イワン・チェンナムの中国便り
-中国兵法「三十六計」全36回(第三十六計)- 最終回

翻訳編集 イワン・チェンナム

 第三十六計  走為上(そういじょう)“逃げるを上となす”

出典 《南斎書・王敬則傳》 “壇公三十六策”
現在、力が足りないときは一度退却して力を蓄える。


原文解釈 “全師敵を避ける。退き宿るも咎なきは、いまだ常を失わざるなり”
強力な敵との対決を避けて、全軍が退却して兵力を温存して次期に備えるという作戦は、決して兵法の常道に反するものではない。

 当面、勝てそうにも無い相手と渡り合う時の方策は、三つある。
一つ目は、“敵に降服すること”
二つ目は、“敵と講和を結ぶこと”
三つ目は、“退却すること”
降服したり、講和を結べば、強敵の思いのままとなり、将来を期すべき方策は限られてしまう。退却により力を蓄えれば、将来また戦うことが出来る。
 逃げることは手段であり、戦うことが目的である。

考証  西暦1402年、明の首都南京は燕の軍に包囲され陥落寸前であった。明王建文帝は、自害を覚悟していた。そのとき、一人の宦官が皇帝の自害を思い止まらせた。皇帝の祖父が、自分の子孫が絶望的な危機に追詰められたときには、この箱を開けるようにとの遺言を、この宦官に託したのであった。早速、建文帝はその箱を開けてみた。箱の中には、僧侶の法衣とカミソリ、経文、そしていくらかの銀貨が入っていた。建文帝は早速僧侶になり南京からの脱出に成功した。
 南京は陥落し、皇帝も焼け死んだものと思われていた。40年後、明朝が南京に復活したとき、元の皇帝が生き延びているという噂が市中に流れ始めた。現皇帝はこの噂の真意を徹底して調べさせた結果、建文帝が僧侶として生きていることを突き止めた。現皇帝は彼を南京に招き寄せて手厚くもてなして、彼は皇帝の賓客としてこの世を去った。死ぬことよりも辛い隠遁生活であったが、最期は幸せな生涯を送ることが出来た。

応用事例-1      “GEウエルチのナンバーワン・ナンバーツー作戦”
 1981年、ジャックウエルチがGEのCEOに就任した。このときのGEは米国の一般的な大企業の一角に位置していたに過ぎなかった。ウエルチはこの状況から抜け出して、GEを米国一の企業とすることを考えていた。このため、各事業部門に対して各業界において1位か2位でない部門はその事業から撤退することを求めた。各事業部長からは、1位か2位でなくてもそこそこの利益を上げていれば撤退する必要は無いのではないかとの意見も出された。また、それらの部門は将来1位か2位に成れるかもしれないと言った。また、ウエルチは弱虫で他社との競争を恐れているという噂も飛び交っていた。しかし、ウエルチは、断固としてこの決断を実行して1982年には既に事業部門の撤退と売却を進めて85億ドルの現金を手に入れた。この資金を1位と2位部門の強化に投入した。このスクラップ・アンド・ビルトの戦略がその後のGEの磐石な基盤を作った。

 撤退が失敗だと思う人々には将来を見据えた戦略は構築しがたい。
 ダンケルクの戦いにおける撤退作戦は、失敗のなかの成功作戦とも言われる意味はここにある。ダンケルクにおいても、英国とフランスは撤退により、当面必要とされた多くの武器や弾薬を失ったが、経験豊かな祖国愛の強い40万にも及ぶ将兵を温存することが出来たのである。この将兵たちが、後のドイツ反抗作戦において主力部隊となって活躍したことは当然のことであった。
 どんな場面においても“撤退は辛く、悲しい犠牲を伴うものである”しかし、将来のためと思えば我慢が出来る。

応用事例-2         “撤退の意識を引きずらない”
 ある日本の大手電機メーカーは、現在最も競争激化となっている携帯電話からの撤退を決断した。しかし、この事業部長は、まだ販売の余地もあるし利益も出ていることを主張して、自分の事業部の撤退縮小を拒み続けていた。ある日、担当常務が、この事業部長を呼んで“来月を持って君の事業部を廃止する、君は隣の事業部の副事業部長になってもらう”と告げた。翌年、この副事業部長は、新たな医療開発機器のプロジェクトリーダーとして、携帯電話のノウハウを生かせる唯一の人材として成功を収めていた。

 所謂、腐る人と腐らない人の違いは、過去を見据えているか、将来を見据えているかで違ってくる。将来を見据えている人は、苦境にあっても耐えられる。夢や希望があるからである。

(完)


 あとがき
 孫子の“敵を知り己を知らば百戦危うからず”とは、まず敵を知る事を優先させることではなく、常に自分の力と敵の力を平等に比較して、採り得る作戦を決定することが真意であります。負け戦の場合には、必ず、己か敵のどちらかの“知る”努力が不足していたことが原因として挙げられます。特に、敵を知る努力は存分にするが、己の力は以外と知らないものであります。ましてや、島国育ちの日本人は、慢心や誤解や錯覚により“外国人と比較した己”を知らな過ぎるのではないでしょうか。中国に滞在して、益々この思いを強くしております。
 本文中の事例は、全て成功事例でありますが、成功事例の陰にはその何倍もの失敗事例があることも当然であります。この三十六計を読めば読むほど、この反対もまた成り立つことを痛感します。すなわち、三十六計は、逆の考えを含めれば七十二計となり、これらの複合的な策を考えればそれ以上の数となります。全ては、これを用いる人がいかに柔軟かつ広範な考えを持つかによって、三十六計は限りなく数を増していくことでしょう。
 この各計の間には余白を設けました。これを読まれた方達が、自分なりの三十六計を、この余白に考えて加えていただければ幸いです。

 隣国の中国人が、中学高校時代から、このような三十六計を学んでいるとき、日本の中学高校では、この三十六計に代わるどのような教育が行われているのでありましょうか。

2010年2月

                            北京にて    イワン・チェンナム