第6回 防衛駐在官の見た中国 (その5)
-外国武官の心を鷲づかみにした日本大使-

(本論文は元駐中国防衛駐在官(現防衛省統合幕僚監部防衛交流班長)の山本勝也1佐が海上自衛隊幹部学校主任研究開発官であった時に幹部学校ホームページのトピックス・コラムに投稿されたものを転載するものです。)

(コラム011 2011/10/19)

このコラムは、筆者が在中国日本国大使館防衛駐在官1として在勤中に得た雑感をご紹介するものです。読者の皆様が、我が国の防衛・安全保障を考える上で、幾ばくかの参考となれば幸いです。


 欧米諸国は毎年11月11日を「リメンバランス・デイ2」と呼び、各地で戦没者慰霊行事が行われている3。その起源は1918年のこの日午前11時に第1次世界大戦が終結したことを記念するものであり、現在ではそれ以降に起きた戦争、戦闘、PKO等で犠牲となった将兵をも対象とした国家的行事4となっている。

 北京でも例年、北京時間の午前11時に一連の行事が行われる5。主催者は毎年輪番により欧米各国の大使が務めており、北京に所在するインターナショナルスクール等の児童をはじめ関係国市民も儀式の重要なアクターとして参加している。また、それぞれの戦争における敵味方に区別は無く、北京に駐在する各国の大使及び武官が夫人同伴で招待され、中国人民解放軍は儀式に必要なラッパ手を提供している。

 例年であれば、防衛駐在官夫妻が日本国大使館を代表して参加していたところ、2010年の行事には、在中国日本国特命全権大使として初めて丹羽宇一郎大使が参加された。日本国大使の出席に対して同席した各国大使から感謝と歓迎の言葉が相次いだことは言うまでもない。とりわけ、凍えるような木枯らしが吹く中、献花を終えた丹羽大使が日本式に深く拝礼し、静かに合掌した姿は各国武官の心を捉えたようである。

 儀式の後、同席した多くの武官が「日本は我々の側にある」と言う言葉を私にかける中、某国武官の次の言葉が忘れられない。「かつて日本の駐在武官6は義和団の乱に際し、北京にいた外国人居留民を先頭に立って守ってくれた。日本海軍は第1次世界大戦中、地中海において多くの連合軍将兵・商船を守ってくれた7。また今日、共にアデン湾において多くの船舶を守ってくれている心強い友である」。

 当然、我々日本人、特に中国に駐在する防衛駐在官として、我が国が第2次世界大戦中に多くの国を相手に戦ったことや、中国大陸で起きた事実を忘れるわけにはいかない。しかし一方で、先人や同僚の国際社会への貢献についてこのように国際社会が評価していることも事実である。

(幹部学校主任研究開発官  山本 勝也)


1 防衛駐在官(Defense Attaché):防衛省から外務省に出向した自衛官であり、外務事務官として大使館などの在外公館に勤務し、主として軍事情報の収集などの任務についている。防衛駐在官は自衛官の身分を有しなくなるものの、自衛官の階級を呼称するとともに制服を着用することが認められており、派遣された国の国防関係者や各国の駐在武官との交流や情報収集を行うほか、我が国の防衛政策に対する国際的理解を深めるための活動を行っている。
 国際的には軍人として各国大使館に勤務する駐在武官(Defense Attaché, Military Attaché, Army/Navy/Air Attaché等)と同様に扱われている。
2 米国では「ベテランズ・デイ」と呼ばれている。
3 我が国では、同じ時期に英連邦戦死者墓地(横浜市)等で同様な行事が行われている。
4 英国をはじめとする英連邦諸国では、赤いポピー(ひなげし)が第1次世界大戦戦没者の象徴とされている。一方、中国ではポピー(けし)はアヘン戦争をイメージさせるものである。中国政府や人民解放軍の関係者から不快の念を耳にすることがあるが、「リメンバランス・デイ」の前後、関係国大使、武官の多くがポピーをイメージしたピンバッチを胸に留め、各種行事に参加している。
5 11月11日は、人民解放軍空軍成立記念日でもあり、近年は中国空軍主催行事とブッキングすることがあり、北京駐在の各国武官の悩みの種の一つでもある。
6 在清国日本国公使館付駐在武官 柴五郎陸軍中佐。国外では「北京の55日」(米映画。1963年)でも有名。
7 地中海航路の護衛のために派遣された第2特務艦隊。マルタ共和国に戦没者慰霊碑がある。当時、当該艦隊以外に、第1特務艦隊及び第3特務艦隊がそれぞれインド洋航路、豪・ニュージーランド航路の護衛のために派遣された。

本コラムに示された見解は、幹部学校における研究の一環として発表する執筆者個人のものであり、防衛省または海上自衛隊の見解を表すものではありません。