつて、日本のグリコ製菓会社は、“一粒で二度美味しい”というキャッチフレーズを流行させた。まさに、貴重なチャンスにおいては、目的の達成のためには、あらゆる角度から手段を発見して、これを活用することが重要である。“一度のチャンスを、二倍にも三倍にも効果的にすること”が必勝方策である。
 “安易な満足は衰退の始まり”

(第二十九計 了)