イワン・チェンナムの中国便り
-中国兵法「三十六計」全36回(第三十計)-

翻訳編集 イワン・チェンナム

 第三十計  反客為主(はんかくいしゅ)“客を反して主と為す”

出典 《三国志演儀・第七十一回》 《宋太宗李衛公問答》
最初はあえて弱い立場にいて、徐々に力を貯え
機を得て、最後に支配する。


原文解釈 “隙に乗じて足を挿し、その主機を抑えよ。渐に進むなり。”
相手に隙あればすかさず付け込み、その中枢を抑えて支配せよ。しかし、あせらずに、手順を追って進めることが肝要である。

考証  三国時代、袁紹と韩馥は盟友関係にあり、かつては共同して董卓を討伐した仲であった。それ以来、袁紹は次第に勢力を拡大し強大な地位を占めていった。彼は黄河北部にまで進撃していたとき、兵站が欠乏して困窮を極めていた。これを知ったかつての盟友の韩馥は、自発的に、袁紹のもとに兵站を送ってやった。しかし、袁紹軍にとっては、この韩馥の補給だけでは十分ではなく、更なる補給が必要であった。そこで、袁紹は配下の参謀の建策を受け入れて、糧食の宝庫である異州を手に入れることを決定した。当時、異州は盟友韩馥が領有する土地であっが、彼は、そんなことを気にせずに、自身の妙案の実行に取り掛かった。まず、彼は、公孙瓒に書面を送って、一緒に異州を攻めることを提案した。公孙瓒も以前から異州を攻め取りたかったので、まんまと袁紹の誘いに応じた。公孙瓒は、早速、異州の攻撃準備に取り掛かった。この一方で、袁紹は自分の密使と気付かれないようにして密かに韩馥に人を送り、次のように吹聴させた。“公孙瓒と袁紹は貴方の異州を攻略する積りです。この状況では、異州は守りきれないでしょう。袁紹はかつては貴方の盟友であったではありませんか。また、最近では、貴方は、袁紹に兵站の支援までしてあげたではありませんか。この関係をもって、 袁紹と連合して、公孙瓒に対抗すれば、異州は安泰です。直ちに、袁紹と連絡をとり、このことを伝えるべきです。” 韩馥はこの意見を受け入れて直ちに実行した。袁紹も自らの筋書き通りのこの提案に応じて、軍を引き連れて異州に入城した。袁紹は表面上は異州の救援に応じたように見せかけていた。しかし、韩馥は、袁紹が異州の要所に自分の部隊をくまなく張付けて、異州を制圧する態勢を取っているのを見て、袁紹の意図をはっきりと読み取った。主客が逆転したことを悟って、命からがら異州を抜け出さざるを得なかった。

 戦いは、常に強いものが勝ち、弱いものが負ける。これは、単なる戦力差だけではなく、当然のことながら、策略の優劣によって決定される。戦いには、温情や過去の経緯は通用せず、通用するのは目的に対する飽くなき達成心である。“義理人情のような温情は、人によって受け取り方が違うものであり、期待や予測は禁物である。” “敵に塩を贈る”ことは、戦いの原則にはない。

応用事例       “米国の門を打ち破ったコランソ”
 200年もの歴史を有する英国のコランソ製薬会社は、世界第二位の製薬会社である。世界中に70以上の支社を持ち、製品は150カ国以上の国や地域に行き渡っており、各地の薬品市場において名を成している。
 “コランソ”は伝統的な老舗として、成長をし続けている。製品は、世界市場の多国籍企業を通じて販売しており、これが成功の秘訣となっており、冒険を恐れず、戦略的観点からの経営方針を有している。米国は世界最大の製薬市場である。何百年にわたって有力な製薬会社によって市場が占有されており、ここに踏み入れることは、新規の会社にとっては至難のことであった。しかしながら、コランソは、独特の経営戦略によって、短期間で米国市場への参入を果たし、自社の胃腸薬“シェンウェド”(善胃得)を米国のほとんどの製薬市場において販売することが出来た。この胃腸薬の販売実績は10億ドルに上り、全世界の胃腸薬販売額の三分の一を占めた。1979年、コランソが米国で営業を開始した当時は、小さな製薬会社であったが、徹底的に市場の状況を分析した。そして、米国の企業として着実に発展させるために、米国の文化と融合させることに努めた。そのため、米国の現地会社に十分な権限を与えて、事業計画の迅速な実行と経営の活性化を図った。コランソが米国に進出して以降、迅速に市場を開拓していった。1981年、コランソ社は、米国で10指に入るスイスゾス製薬会社と業務提携を果たした。それにより、スイスゾス会社の代理店となり、その製品の販売を手掛けた。当時は、多くの会社の商売のやり方は、自社の製薬商標権を他社に貸し与えて、その販売について10年程度の契約を交わして利益を分配する方法であった。しばらくして、コランソは、このような、代理店的な経営から脱却した、新たな直轄組織による経営体系を開発した。それは、研究開発から、原料生産、製品製造を一貫して行い、商標権の販売はせずに販売店に販売させる代わりに、製品の品質を保証すると共に、各種の情報を会社と販売店の間でフィードバックすることとした。これにより、“シェンウェド”の胃薬は、米国の“花形の薬”となった。
 “虎穴に入らずんば虎児を得ず”のたとえのとおり、コランソ社は、“販売と生産の併合”という奥の手を使うことにより、米国市場に測定器を設置したも同然となり、市場の状況を逐一把握して、製品販売に必要な情報を的確に提供した。コランソは、このようにして、米国に於ける市場予測調査を重点的に行い、米国市場のニーズを的確に掌握し、じっくりと準備を行い、満を持して一挙に製品を市場に送り込み、市場の優位を獲得していった。


 異国での外資企業の活動で最も重視されていることは、企業の現地化である。コラソン社は、いち早く現地企業に十分な権限を与えて米国文化との融合を図った。これが、成功の要因であった。日本の企業が、海外において一番苦手なことが、現地国の文化との融合である。異国においてさえも、日本人会や日本人同士の交流に拘り続けている日本人が多くいることが、国際化に遅れをきたす最大の障害要因の一つになっている。

(第三十計 了)