第4回 防衛駐在官の見た中国 (その3)
-香港と人民解放軍-

(本論文は元駐中国防衛駐在官(現防衛省統合幕僚監部防衛交流班長)の山本勝也1佐が海上自衛隊幹部学校主任研究開発官であった時に幹部学校ホームページのトピックス・コラムに投稿されたものを転載するものです。)

(コラム009 2011/10/06)

このコラムは、筆者が在中国日本国大使館防衛駐在官1として在勤中に得た雑感をご紹介するものです。読者の皆様が、我が国の防衛・安全保障を考える上で、幾ばくかの参考となれば幸いです。


 香港は中華人民共和国の一部である。1997年に英国から返還された香港は、その後50年間の「香港特別行政区」と呼ばれる特殊な地位を得た一方、人民解放軍の組織編制上は、マカオとともに広州軍区2の担当エリアに属している。

 私は2008年(平成20年)秋、武官団研修に参加し、香港を訪問した。

 武官団研修とは、中国人民解放軍及び中国の国情、歴史、文化を中国に駐在する各国武官に理解させるために、1年に1度、中国国防部3が主催し、1個大軍区4管内を約1週間かけて研修するものである5。この年は、広州軍区が指定され、広州軍区司令部の計画により、広州、深セン、香港及びマカオ等を訪問し、人民解放軍部隊、省・市政府、企業及び史跡等を視察した。

 香港へは深センから入境6し、香港警察の厳重な警護と先導を受けつつ訪問先へと移動した。武官団を接遇するために北京から同行している国防部外事弁公室7の将校達、彼らは日常的に各国武官団に対する人民解放軍の窓口を務める人民解放軍内部で最も外国人慣れした軍人である。しかし、彼らにとっても香港・マカオ訪問は得がたい機会であるらしく、香港・マカオ滞在中の彼らからは各国武官以上に高揚している様子が伺えた。

 香港には、「人民解放軍駐香港部隊8」と呼ばれる部隊が駐留している。この部隊の大半は陸軍部隊であるものの、小規模ながら海軍の哨戒艇部隊と空軍のヘリコプター部隊を包含した、人民解放軍の中でも珍しい常設の陸海空統合任務部隊でもある。

 香港に駐留する人民解放軍将兵は、広州軍区管内をはじめ広く大陸全土から選抜された兵士達で構成されている。彼らは大陸本土側に所在する訓練基地9で香港勤務に必要な法律知識等の特殊な教育と訓練を受けた後、香港域内の各駐屯地に配属される。

 部隊幹部が武官団に対して強調した点は、「香港の法律を尊重する人民解放軍」であり、「香港市民に愛される人民解放軍」であった。具体的には、香港域内を移動する部隊所属車両が進駐以来今日まで無事故無違反を継続していることや、定期的な駐屯地一般開放及び青少年体験入隊などを通じた駐留部隊と香港市民との交流を指している。それらは軍機関紙である「解放軍報」やCCTV-710等のテレビニュースによる中国国内向け報道と軌を同じくするものである。報道では、駐留将兵や哨戒艇、ヘリコプター等の整斉とした交代式11の様子や香港市民との心温まる交流等がしばしば取り上げられている。

 一方、我々武官団の問いに対し、「香港の繁栄を守ることは、人民解放軍の尊い使命である」と胸を張って答える駐留部隊の下士官・兵の大半は、駐留以前に香港を訪問した経験は無く、また2年から3年といわれる駐留期間中に駐屯地の外へ出かける機会もほとんどない。一般的に各国の軍隊、とりわけ陸軍部隊は部隊所在地周辺出身の将兵により構成される場合が多く、「オラが村の兵隊さん」といった想いを将兵及び住民の双方が共有している場合が多い。しかし、駐留部隊の将兵にとって香港は郷土でないばかりか、別世界であるとも言える。駐屯地の中と外との環境のギャップ12に直面する中で、将兵の士気を維持しなければならない駐留部隊の政治将校13達の苦労は想像に難くない。

 香港の街中で人民解放軍の軍服を見ることはほとんど皆無である。駐留部隊将兵の生活は駐屯地内で完結しており、また家族も大陸本土に残しているため、将兵やその家族が一般市民として香港市民と生活の場を共有することも無い。ある欧州の武官は次のように言った。「香港市民が駐留部隊に抱く印象は、欧州人が自国軍隊に抱く印象よりも、在欧米軍に対する印象に近いのではないだろうか。」

 中国は人民解放軍を国軍ではなく中国共産党の軍隊であるとしている。一方、香港には複数の政党が公認され活動しているものの、共産党を名乗る政党は存在しない。大陸本土の中国人は共産党員でなくても軍務に就くことができる。一方、たとえいわゆる「親中派」であっても、香港市民である限り、彼らが人民解放軍将兵になることは、現行の中国国内法上では認められていないらしい。多くの国々では一般的に自国の軍隊への参加は、国民としての国家への最高の奉仕あるいは権利である14と考えられている。

 将来、香港やマカオの市民が、大陸本土の市民との区別無く人民解放軍に志願し、中国の国防の一翼を担うようになれば、中国軍はさらに一層強力な軍隊となるのかもしれない。

(幹部学校主任研究開発官  山本 勝也)


1 防衛駐在官(Defense Attache):防衛省から外務省に出向した自衛官であり、外務事務官として大使館などの在外公館に勤務し、主として軍事情報の収集などの任務についている。防衛駐在官は自衛官の身分を有しなくなるものの、自衛官の階級を呼称するとともに制服を着用することが認められており、派遣された国の国防関係者や各国の駐在武官との交流や情報収集を行うほか、我が国の防衛政策に対する国際的理解を深めるための活動を行っている。
 平成22年8月1日現在、36大使館2代表部に49名(陸23名、海13名、空13名)が派遣されている。
 国際的には軍人として各国大使館に勤務する駐在武官(Defense Attache, Military Attache, Army/Navy/Air Attache等)と同様に扱われている。
2 広州軍区:軍区司令官及び軍区政治委員をトップとする7大軍区の一つであり、中国南東部に位置する広東省、海南省、湖南省、湖北省及び広西チワン族自治区を担当エリアとする。海軍南海艦隊司令官及び広州軍区空軍司令官は、通常、広州軍区副司令官を兼ねている。
3 国防部:国務院(中央行政府)の一部門であり、防衛省に相当。国防部の長は国防部長(大将)であり通常、国務委員(副総理格)及び中央軍事委員を兼ねている。国防部には、軍事外交の窓口となる外事弁公室のほかに、動員を担当する征兵弁公室、平和維持活動を担当する維和弁公室が確認されている。
4 軍区(大軍区):中国人民解放軍における最大の軍事行政単位。中国の国土は、瀋陽軍区、北京軍区、済南軍区、南京軍区、広州軍区、成都軍区及び蘭州軍区の7つに区分されている。
5 北京に駐在する全ての外国武官を対象とする当該研修とは別に、陸海空軍種別武官団を対象とした研修が1年に1回、約1日前後の日程により、各軍種司令部が主催する。ただし、陸軍の場合は、陸軍司令部が存在しないため、国防部が主催する。
6 中国では、「出入国」と言わず「出入境」と言う。大陸本土、香港及びマカオ間の往来についても、外国への出入国手続きと類似した手続きが必要。
7 外事弁公室(長は少将級の主任)には、総合局、各地域局及び報道官組織である新聞事務局等が確認されている。アジア局北東アジア処(局長は上級大佐、処長は中佐)が対日外交を担当する。
8 同様に、マカオには「人民解放軍駐マカオ部隊」が駐留している。いずれの部隊も広州軍区に直属しており、両者は相互に独立した関係にある。英語では、それぞれPLA Hong Kong Garrison、PLA Macao Garrisonと呼称される。部隊指導者である指揮官と政治委員の階級は、いずれも中将又は少将。
9 駐香港部隊には、香港域内にある各駐屯地の他、訓練基地及び後方支援部隊等、大陸本土側に所在する部隊も含まれる。
10 中国中央テレビ局(CCTV)の軍事/農業チャンネル。当該チャンネルの軍事関連番組に登場する記者やアナウンサー等の大半は人民解放軍の正規将校である。
11 駐留部隊は1年に1回程度、一定規模の将兵及び装備が、大陸本土内に待機している部隊と入れ替わる。
12 市街地から離れた場所に多くの駐屯地が所在する駐香港部隊と異なり、駐マカオ部隊の場合は、カジノやホテルが練兵場に隣接する等、娯楽施設が基地近傍にまで乱立しており、駐留部隊将兵は不夜城のネオンを否が応でも目にせざるを得ない。
13 人民解放軍軍人の職種の一つ。中国共産党の軍隊としての所属将兵に対する思想教育、内務指導、人事管理、広報等を担当する。
14 我が国の場合、旧帝国陸海軍に当時、植民地であった台湾や朝鮮半島出身者の将官を含む高級部隊指揮官が存在していたことは有名である。

本コラムに示された見解は、幹部学校における研究の一環として発表する執筆者個人のものであり、防衛省または海上自衛隊の見解を表すものではありません。